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海事都市グリニッジ

Liberty means responsibility.


 隣の牡丹が身を固くしたような気配がした。唇を引き結んでいた彼女は目を険しくして、

『いや、私たち探偵じゃありませんし。専門の人に頼んだ方が良いのでは?』

 二の句が継げない俺とは対照的に、こういったときの対応は素早いものだ。全貌が明らかでない事態に足を踏み入れかけた場合には逃げるに限る。これが彼女のモットーだと言っていた。
すぐさま断りの意思を示唆した牡丹に言い寄らんとばかりに天文台長が身を乗り出した。僅かに身を反らしてしまったのは本能だろう。

『それが、犯人の輩には目星をつけていまして』
『はい?』
『その不届き者というのが、2か月前に時計塔から紹介されて一時期雇っていた学生なのです、レディ』
『はあ……』

事情が読めた、苦々しく吐き捨てた牡丹に心底同情した。辛うじて日本語で呟いたのはきっと、まだ自制が効いている証拠だ。それでもあまり褒められたものではないのだが。
公の場、もしくは改まった場には不相応な態度をありありと見せつけたにも関わらず、天文台長は気にした風もなく困ったように視線を彷徨わせる。

『一般人ならまだしも、「その道」の奴を捕まえるのは骨の折れること……』

 ここで牡丹の反応を探るようにこちらを見てきた。こんな思惑の駄々洩れの交渉(脅し)なんて久しく吹っ掛けてくる奴などいなかった。良くも悪くも大胆な人間である。やるんならもっと巧妙に策を練ってほしいものだ。
要するにアレだ。時計塔の不備は時計塔で処理しろと、そういうことだ。厳密に言えば牡丹や俺は時計塔に属しているものではないが、そこまでの事情は外部の人間にはわかるまい。言わば後始末を押し付けられているも同然である。

『言いたいことはわかります。ですが、なぜ私たちなのですか』
『とある筋から貴方たちのことを小耳にはさみまして。女性ではあるが、やり手の方がいらっしゃる、と。おまけにトラブルバスタ―も同行しているとか。厄介ごとに対処するにはもってこいだと』
『……』

あ、今牡丹の機嫌が悪くなった。それを直ぐに肌で感じ取れるほどには彼女と過ごしてきた、喜怒哀楽を察することくらいはお手の物である。
とある筋などと茶化さずに、素直にロードと言えばいいものを。やけに回りくどい男の口ぶり、ころころと変わる彼の表情に少し違和感を覚えた。

『かのロードの子飼いの貴女ならば、後れを取ることもないでしょう』

ぴくり、牡丹のこめかみが一瞬引きつったのがわかった。穏便に話を運びたいのならば、今の彼女に対して一番言ってはいけない言葉だった。
牡丹は「ロードの子飼い」と呼ばれることをひどく嫌っている。それもそのはず、彼とは持ちつ持たれつの関係を築いているだけに過ぎないからである。今この地に立てているのはひとえに彼女の努力の賜物だ。仕事として彼とギブアンドテイクの関係があるだけであり、ロードに師事したとか彼の研究室に世話になったとかそういう事実は存在しない。
端からではそう見えてしまう、その事実は理解しているのだろうがそう割り切れるものでもないらしい。本人曰く「魔術使いとしては私の方が幾分か上なのに、あの人に育てられたとか好き勝手言われるのはいや」だとか。なんだかんだで引けない部分なのだろう、魔術師としては半人前でプライドもへったくれもない俺にはわからない世界である。

『そうですね。あんな出会い頭にケンカ吹っ掛けてくるような男、そのまんまにしておくわけにはいきませんから』

 目の前の男は、手を揉みながらさっぱりと笑った。行動は兎も角、表情から察するにどうもそこまで焦燥していないように見受けられる。さっきまでの焦りは演技だったのか、それとも想定外の事態に一周回って落ち着いているのか。それにしても、自分の団体の所有物が盗まれたことにそれほど頓着していないように思えた。

『いやはや、もう目星が付いているとは侮れませんな、レディ』
『それはどうも。……どうして襲撃にあんな目立つ場所を選んだのかはわかりかねますが』
『誤魔化す場所として最適だったのでしょう。本気の貴女に手を出されては逃げられるものも逃げられませんからね』
『まあ、そうかもしれませんけど』

ケンカを売られているとまでは言わないが、面倒ごとを吹っ掛けられていることはなんとなくわかる。言葉の端々から感じられる敵意に似た何か、殺意ではない。政治家が権力闘争をしているときのような、あからさまに「嵌める」意図を持って依頼をしてきているのは俺にでもわかるのだから牡丹はひしひしと感じとっているだろう。
彼女をエルメロイ派の人間とみなして敵視しているのか、それとも女子だからと無意識に下に見ているのか。天文台長の真意は測ることができないが、どうも場の流れが良くないことが気がかりだ。

『申し訳ありませんがレディ、頼まれてはいただけませんか』
『わかりました、引き受けましょう』

 もう逃げられないと判断したのか、牡丹は渋ることなくあっさりと承諾した。

『ああ、ごめんなさい、一つだけ良いでしょうか』
『何ですか?』
『―――私、あの人の子飼いなんかじゃありません。ロードに個人的に頼まれたからここにいるだけ。それをお忘れなく』

きっと、謝罪なんて要求していない。これはほんの少しの意趣返しと言うものだ。目を丸くする天文台長に背中を向け、堂々と踵を返す彼女は実に立派だった。
相手がどんな立場であれ、引かずに対峙して笑う気丈な彼女。こんな小さな背中にどれほどの胆力があるのか、普段にこにこと愛想よく笑う彼女からは想像もつかない。

ああ、俺、牡丹のこういうところが好きだなあ。


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