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海事都市グリニッジ

Come, my Load Bishop.


 車を運転するのは8割がた俺の仕事である。牡丹に運転させても良いのだが、そこは男の矜持というか助手席で鼻歌を歌いながら外を眺める彼女があまりにも楽しそうだから特等席でそれを堪能したいというか。とにかく俺の我儘で、半ば強引にハンドルを握っている。
 ロンドンでレンタカーを手配してから1時間。グリニッジに到着したのは昼前だった。ロードが許可を取った小さな民家の駐車場に車を停めさせてもらい、取り敢えず徒歩にて目的地であるグリニッジ天文台に向かう。
 
「あれ、あの帆船。カティサークっていうんだって」

古めかしい灰色の石畳の上を足取り軽く歩く牡丹が指さす先には、大きな貨物船が存在感を放っていた。あちらこちらに観光客らしき人々が思い思いに写真を撮ったり眺めたりと鑑賞している。なるほど、世界遺産に登録されている地域だけあって賑わっている。流石観光名所って感じだ。時間があったらいろいろ見て回りたくなる景色だった。

「ティークリッパー……ええと、アジアからこっちに紅茶を運んだっていう、いわゆる快速帆船。性能とかには詳しくないんだけど……。うーん、そういう分野は士郎の方が得意そうだね」
「どうだろう、俺も一般常識程度しかわからないぞ。でも確かに、この国も海洋国家と言われてたわけだし、造船や航海の技術とかも優れていたんじゃないか?」

見た目は「船」と聞いて一般人が想像しそうな帆船である。大きな帆に風を受けて動く船は模型とかで度々目にするものと似ているし、ボトルシップとかでこういうのを見たことがある。
かつては輸送のスピードを競争していて、このカティサークはシドニー・ロンドン間を80日足らずで航行したらしい。今みたいにエンジンが動力源で動いているんじゃないのだから、そう考えると大したものである。


 そのまま道なりに進んだ先、芝生の広がっただだっ広い公園の中には大きな建物がいくつも建っていた。さすがは名所、セント・ポール大聖堂やらクイーンズ・ハウスと見どころが盛りだくさんである。来る途中の道のあちらこちらにカフェもあり、休む場所にも困らない。

「すごいなあ、ここらへん一帯が大学の敷地内って。旧王立海軍大学って名前からしてロマンの塊だよ。あっちには国立の海事博物館とかあるみたい」

牡丹本人は気付いているのかいないのか、初めて遊園地に連れて行ってもらった子供のようにはしゃいでいる。魔術を扱う者のサガなのか本人の趣味嗜好なのか、考古学やら歴史学やらに関心がある彼女はこうして仕事がてら観光することも多い。

「いかにもって感じ。錨のオブジェだったり船の模型だったり。格好いいなあ」
「本場だもんな。ネルソン提督とかトラファルガーの海戦とか、世界的に有名なものが多いし」
「お使いとか放棄して見てまわりたいー……」
「確か、博物館の裏が天文台だろ。帰りに時間があれば寄ってみるか?」
「うん!」

本当に、牡丹は何をしに来たのやら。無邪気に頷く彼女につられ、思わず苦笑が漏れた。



◇ ◇ ◇



 博物館正面から裏口に抜ければ、天文台への近道になるらしい。事前にグリニッジの地元住人に聞いていた情報の通りに通ろうとしたところで、牡丹の提案により海事博物館の中を通り抜けることにした。

「……あ」
「牡丹?」

正面入り口に足を踏み入れ、荘厳なホールの装飾に圧倒されていた俺の後ろから、聞こえるか聞こえないかの呟きが漏れた。入り口の扉を抜けた途端に何かに気付いたように立ち止まった牡丹の気配を感じ、不思議に思って彼女を振り返る、と。

きいんと小さな耳鳴り、瞬き一回のうちに不自然に視界が変わった。

絶えず存在していた観光客や博物館員たち、全ての人通りがなくなって博物館のホールに静寂が訪れる。これが異常事態だってのは深く考えなくたって理解できる。
結界か。身を固くした牡丹とふたり、身じろぎせずに気配を探る。

「……」
「……っ」

カツン。

一つ足音が聞こえた瞬間に無意識に魔術回路をひらいていた。腕を通る神経に流れた軽い電流のような感覚、指先がちりちりと痺れを認める。
しくじった、そう言いたげに表情を歪めた牡丹が俺の腕を引っ張り、その右手から放たれた魔法陣の描かれている小さな紙が宙を舞う。

