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淡い三原色の渇望


時々見る夢に、泣き腫らした誰かの渇いた声が訴えてくる。

何としても、何があっても、恩に報いなければならないと。



自分の吃逆上げる音で、ふと意識が覚醒した。
薄ぼんやりとした白い視界から、徐々に世界が広がってゆく。

「……あれ?」

何気なく見つめていた天井の木目に見覚えしかなかった。
確か、遠坂とお茶して、寄り道して、帰路で何かに襲われて。それから---。
どうやって帰宅したのかは定かではないが、知らぬ間に布団に横たわっていたらしい。

昨日の記憶を呼び起こしているうちに、夢の中身を忘れてしまっていた。
とんでもなく大事なことだったような気もするし、特に何でもない事象だったような気もする。

上体を起こした。朝の冷気が素肌をなぞる。
まあ、気にすることもないだろう。夢なんてものは大抵暫くしたら忘れるものだ。
せっかくの早起きを無駄にするのは勿体無い。今日は早めに学校に行くとしよう。




放課後、新都へ向かうバスに揺られ、何をするともなくぼんやりと外の景色を眺めた。最近多発しているというガス事後のせいだろうか、普段より人間の往来が少ないような気がするのは気のせいか。

帰宅部であるわたしは、放課後の時間は大抵暇である。金管楽器の音や、運動部の掛け声・打球音、生徒たちの喧騒を聞きながら下校するのが日課だ。靴に履き替えのんびりと歩いていると、運動部だろう男子たちが慌てて走っているところや、ジャージ姿の女子生徒たちが談笑しながら体育館に向かっている姿、弓道着の女子生徒が男子生徒と話している場に遭遇した。寒いのにみんな元気で羨ましい限りだ。

アナウンスに少し癖のある運転手の声に従い、目的地のバス停で降りる。

最近のブームは新都でのウィンドウショッピングだ。学生の身分であるためにしょっちゅう買いまくることはできないが、服やら雑貨やらを見て回るのは結構好きな方だ。誰か友人を連れて行けばもっと楽しいのだろうが、交友関係が狭い上に、数少ない友人と呼べる人間も殆どが部活生のため、叶わぬ夢となっている。

夢見が悪かったせいか何とも気分がすぐれない。ストレス発散に買い物しようかとアテもなく足を進め、ちょうど小洒落た眼鏡屋の前に差し掛かったところで、

「あ、土御門」

ふと背中から名前を呼ばれた。
聞き覚えがあるような無いような。曖昧さしか思い起こせないことに焦りを感じながらも、努めて平静を装い振り返る。
そこには、見慣れた制服姿の男子生徒が、数メートル先に佇んでいた。

「こんなとこで会うなんて偶然だね。買い物?」
「いや、今からバイトだ」
「へえ。知らなかった」

用があれば会話はするが、用がないと会話はしない程度の間柄のクラスメイト、衛宮くんだった。
プリントを回収するとか、黒板を消すとか、そういう類の話しかしたことがなかったと記憶しているため、こうして世間話をすること自体が新鮮だ。なんならアルバイトをしていたなんて事実も初めて知った。

「眼鏡、かけるのか」
「ううん。たまたま見ていただけだよ」
「……そう、か」

なんというか。
大して親しいわけでもなく、だからといって知らない訳でもないクラスメイトとの会話の狭間が気まずくてならない。
衛宮くんはバイトに行くと言っていたけれど、このまま私と会話をしてくれるという意思があるってことでいいのだろうか。

少し幼さが残っている彼の瞳がわたしを見ているのか、それとも通り越して別の何かを見ているのかが判別できず、もう返す言葉をも思いつかない。わたしは、それほど縁のないクラスメイトと難なく会話を弾ませることができるほど、社交に自信があるわけではないのに。
心底困って視線を外し、ふとすぐ隣の店舗に目が行く。

「ね。……どう?似合う?」

苦渋の決断で1番近くにあった女性用の眼鏡をかけて、真後ろに陣取っている衛宮くんに問いかけた。

「え」

呆気に取られた彼の表情に、わたしの思考回路も硬直する。

「……あ、ごめん、急に言われても困っちゃうよねえ……」

思いがけず、彼の見開かれた瞳を真正面から見つめてしまった。
数秒間、何とも言い難い沈黙が続く。

「悪い、そう言うんじゃないんだ、その」
「……」
「似合ってる。……良いと思うぞ」

ふいと逸らされた視線の意味を図りかねて、今度はこちらが呆気に取られた。
一拍おいて、じわじわと体内で熱が増殖してゆく。

何だってこんなに頬があついんだ。
何だってこんなに照れくさいんだ。
つい数分前までちゃんと動いていた唇が、僅かに震えるだけで仕事をしないのは何でだ。
さっきまでしどろもどろだったくせに、こっちの気も知らず、感想をストレートに伝えてくるのは反則すぎやしないか。

「……ありがと。ぜっかくだし買おうかなあ」
「なんでさ。視力悪くないんだろ」
「なんとなく。おしゃれでかけても良いでしょ?」

不思議そうな衛宮くんの顔が鮮明に目に焼き付いて困ってしまう。
君に褒めてもらえたのが妙に嬉しくて、とか。
自分でも理屈のわからない理由を説明するわけにもいかず、曖昧な笑みを返すだけにとどめた。






「---っ、は……」

ふと胃がひっくり返されるような気持ち悪さで目が覚めた。虫の知らせというものだろうか。
窓の外の明るさを見るに夜も更けきっている時間だろう。暗闇の中枕元を探り時計を探し出す。時計の針は日付を超えて少し経ったくらいを指していた。
全身に残る違和感と嫌悪感、焦燥感に知らないふりをして明日に後回しすることも考えたが、どうしても頭の隅に住み着いて離れない。

気がついたら、学校の校門前に立っていた。
コートを着込むような寒さなのに、じわりと脂汗が滲む。視認しなくてもわかる。結界だ。

進んでしまうと、もう戻れない。足を踏み入れれば、 必ず足がついてしまう。
わたしは、わたしを守るために、この場からすぐに立ち去るべきだ。

良いのだろうか。
このまま見て見ぬふりをして、数日間、悪夢が過ぎ去ってゆくのを待って、そのままこの日常を享受するべきだ。

そう。そのまま。

……ほんとうに、我関せずでいいの?




