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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -



海事都市グリニッジ

Without haste, but without rest.


 地面には、後ろ手に拘束されたシャルル・ベルナールが項垂れている。手首には魔術封じのブレスレットがつけられている。牡丹曰く使い捨ての魔術礼装で、効果時間もそれほど長くない劣化品らしい。
 今はもう一度結界を張り直し、アートギャラリーの大邸宅の庭園の隅で事情を聞こうかというところだ。牡丹は備え付けのベンチに腰掛け、俺はベルナールの次男坊が逃げ出さないように彼の後ろに控えている。最も、戦意喪失して項垂れている彼の様子からはそんな元気があるとは思えないが。

『で、誰に頼まれたんだ』
『言えるわけないだろう、どこの誰ともわからん奴に。……わからないものはわからないんだ』
『わからない?なんで?』

 どうやら、シャルル・ベルナールは見知らぬ人間の言いなりになって動いていたらしい。「ロード・エルメロイU世の子飼いの日本人二人組がいる、そいつらがグリニッジ天文台の望遠鏡の一部を盗むとの情報が得られたから阻止しろ」というのが彼の使命だったそうだ。言うことを聞けば当主も彼の兄も見返してくれるような立場をくれてやる、そんな甘言に乗せられて。それも今までに一度も顔を合わせたことがないらしい。連絡手段は全て手紙、どこの時代の話だと突っ込みたくなる有様である。それも名も素性もわからない相手の言うことをよく信じてみようと思ったものだ。

『どうして、そんな怪しい人間の言うとおりに……』

 思わず呟いた言葉に過剰とも思える反応を見せ、シャルル・ベルナールは耳朶を破らんばかりの剣幕で怒鳴った。

『お前らに何がわかるんだ!』

 しくじった、彼の逆鱗に触れた。慌てて唇を引き結んで小さくなった青年の背中を見つめる。

 それはきっと誰にも言えなかった本音だ。生まれや境遇の違いから共感は出来ないが、その理屈を理解することはできる。名門貴族の子息として生まれて、ほかのどの人間にも吐露できず、それでいて自分一人で抱えきれなかった感情だろう。それがどれほどの重さなのか、経験できない俺にはわからないものだ。

 そして、それを救う手立ても、軽減する手段も俺にはわからない。

『望んでもいないのにこんな家に生まれて、やることなすこと否定されて、何もかもから見捨てられた―――』
『わかんないよ、そんなの』

 遮るような声からは、あらゆる感情が消えていた。空間が凍り付き、全ての音もまた消える。
 地面に伏した彼に向けられた大きな瞳は、今までに見たこともないような冷たさをもっていた。

『君も、誰かの背中を踏み越えて生きてる人間の気持ちなんて、わかるはずないでしょ』

 その声を覚えている。吐き捨てられるような声音に、泣き出しそうな瞳に胸が締め付けられるような気がした。

 二度目だ。そんな顔をさせてしまうのは。一度目も二度目も引き金を引いてしまったのは俺だ。いったい何度彼女を傷つけたら気が済むのだろう。悔やんでももうすでに遅く。

「牡丹」

 口から絞り出せたのは、誰よりも手放しがたい彼女の名前だけ。
 はっと我に返ったように目を開いた牡丹の瞳は、すこしだけ揺れていた。視線をまっすぐに向け、そして小さく項垂れる。

「……ごめん」
「気にしてない。俺の方こそ考えなしだった」
「……そんなことないよ。ごめんなさい」

 小さくかぶりを振った、そんなの誰が責められるってんだ。
 気まずい沈黙の中、居心地が悪そうにシャルル・ベルナールが身を捩る。時計の秒針が一周回るくらいの時間を経て、口火を切ったのはもちろん隣の彼女だった。

『それで、ベルナールの君』
『なんだ』
『聞きたいことがあるの。君が盗み聞きに使ってたコレのことなんだけど』

 牡丹が自分のカバンから袋を取り出して示してみせた。そこに入っているビリビリと破られてバラバラになった紙切れは、先ほどカフェで手にしたティーカップの下にくっついていた紙の残骸だ。フランス語で一言書かれていたメモ用紙、恐らく盗聴に使われただろうそれ。一見何の変哲もない紙だが、彼女はどうも気に食わないらしい。

『これ、自分で用意したの?』
『ああ、まあ……いつも家で使っている便箋で作ったものだが』

 自分の家専用の便箋があるとは、流石は名門貴族である。家紋とか入っているのか、あるいは何らかの魔術的処置がなされているのか。どちらにせよそれなりに手の込んだものだろう。

『裏の魔法陣も?』
『魔法陣?そんなものは知らん』
『……ふうん』

 裏の魔法陣、その意味を図りかねて自分の記憶をたどった。
 確かその紙切れにサインペンで何かしらを書き加えていたが、それと関係するのか。その効力をなくすためにペンを走らせていたのかもしれない。どういう魔術だったのかは知る由もないが。

 黙ったまま向けられる不躾な牡丹の視線にほとほと困り果てたように、シャルル・ベルナールが俺の方を見上げた。
 俺にだってどうしようもない。思案の渦に入り込んだ彼女を邪魔するわけにもいかないのだから。


 ひゅうと一際大きく風が吹いた。頼りなさげに揺れる赤いバラが目を引く。
 それと同時に背後に人の気配を感じ、勢いよく振り向いた。



『すまない。手間を掛けさせたな、レディ』



 ちょうど真正面、上品な庭園の一角にひょろりとした長身長髪の男が立っていた。タバコを吹かして立つ姿は様になっていてテレビドラマのワンシーンのようだ。フードを深くかぶった少女を連れたその男は、小さく煙を吐き出して心底嫌そうな表情を隠そうともせずに佇んでいる。どうも見覚えのあるその男性は、

『ロード?』

 数時間前に端末上で顔を突き合わせて話した、ロード・エルメロイU世その人だった。




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