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「#幼馴染」のBL小説を読む
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海事都市グリニッジ

Stay hungry, stay foolish.


天文台から反対方向に小道を進み、牡丹は大きな建物の前で立ち止まった。

「ええと、多分この辺りかなー」
「さっき通ったな、ここ。Ranger’s house……確かアートギャラリーだったっけ」
「ギャラリー?へえ、立派な庭園もあるしお洒落だねえ」

 俺は芸術方面には疎いので詳しくはわからないが、ここにはどこぞの大佐によって集められたコレクションが展示してあるらしい。茶色がかった優雅な大邸宅には、銀やら宝石、絵画、磁器が並べられているとか。初期の宗教画やオランダ、小さな彫刻がほどこされた象牙、ルネサンスの青銅器、中世からルネサンスにかけての装飾芸術を含む700点もの作品が展示されているという。建物の周りには結構見ごたえのありそうな庭園が広がっていて、ちらほらと観光客の姿もあり、のんびり散歩するにはうってつけの場所だ。……全部観光案内の受け売りだが。

なるほど、その方面に興味関心があればなかなか楽しそうな場所ではある。しかし、妙に男っぽいというかメカニックなものや実用性に富んだものの方を好む牡丹は、そこまで芸術品に惹かれないかもしれない。絵画をはじめとした美術品を鑑賞しているよりは船や飛行機の模型を眺めている姿の方が想像しやすい。
 それにしても、軽く辺りを見渡すがそれらしき人影は存在しない。だからといって堂々と姿を現してきても困るのだが。この辺りは緑が広がっている中にポツポツと建物が建っていて、見晴らしはとても良い。どこにも隠れられそうな場所なんてない、目の前の大邸宅以外は。

「建物の中に工房を作っているって線もあるな」
「可能性は薄そうだけどね。ここあんまり向いていないと思うよ。襲撃されたらアートギャラリー吹っ飛んじゃう」
「あ、それもそうか」

彼の方にそこまで配慮する余裕があるのかは計り知れないが、その言い分にも一理ある。

「うーん……怪しい人はどこにもいないみたいだが。入ってみるか」
「いちおう、そうしてみる?」

あまり気が進まないようだが、このまま立っているのも埒が明かない。
入り口と書いてある看板の矢印に従って進もうとしたところで、周囲に人の気配がしなくなったことに気が付いた。有名観光地である。ここまで来る途中にも多くの人間がいた。突然人気がなくなるわけがない。
立ち止まったところで、牡丹がぶるりと身を震わせた。ピンと張りつめた空気、先ほど海事博物館で感じた気配と同じだ。結界か。一瞬視界が霞んだような幻覚をみた。

『来たな、ジャパニーズ・ドール』
「え?」

振り返ると、邸宅の角に小洒落た金髪碧眼の青年が立っていた。

ジャパニーズ・ドール、即ち日本人形とは牡丹のことだろう。見るからに日本人(というかアジア人)と判断できる外見からつけたのだろうが、やはりあまり良いネーミングセンスとは言えない。牡丹は着物を着ているわけでもないし和風の小物を手にしているわけでもなく、欧米人よりも華奢な体躯ではあるが日本人感は皆無だ。日本語を話していたこと以外は、だが。
彼女の小ささとアジア人の顔立ちや神色を揶揄して言っただろうそれ、さっき時計塔の学徒の青年も言っていた。そんなにメジャーな呼び名なのか。牡丹も結構な有名人である。

『へえ。初対面の相手に対する態度じゃないでしょ、それ。名門ベルナール家の名が廃るね』

(まあ当然だが)余程気に障ったのか、わざと挑発する牡丹に青年が鼻を鳴らす。
名乗りはしなかったがやはり、シャルル・ベルナールその人のようだ。肯定こそしなかったが、否定をする様子もないということは本人なのだろう。

『ふん。盗っ人相手にどうして気を使う必要があるんだ』
『待て、誰が盗っ人だ』
『あの天文台から主鏡と副鏡を盗もうとした教主が遣わした日本人の二人組はお前たちだろう』
『……はあ』
『悪事を働いた人間は相応の罰を受けるべきだ』
『それはそうだけど』

盗っ人は罰せられるべきであるとの理屈に反論するつもりはないが、俺たちを犯人だとして糾弾してくるなんて言いがかりにも程がある。何をどう勘違いしているのかは知らないが、その不名誉な称号を牡丹に向けて言い放つのをやめてほしいものだ。