「Fiach(狩れ)!」
「―――」

紙が床に触れるか触れないかの瞬間、牡丹の声に応えるように発光して彼女の使い魔が顕現する。
それが天井に向かって飛び立った瞬間、怒声だろうかと勘違いしてしまいそうなほどの苛烈な音が場を支配した。建物をも揺らす重低音、腹にどすんと響く振動。大きなガレオン船の模型がぐらりと揺れ、そのすぐ傍を光でできた鷲が一羽飛び立っていったのが視界の端を掠める。牡丹の良く使う追跡用の魔術である。博物館を揺らすほどの規模の魔力は半人前の俺にだって気配を感じられる。その魔術痕跡を辿っていき、鷲は常設展示室の方に消えていった。

いくら人払いの結界を敷いた場であるとはいえ、ここは国立の博物館である。魔術に一番理解のあるこの国で、寄りにもよって国家の管轄下にある展示物を破壊し痕跡を残すなど、そんな無茶なことができるはずもない。誰よりも博物館を訪れることを楽しみにしていた牡丹が、ここを手荒に扱うはずもない。
となるとこれは刺客か。それにしても牡丹や俺を狙う奇襲なら状況が悪すぎる。

誰だ。何を考えている、何が狙いなのか。

「―――!」

英語でもドイツ語でもない。もちろん牡丹の声でもない。知らない言語、知らない声音の詠唱が騒音と共にホールに響いた。

若い男の声。どこにいる、どこから来る?

大っぴらに探していることを悟られまいと視線のみで元凶の魔術師を探す。声が聞こえたのならばこの場にいるはずだ。それも、こうも粗末な方法を取るのであれば組織ではなく個人の起こした騒動か。この方法の杜撰さから鑑みると、計画ではなく突発的な行動、そして「その道」の魔術師の仕業ではないように思える。

くい、シャツが引っ張られたと思ったら腕にしがみ付く牡丹の小さな手に力がこもり、思い切り下に引っ張られて背中が丸まった。俺の耳元に口が寄せられて「裏口の右手側、柱の後ろ」それだけを告げて顔が離れていく。

揺れが一定のリズムを刻み始め、感情に任せたであろう魔術の波の終局を感じ取る。ホールの奥、一際大きな柱の陰に確かに人影を見つけた。ぼんやりとだが、どうやら小奇麗な格好をしている男のように見えた。服の雰囲気からだとそれほど年を取っていない、若いのではないかと推測できる。顔ははっきりと確認できないが、明らかに俺たちを視認しているのがわかる。

「……」

確かではないが、今人影と目が合ったような気がした。ただただ振動を続けるだけの地面、向けられた視線が即座にブレたように感じる。
直接攻撃しに来ていない、直感的に悟って人影を睨みつけた。
もしかして牽制のつもりなのか、これ。殺意にしては弱すぎるが、向けられているのは敵意に他ならない。こちらに手出ししてくる様子はない、これなら行けるか。

「っ、」
「待って」

一歩前に出て、魔術を発動させようとした俺の動きを封じたのは真剣そのものの牡丹だった。ぎゅうと握られたシャツ、意思の通った瞳に緊張状態だった筋肉が弛緩した。相手より先に手の内を晒すべきでない、彼女がそう言っている。

牡丹が盾となり、俺は彼女の剣と在る。
―――いつの日か決めた、たったひとつの取り決め。攻撃に特化していない彼女の、至高にして唯一の剣で在ると決めたのは俺自身だ。
「これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある―――」
かつて出会った小さな騎士の、誇り高き台詞が浮かんで消えた。一閃する聖剣の刃が脳裏をちらつく。

握りしめていた拳が、牡丹の手によってゆっくり開かれた。
確かに、ここでは行動を制限されているためにめったなことはできない。相手の素性もわからないために今この瞬間に取れる方法は限られている。そのうえ、公共の場でこれ以上問題を起こせば誰かに気付かれるだろう。数回深呼吸を繰り返し、どくりどくりとうねる心臓を落ち着ける。

 動きがない俺たちにしびれを切らしたのか、人影が大きく声を張り上げた。

『去れ。ここから先に足を踏み入れるな』

忠告のつもりだろうか、聞きなれないイントネーションの英語がホールに響き渡る。

「……フランス訛り?」

不思議そうな牡丹の呟きが聞こえたのか、人影はそそくさと建物の陰に消えていった。





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