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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -



海事都市グリニッジ

If you want to be happy, be.


 夕闇が辺りを支配する。もうじき日が沈んでしまうだろう。昼間にあれほど歩き回っていた観光客も今は疎らにしかいない。
 牡丹は海事博物館に行きたがっていたが、時間的に今回は断念したようだ。ロンドンからグリニッジまでそう遠くないから、暇なときに来ればいつでも訪れることができるということで納得したらしい。賢明な判断である。このまま博物館めぐりなどと言われていたら少しばかり困っていたかもしれない。

 後始末はロードに任せた。シャルル・ベルナールの身柄も彼に引き渡した。同時に別動隊が天文台長リチャード・ダイソンの身柄も拘束しているらしい。これで俺たちはお役御免というわけである。事態の全貌を知っているのは彼だ、断片的にしか掴んでいない俺たちの出る幕ではない。そもそもこの話、ロードを失脚させんとした連中の仕業のようだ。彼が決着をつけるのが筋だろう。

 ロードは俺たちと話し込んだ後、不審に思いシャルル・ベルナールの身辺を調べなおしたらしい。そこからこの事態の矛盾に気が付き、時計塔内のいざこざを解明してからこっちに向かってきたのだとか。本当に仕事の早い人だ。その細い体のどこにエネルギーをためているのか、いつかぶっ倒れそうだ。
 因みに俺たちが借り受けるはずだった主鏡と副鏡は、時計塔の研究室に移動させてあったらしい。これはロードのあずかり知らぬところで、シャルル・ベルナールの担当教授が独自に動いていたのだとか。ロードの権威を失墜させんとする貴族派の教授と天文台長の秘密裏の契約というやつである。俺も牡丹も、そして皮肉ではあるがシャルル・ベルナールも、彼らに騙されていたというわけだ。ベルナールの次男坊に指示を出していたのはその貴族派に属する教授らしい。天文台長のもとにも人員を手配しているそうだ。
 もっとも、この騒動は貴族派の連中の総意ではなくシャルル・ベルナールの師事していた教授の独断であるとかないとか。時計塔の派閥争いも大変である。
一応俺たちにも事細かに説明してもらう権利があるとは思うのだが、(殊更時計塔の勢力図の話においては)牡丹はそれほど追求しなかった。それこそ大まかに犯人やその目的を確認したのみである。本人曰く「権力闘争なんて馬鹿馬鹿しくてやってられない」との事だが、本音を言えばこれ以上介入してロードの弟子(もしくはそれに準ずる立場)と思われるのを回避したかったのだろう。どれほど懇意にしていたとしても、牡丹とロードは雇い雇われの関係でしかない。どこまでも中立の地位を守ることが己の存在意義であると彼女は知っているのだ。お金でつながっているだけ。金の切れ目が縁の切れ目、それこそフリーランスで生き抜いている牡丹の生きる手段である。

 行きに車を停めさせてもらった民家まで、二人並んでゆっくり歩く。さりげなく絡められた指先、牡丹の指は少し冷たかった。

「一言くらい言うかと思った」
「文句?」
「ああ」

 いつもなら、満面の笑みで「ねえ『U世殿』、何かあるのなら先に忠告してくれないと危ないでしょ」とか何とかいっていただろう。なんだかんだで牡丹は言いたいことはきちんと言う人間だ、不満や意見を自分の中だけでくすぶらせることはそう多くない。自分の意思をきっぱり相手に伝えるのが得意なのである。
でも今回は、少し疲れている顔のロードと相対したところで言いたいことを我慢するように口を噤んだ。ぐっと飲みこむような姿はらしくない態度だった。

「まあ、ロードにも色々あるんだろうなって。本当は何を企んでたのか事前に言ってほしいけど、そんなに信用されても困っちゃうし。こんなことに巻き込まれるなんて堪ったもんじゃないけど」

