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海事都市グリニッジ

I'll show you the way to Heaven.


 言ってしまえば、こうやって誰かに奇襲されるのも珍しいことではない。
 「行こ?」なんていつも通りの明るさで言い切った彼女の背中を追ってホールを通り抜けた。結界の効果が切れたのか、閑散としていたホールにも人気が戻っていた。あんなにもグラグラ揺さぶられていた割には、博物館の内部にはヒビの一つも見られない。その筋の魔術師じゃないにしろ、それなりに優秀な奴だったんだろう。

 海事博物館の裏の丘を登れば、八角形の旧グリニッジ天文台にたどり着いた。上には丸い報時球がある、赤レンガに白い窓枠や手すりが映える洒落た建物だ。グリニッジ標準時、日本でいうところの本初子午線が存在するという観光名所である。快晴のためここから見えるロンドンの景色は見事の一言だ。外国から来たであろう観光客をはじめとした大勢の人でにぎわっており、うっかりすると人並みに攫われて迷子になってしまいそうだ。逸れてしまっては置いていかれかねないので牡丹の手を取っておく。

「牡丹、ここからどこに行くんだ?」
「ええと、天文台の旧本館に行けって言われたんだけど……」
「旧本館って、確かエアリーの子午環のところだろ」

このエアリーの子午環というのは、かつての天文台長であるジョージ・ビドル・エアリーが子午環という観測機械を設置しグリニッジ標準時を定めていたというもので、ここも観光名所らしい。その当時の本館の窓を中心として観測していたそうだが、その後世界共通の子午線(いわゆる本初子午線)が別の場所に定められてからお役御免になったとか。

「すごい、士郎詳しいね」
「……触りだけだが、さっき見たパンフレットに書いてたぞ」
「え、あ、そうなんだ。考え事してたから読んでなかった」

そう言われれば、さっきまで牡丹は真剣な顔をして黙り込んでいた。さっきの妙な訛りの英語を話していた襲撃者について思案していたのかもしれない。
若干方向音痴の気がある牡丹を先導して、地図とにらめっこしながら旧本館に足を向ける。

「ここ?」
「恐らくは」

黄色味がかったレンガ造りの古めかしい建物である。とはいっても、中世あたりに建造されたものと比較したら新しめのものではあるのだろうが。入り口横の看板には「→SHOP&EXIT」と書いてある。ここから道なりにすすんでいけば土産物屋かなにかと出口だろうか。
しかしまあ、何というか一言で言うと地味な場所である。本当にここであっているのか。首をかしげる俺とは裏腹に、牡丹は迷いなく扉を開けて建物に入っていった。いつもの通りの正面突破。こういう時の牡丹の行動は大胆だ。慌ててその背中を追いかける。
入って直ぐ右、受付と思わしきカウンターに制服の女性が座っていた。牡丹がいかにも道を尋ねるかのような軽さで彼女に話しかける。

『すみません。とある男の使いで参ったのですが』
『男?』
『ロードの使いが来たとお伝えください。それで用件はわかるはずです』
『畏まりました』

一般人からすれば、きっとROADなのかLOADなのかすらサッパリだろう。仮に受付嬢がその筋の人間で牡丹が言っているのが君主(ロード)だと理解したとしても、思い浮かべるのは(表向き)名門貴族を指し示す方の「ロード」に違いない。しきりに首を傾げた受付嬢は内線電話を手に取り、一言二言発したところで受話器を置いた。
そちらにお掛けになってお待ちください、メガネをかけた誠実そうな見目の彼女によって事務的に指し示された先には簡素だが座り心地の良さそうなソファー。いったいどういう客なのだろう、そんな疑問が奇麗に現れている受付嬢の怪訝な顔がいやに印象的だった。

二人並んで座って待つ。じっと座るのが苦手な牡丹は退屈そうに足をバタバタさせていた。「今何時?」「昼前」、「遅いねー何分経った?」「まだそんなに経ってないぞ」この2つのパターンの会話を繰り返し、牡丹が頬を膨らませたところで見るからに品のいいスーツに身を纏った初老の紳士が早足でやって来た。やってくる際に走るのでなく早足なのがいかにもこの国らしい。