唾を飲む音さえも大きく感じてしまうほどの静寂の中、見知った昇降口へ向かう。

奇妙な気配は校舎から、2階、いや、3階の方からだろうか。職員室を横切らないと到達しない、あまり馴染みのない階段の方角。
一段踏み出すほどに、足首を真下に押さえつけられているような錯覚に陥る。

なぜか施錠されていない玄関の扉をくぐり、月に一度通るかどうかの廊下を進み、久しぶりの階段に足をかけた。

芯から冷え切った四肢に、自分の足跡が響いて震える。

なんだこれ。階が上がるほどに胸が詰まり息苦しくなる。
わたしは霊感とかはないはずだけれども、見えない何かが身体に纏わりついて締め付けてくるのがはっきりとわかる。

それにしても、この感覚は、嘗て触れたことのあるものに近いのだけれど。

(---嘗て?)

記憶を巡らす。本能が、記憶が、神経が、忘れてはならないと警鐘を鳴らす。

女の声が聞こえた。あと、少年だろうか。
踊り場で一旦足を止め、息を殺しつつ気配を探る。

「土御門!?」
「え?」

制服をボロボロにした衛宮くんが、上階に立っているのが見えた。慌てて残りの階段を駆け上がる。

「な、何で、こんなとこに」
「それはこっちの台詞だ!とにかく、そのままここを離れるんだ!」
「何言って、後ろにいるの、どう見ても---」

「へえ、土御門も来たのか」

ぞくり、背中が粟立った。
わたしでも知っている有名人の男子生徒が立っていた。衛宮くんの後ろに。知らない長身の女を携えて。
わたしの記憶が正しければ、面識こそあれ、彼と親しい間柄ということは万に一つもないだろう。
どちらかと言うと立ち位置は間反対の、学校内で女の子たちに人気の彼が、どんな経緯で、わたしを忌々しい目で睨め付けてくるような事態に陥っているんだ。

「もしかして衛宮、ソイツも味方につけたってわけ?」
「ま、間桐、くん?」
「気に入らないなあ。遠坂のみならず、土御門にも手をつけたんだ、おまえ」

値踏みするような目がこちらを睨め尽くす。
ようやっと、遠坂が間桐くんを毛嫌いしている意味を理解した、気がする。でも遅すぎる。

「手をつけたって、わたし、全然関係な」
「ライダー。あいつら、殺せ」
「了解しました」

ライダーってなに。

「逃げろ土御門!」
「衛宮くん、こそ!っていうか!何してたのこんな時間に!」

衛宮くんに引っ張られるようにして廊下を突っ走る。全力疾走しながら問答なんて出来たもんじゃなく、無我夢中で廊下の先の階段を駆け降りる。

女の足が床を蹴った音と同時に、一瞬で距離を詰められた。

心臓を圧迫する威圧感が全身を巡る。

(やば、何、はっや……!?)

咄嗟の回避なんて間に合うはずもない。
一般人の域を出ない程度のわたしじゃ、こんなの、一方的な蹂躙と言うに相応しい境遇だ。
視認できないほどの速さで女の蹴りが眼前に迫り、

「ーーーッ!」
「土御門!」

声にならない悲鳴が喉の奥で潰される。
ぎゅうと温かい何かが身体に巻きついた。
けたたましい硝子の破壊音が耳を刺し、

気がつけば、目の前に、校舎の外壁が存在していた。


「う、わーーーー!」

気持ち悪い。内臓がふわりと浮いているような感覚に酔いそうだ。
ただただ迫り来る地面を視界に入れながらも、なすすべもなく、

無我夢中で、目の前の熱にしがみついた。



もやがかかった思考の中、必死に意識を巡らせる。

落ちた。校舎の窓から放り出され、そのまま落下した。


視界が、じわりと赤く染まっている。

「土御門、どこだ……?」

舌が回っていない、弱い声に血の気が引いて、意識が一気に引っ張り上げられた。

「え、みや、くん」

落下の衝撃でふっとばされた。彼の気配は左側にあるが、自分の身体が起こせない。
腕が、頭が、脚が、何もかもが人形の如く取れてしまっているんじゃないかと錯覚するくらいに熱い、重い、動かない。

ようやっと、寝返りを打つようにして後ろを向いた。
焦点のあっていない瞳、流れでる、飛び散る、赤い何か。

「……あ」
「っ、無事、か……」

ひゅうと鳴ったのは誰の喉か。
地面に投げ出されている節くれ立った手が、私の頬をなぞるように触れた。

文字どおり、目の前の彼の胸が展開していた。
まるで骨の代わりかのように、身体の外に向けて、刃のようなものが飛び出している。

「やだ、止め、血、とめないと」

動かない、動けない、熱い、溶ける、

「土御門、逃げ」

ああ、聞かなければならないのに、助けなければならないのに。
直面した惨状と、頭上からの襲撃に、わたしの心は止まったまま。 




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