 困ったように眉を寄せた牡丹の表情は、すこしだけロードのそれと似ていた。

「―――あの顔を見たら、何も言えないよ」
「そうか」

 ……お互いに不器用ながらも気遣いあっている、その事実が少しだけ恨めしかったけれど。

◇ ◇ ◇

「ねえ。士郎はさ、どうしてロンドンにきたの」
「えっ?」

 車の助手席に座った牡丹が、ぽつりと零した小さな疑問。咄嗟のことに反応できず、まじまじと隣の横顔を見つめた。こちらに来てからしばらく経つが、こうして理由を問いただされたのは初めてである。
 同じ空間にいるのに、彼女の存在がどこか遠くのように感じた。いつだったか、置いて行かれるのが怖い珍しく彼女が弱音を吐いていた時と同じような感覚だ。とっくの昔に俺を置いて行っている癖に、そんな恨み言は言えやしなかったが。
日焼けのしていない指が、顔の横にある髪の毛一房を弄ぶ。さらりとした黒髪が、澄んだ肌によく映えた。

「正義の味方になりたいって言ってたでしょ。でもそのためじゃないみたい」

 事もなげに投げられた言葉は、思いのほか重いものだった。
 ここにいるのは、有り体に言えば牡丹の生きる意味になりたい、それだけ。ただ、その理屈を盾にして無意識に渡英を決めた。俺のやりたいことは場所を選ばない、だから彼女についていくのが当たり前だと思ったから。それが巡り巡って自分の理想になるのならば、これがとるべき手段だと。遠回りでも、近道でもなく必然だった。
 それを聞きたいんじゃないってことは理解している。しかし、今の俺に牡丹の納得する答えは言語化できない。知っていて問いかけてきているのだろうし、それでいて明確な台詞を求められてるのもわかる。ただ、今答えることができないだけ。

―――私が君に生きる意味をあげるから、衛宮くんのことを引っ張ってあげるから。だから、君は私のことを守ってよ。

 フラッシュバックするのはいつもこれだ。頭の中を占める声が、目の前の少しばかり大人びた表情と重なる。
俺が、これまでどれほど救われたのかも知らないで。儚くも芯の通った彼女の言動に、いつも振り回されてばかりだ。

 大好きなお前の生きる世界を、俺の願いを、共にいるこの時を。他の誰でもないお前を、一番近くで守っていけるように。だから傍にいたいと思った。
 まだ俺は、お前だけの正義の味方になりたいなんて大口は叩けないけれど。せめて牡丹の世界を、災いから守り抜く一助となるように。その一歩となるだろうと、そう判断したまでのことで。

「その……俺、牡丹がとんでもなく好きだから」
「へ」
「だから小さなことだって頼って欲しいし、ずっと傍に居たい。お前の居る世界を守りたくて」
「や、やっぱもうだいじょうぶ……!」

 羞恥心に耐えながら捻りだした答えは、いきなり迫ってきた掌に封じられた。身を乗り出してきて目の前数センチに迫った瞳、視線を合わせれば困ったように逸らされる。恥ずかしそうに赤面しながら口を押さえてくる、未だストレートな好意を受けることに弱い彼女が微笑ましい。目を合わせることからは逃げたが触れ合わせた手は放すことなく、牡丹は俺の胸のあたりに頭を預けてくる。

「……ね、士郎の作ったご飯食べたい、です」
「そっか。早く帰ろう、牡丹」

 ああ、本当に、こういうところが堪らない。
 返答に窮したのか、色気もなにもない台詞を呟いた牡丹に満足感というか優越感を感じたのは内緒だ。

「何笑ってるの」
「俺、笑ってた?」
「うん。今のはちょっと初めてみた」

 それはきっと、俺が享受して良いものかは定かではないが、今が手放しがたいくらいに心地よいものだったからだ。返事に代えて間近に迫った彼女の頬に手を伸ばす。

 まだ俺は、この感情が表す意味を知らないけれど。
 いつの日か全てを許しきることができれば良いと、そう願っている。




―――

Surely it is happy.

Maritime Greenwich: END.

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