彼がこちらに辿り着くタイミングで牡丹はソファーから腰を上げ、慌てて俺もそれに倣った。

『お二方、ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ』
『はあ。どうも』

恭しく手を差し出す紳士に、牡丹は笑みだけを返して足を進めた。こういうところが淑女らしくないと言われる所以である。もっとも、こういう時の作法を承知している上で無視しているというのが彼女の主張するところだ。「時と場合によるだけだよ」なんて彼女は言うが、初対面の相手は大概良い顔をしないのが事実。知り合っていくうちに彼女の人となりを理解する人もいれば、極東の島国固有のルールだと間違って思い込んでいる人と反応は様々である。どちらにせよ大抵の人間は彼女の仕事ぶりを見て舌を巻くのだから、牡丹は本当にわからない。
目の前の紳士は特に気を悪くした様子もなく、ニコニコと笑みを携えている。ロビーから奥に進み、右手に曲がって2つ目の小さな扉の鍵を開く。歳の割にしっかりした足取りの彼は『おふたりとも、足元にお気をつけください』と注意を促して下の階層へ続くと思しき階段を降り始めた。

「地下なんてあったのか」
「だってここ、魔術結社だもん」
「……え?」

「旧王立天文台の地下に魔術師が潜んでいるなんて、面白いでしょ?」

悪戯が成功した時のように、牡丹がくしゃっと笑った。なるほど、観光名所で人通りが多い場所ならば盲点と言えなくもない。

◇ ◇ ◇

ロビーのソファーより質が良いと一目でわかる、ふかふかの座り心地のよさそうなソファーがある小さな部屋に通された。応接室として使っているのだろう。洒落た調度品の数々や部屋の狭さを鑑みるに、あまり実用性に長けている部屋ではないと思われる。

『ようこそいらっしゃいました。第22代天文台長、リチャード・ダイソンと申します』

ここに案内してきた男がいわゆる組織のトップらしい。公には「天文台長」という役職は無くなっているが、この結社内でのトップの名称として受け継がれているそうだ。
幹部じきじきに客人を持て成すのは伝統か、牡丹がロードの使いであるという建前故か。銀髪に碧眼の彼はこちらがソファーに腰掛けたのを確認すると、礼を尽くすように名乗り紅茶を勧めてきた。

『お初にお目にかかります、サー。ロード・エルメロイU世の総代として参りました。ええと……』
『ミス・土御門でしょう。お噂はかねがね』

なるほど、ロードに牡丹の人となりやら性格やらを聞いていたらしい。無礼とも言われそうな彼女の所業を笑って流したのにも納得である。

尤も、牡丹の名誉のために付け加えておくと、「必ず守らなければならないライン」はきちんと弁えている。フォーマルな場で挨拶をしたりだとか、エルメロイU世以外のロードに会った時だとかはしっかり礼義正しく振る舞い、必要があればエスコートもきちんと受ける。そんな機会は滅多にないが。
しかしどんな立場の相手に会ったとしても媚びを売るでもなく淡々と話す彼女の姿は圧巻の一言で、ホームであるアパートメントやロードの研究室にいる時とはえらい違いである。アパートメントにいるときはニコニコ笑っていたりベーっと舌を出したりと表情豊かだが、ロードの部屋にいる時は最上級の笑みを浮かべながら生き生きと嫌味の応酬をしている。U世相手に遠慮のカケラもなしに発言するのだから気を許しているんだか仲が良いんだか。

『それで。隣のミスターは……』
『はい。シロウ・エミヤと申します』
『ああ、レディのパートナーの。本日は宜しくお願い致します』
『それで、ロードが借り受けたいという望遠鏡なんですが』

 遮るように牡丹が口を開いた。早速とばかりに本題に入る牡丹は世間話のひとつにも付き合う気がないらしい。
もっともである、彼女はさっさと話をつけて時間を作り、輸送する前に海事博物館を訪れる気満々なのだ。天文台長は困ったように笑い、手にしていたティーカップをソーサーに置いた。

『はい。承知しております。今持って来させるのでお待ちください』

手元にあった小さなベルを鳴らし、やってきた黒服の男に一言二言発すれば彼は一礼してすぐさま引っ込んだ。天文台長は『狭い場所ですが少々お待ちください』とゆったり構えている。
それにしても、この様子だと件の40フィート望遠鏡をここに持ってくるのか。解体しているとしても部品は小さな応接室には入りきらないだろうに。この疑問が通じたのか、牡丹は探るように天文台長に問いかける。

『サー、望遠鏡は40フィートあると聞いているのですけれど』
『ええ、組み立てた望遠鏡の大きさは大凡そのくらいですが、ロードにお貸しする主鏡は精々48インチですよ』
『あ、そうなんですね』