この男、シャルル・ベルナールは、俺たちが主鏡と副鏡を盗んだと聞いてやってきたようだ。
ということは、天文台の地下の魔術結社にはベルナールの息がかかっているということか?自分たちで隠密に事を片付けるつもりで、それで自由に動ける次男を遣わした、とか。
否、それはないかもしれない。よくよく考えてみれば天文台長は「時計塔の学生」が犯人だとはっきり言っていたし、俺たちが海事博物館で襲われた犯人(=シャルル・ベルナール)が犯人であると示唆する発言をしていた。
「時計塔の不始末は時計塔が尻拭いしろ」と言わんばかりのこの状況、ロードを敵視している人間が、彼を嵌める意図で俺たちをここに遣わしたのかもしれない。罪人の濡れ衣を着せ、あわよくば俺たちを捕らえてベルナールの手柄にしよう、とか。でもそれなら被害者である天文台長が俺たちに犯人確保を依頼するなんて回りくどくて手の込んだことをする必要はないだろう。

それにしても、彼が盗んでいないとなると主鏡と副鏡はどこに消えたのか。

『一体、盗まれたっていう主鏡と副鏡はどこに……』
『何を言っているんだ?お前たちが盗んだものだろう、僕が知っているはずない』
『そんなの、私たちにもわからないよ。こっちが聞きたいくらい。君が盗んだとばかり思ってたのに』

はっと目を見開いた。シャルルの端正な顔がみるみる歪んでいく。
ようやくこのおかしな事態を把握したらしい。端から見てもわかるくらいに血の気が引いていく。憎々し気に地面を睨みつけながら、彼は呻くように恨み節を吐いた。

『何故だ……あの人が、お前ら二人が盗んだって、捕まえてくれば認めてくれるって……!』
『あの人?』

あの人って誰だ。首謀者が他にいるということか。
だが、こちらの問いに返答はない。精神的に参っていたのだろう。荒々しく頭をかきむしり、整えられていた金髪がぐしゃぐしゃと乱れる。

『だから……だから、僕は……』

ブツブツと何事かを呟いている、シャルル・ベルナールの声はよく聞こえない。長い前髪が垂れて表情をも隠す。
彼の危うげに揺れる瞳がこちらを捕らえた瞬間、ぞわりと背中に悪寒が走った。

だめだ、どうしようもなく嫌な感じがする。
縦横無尽に体を駆け巡る熱、身を委ねたら無意識に四肢が動いた。

「牡丹!」
「わ!?」

本能的に危険だと感じた。半歩前にいた牡丹の腕を引く。重心が傾いたのか、牡丹はよろめきながら俺の腕に収まった。
ゆらり。妙にゆっくりと彼の右手が上がる。腕につけられた魔術礼装、華美な腕輪が白く発光した。

「Le sagittaire……!」

小柄な彼の背中に、強靭な体躯の男をみた気がした。
唇が紡いだ綺麗な響きの短い詠唱、弓から放たれた光の矢が襲いくる。猛烈な速度で眼前に迫ってきたそれが、妙にゆっくりとした軌道に見えた。

「Sciath(障壁)!」

間一髪、詠唱と共に360度全方位に展開した盾が第一波を防いだ。ぴしり、僅かに軋んだ無色の盾。

小さく舌打ちした青年に呼応するように、腕の礼装が再び光を灯す。先ほどとは比べ物にならないくらいの大きな矢、俺の背丈ほどありそうな長さのそれが光を集める。

「La vieille lumière traverse le ciel……!」

一歩踏み出した。やるべきことはひとつである。

「投影、重装」

腕を走る血の感覚、
頭を揺さぶる全ての過去(みらい)に、

「奴」が見届けた夢の果てをみた。

「なんだっけ、どこかで聞いた……占い……違う……」

大丈夫。だから待ってろ。
けたたましい音と共に、透明なシールドに30センチ大の亀裂が入る。持ってあと一発。

間に合う。俺に出来ないはずはない。何故なら、俺の隣には乞い焦がれた―――。

―――ついて来れるか。

いつか見た背中は、もう記憶が掠れて不鮮明に。確かに聞いていたはずの声は、意味だけを残して不確かなものに。

でも、アイツの在り方だけは全て識っていた。
お前がいたから此処まで来れたんじゃない。俺だからここまでしがみつけたんだ。

―――当たり前だ。俺はとっくの昔にお前を越えている。

「……I am the bone of my sword.(我  が   骨子   は 捻じれ    狂う)」

手にするのはいつの日か手にした大剣。神話では虹の端から端まで長く伸び、丘の天辺を三つも斬るという。あの時、弓兵の手から放たれ、空間をも捩じ切ったあのひと振り。

「……占星術?……星は夜じゃなくたって存在するから、そういう……、っ!」

答えにたどり着いたのか、勢いよく顔を上げた牡丹の言葉が途切れた。
見据えるは目の前の弓兵。文字通り弓を構えた大柄な男と視線が合った。

剣をもつ手が、懐かしさに震える。

「―――偽・螺旋剣(カラドボルグU)……!」

真横に振り切った得物の先、遥か遠くの地平線。その向こうに、凛とした青い騎士をみた。


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