やはり、全てをもっていくのではないらしい。48インチの凸面鏡、約120センチメートルって所か。それでも並みの望遠鏡よりも大きいもので結構重さもあると考えられる。おそらく梱包してあるだろうそれを車で運んでも良いものだろうか。そこを確認しようと口を開いたところで、

『て、天文台長、至急お耳に入れたいことがあるのですが……!』

お世辞にも客人の前でするべきでないような、乱暴な力で扉が開かれた。顔を出したのは先ほど天文台長の言いつけで望遠鏡の主鏡を取りに出ていった黒服の男だった。
一瞬にして天文台長の顔色が悪くなる。なにか不都合なことでもあったのだろうか、そう邪推したところで苦しげな笑みを浮かべた彼がこちらを向いた。いかなる時も紳士たれ、そういうことか。流石は英国紳士、すさまじい根性である。

『失礼、少々お時間を頂いても?』
『構いませんよ。元々お願いしているのはこちらですから』
『お気遣い、痛み入ります』

レディをお待たせするのは心苦しいのですが、困ったように付け加えた言葉は余計なんじゃないだろうか。壮年の紳士がそそくさと部屋を後にしたのを確認して直ぐ、むっと眉を寄せた俺に気付いた牡丹は眉間に人差し指を押し付けてきた。しわが寄ってる、小さく呟いてぐいぐい押してくる彼女の表情も少しだけ暗い。
小さなお返しとして彼女の柔らかい頬に触れ、感触を堪能するようにやさしく引っ張る。嫌がることもなくなされるがままの牡丹は、不服そうに口を尖らせて口を開いた。

「ねーえ、士郎ー」
「どうかしたか?」
「精々100年くらい前の比較的新しい望遠鏡なのに、おかしくない?」

何がおかしいのか、俺には全く不明である。精々100年とは言っても、世界最大を誇った望遠鏡である。それだけを聞いたら普通に桁違いの代物だが、牡丹はそれが気に食わないらしい。

「おかしい……?かつて世界最大の望遠鏡だったって充分すごいんじゃないのか?」
「言っちゃ悪いけど、歴史的価値こそあれども、モノ自体の魔術的価値なんてそんなにだよ。態々専門の人間に運ばせるなんて事しなくたって、適当に誰か教え子とかを雇って運ばせれば良かったんだし」

そう言われれば、今までU世に頼まれた「お使い」は中々ハードなものが多かったように思う。海を渡った先の国に行くなんて日常茶飯事で、こんなに近くの場所を指定されることなんてほぼ無かった。今まで手掛けてきたのは世界に散らばった聖遺物やら礼装やらで、今回のように(言い方は悪いが)単なる歴史的な「遺物」である件は大変珍しい。

「偶にはそういうこともあると思うけど、牡丹が腑に落ちない点ってどこなんだ?」
「そんなの、ロードの説」

説明不足、そう言おうとしたに違いない。度々彼の依頼を受けているが、確かに今回ばかりは不明確な点が多かった。
だがその言葉が不自然に止まった。険しい表情でふいと扉に向けられた視線、小走りに天文台長が駆け込んでくる。先ほどまで優雅に腰かけていた姿はどこへやら、焦燥感溢れた面持ちの彼が大汗を浮かべて口を開く。あれ、小さく胸の中に違和感が芽生えた。しきりに瞬きをする赤い瞳をじっと見つめる。

『レディ、申し訳ありません。お力添えをを頂きたいのですが』
『……何かあったんですか?』

心底聞きたくない、そんな意思が滲み出ていた牡丹の声に天文台長は気が付かなかったようだ。藁にも縋るといった心持ちなのかどうなのか。あまり余裕のない顔からは想定していなかった事態であることがうかがえる。

『お二人が到着する少し前に侵入者がありまして。いつものことですから迎撃隊を派遣して対処していたのですが、今日は存外しぶとく粘り、所蔵品をひとつ持ち去られてしまったのです』
『ええと。それは、どういう……』

知りたくない。そんな本音が僅かに聞いて取れる声音が小さな部屋に響く。
天文台長はこちらを正面から見て、はっきりとした口調で言い放った。

『お貸しするはずだった副鏡を探して頂きたいのです、レディ』

驚きはしなかった。こういう時の牡丹の嫌な予感はだいたい当たるのである。
謀ったな、ロード。心底恨めしそうな牡丹の呟きが確かに聞こえた。



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