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海事都市グリニッジ

One today is worth two tomorrow.


 少し時間はかかったが、店員に頼んでおいた食い物が運ばれてきた。20代後半くらいの女の店員に一言礼を言ってから湯気の上がっている皿に目を向ける。
 牡丹が頼んだのは普通のパンケーキ、せっかくなので俺はクランペットにしてみた。これはイーストやベーキングパウダーを使ったパンケーキの一種で、表面に穴が開いている不思議な見た目の菓子である。味がしみ込みやすく、パンケーキと同様に蜂蜜やバター、ジャムで好きなように味付けして食べるものだ。外はかりっと、噛んだら中のもちっとした独特の食感が癖になる。今度家でも作ってみるか。
 ナイフで小さく切ったパンケーキを頬張り、もぐもぐと口を動かす牡丹を前にしてハーブティーのカップを置いた。ロードから送られてきたメールの詳細を携帯端末で確認する。やはり動機が不可解だ。

「どうして主鏡なんて盗もうとしたんだろうな」
「ううん……天文学には疎いからなあ。何したいのかもさっぱり。望遠鏡を復元したかったとか?」
「仮にそうだとして、使用用途はもっと不可解じゃないか?本来の使い方なら星を見るとかだろうけど、そんなの最新のものを使えば済む話だろ」
「むむむ……遺物としての価値ならストーンヘンジとかの方が相応しいのに。お金が不足しがちな学生らしく近場で済ませようとした、ってことでもなさそうだし」

 もっと(魔術的な意味で)質の高い天文遺産なんて山のようにある。古代の天文台に限ってしまったって、有名なものならカンボジアのアンコールワット、ドイツのゴセックサークル、マケドニアのコキノ、エジプトのアブシンベル大神殿、牡丹の言うストーンヘンジとか。天文学とは少し離れるが、望遠鏡そのものにこだわるのならば単眼望遠鏡ならば遺物としての価値も高くなるだろう。かの悪名高い海賊・黒髭の使った単眼望遠鏡とかならばわからないでもないが、最近の望遠鏡(それも主鏡や副鏡)を持ち出すなんてハイリスク・ローリターンなことをするなんて、魔術師として意義が見いだせない。

「金策には困っていないだろ、それなりの貴族の跡取りだしな」
「没落しかけた、だけどね」
 
 ロードからの情報によればこの男、それなりに金持ちのボンボンである。名前はチャールズ・ベルナール。古く中世より、いつぞやの王族の分家筋からのし上がったというフランスの(元)名門貴族ベルナール家の次男である。既に長男が家督を継ぐことが決まっているらしい。次男である彼は少しばかり放任されていて、それが彼のコンプレックスだとか(因みにこれはもう一人の教え子の見解だという)。落ち目の貴族とあって結構苦労しているらしい。まあそうだろう、長男でなければそう金もかけられないだろうし、時計塔で魔術師として名を残そうとしているだけでも良い方である。
 と考えれば金に困ったから小遣い(とはいっても必要経費だろう)稼ぎに手を染めたというのもありえなくはないが……。プライドが高そうな(元)名門貴族の子息がそんなことするだろうか。世間にばれたら実家から勘当ものだ。

 端末に表示された文字を目で追いかけていると、ふと視線を感じて顔を上げた。むぐむぐと口を忙しくしている牡丹の目が俺の目の前にある皿の上に向いている。あ、これは食べたいのだとみた。

「士郎の美味しそう」
「ひとくち食うか?」
「うん!」

 思った通りだ。こういうところはとても分かりやすい。食べやすいようにクランペットを気持ち大きめの一口サイズに切る。イチゴのジャムを多めに付けたところですぐさまフォークが伸びてくるかと思ったが、牡丹の手は一向に動く気配がない。
 視線を向ける。彼女はにこにこ笑ったまま。たっぷり数秒間視線を合わせ、彼女の言わんとするところを察した。あー、えっと、そういうことか。フォークで刺したクランペット、おずおずと牡丹の方に差し出す。

「……っ、ほら」
「わーい。いただきますっ」

 ぱくり、大きく口を開けて牡丹がフォークにかぶりつく。
 ああもう、頬があつい。死ぬほど恥ずかしい。なんだ、なんだって俺はこんなことを公共の場でしているんだ。羞恥に頬が火照っていくが、それすらもう彼女の思うつぼというものだろう。

 幸せそうに目を細める彼女には一生敵う気がしない。これが惚れた弱みってやつか。

◇ ◇ ◇

 これからどうしたものか。件のチャールズ少年(18)を追跡する方法なんてものはいくらでもあるのだが、ここまで怪しい事態に巻き込まれかけているとなると、さっさと仕事を終わらせて帰りたいというのが本音である。どことなく信用できない魔術結社、どうにも動機の読めない盗っ人、挙げていけばキリがない。

「……ねえ。なに、それ」
「え?」

 冷めてしまう前に紅茶を飲みきろうと何気なく持ち上げたカップの裏を凝視している小さな顔に、ずずいと迫られて目を瞬かせる。
飲みきってからティーカップの底の裏をのぞき込む。小さな何かが張り付けてあるようだ。

「紙?」
「メモみたいだな」

 こんなところに紙を引っ付けていたところで、誰が気付くというのか。開いたメモ用紙は手触りが良く、質の良いものだとわかった。
 四つ折りになっていたそれを開く。書かれていたのは一言だけ。こっちに来てからだいぶ英語にも慣れたし、アルファベットで書かれてるのならば俺にも理解できるかもしれない。そう思って読み上げようとしたのだが、読み方がわからない。俺の知っている英語じゃなかった。

「……すまん、わからない」
「何で謝るの。適材適所だよ」

 苦笑気味な牡丹の手に紙きれを乗せる。彼女は俺よりも語学に堪能だ、それでもわからなかったらロードにでも調べてもらおう。
10センチ四方のメモ用紙を裏表と確認してから彼女は文字列に目を向けた。

「Pris.(捕まえた) ――― C」

 フランス語だね、文字を指でなぞって牡丹が呟いた。急いで書かれたのだろう、走り書きのそれのインクが少しかすれている。
 「捕まえた」って何を?俺たちと追いかけっこでもしているつもりなのか、あるいは……。

「わけわかんない……」
「文末に添えられているCって何を表しているんだろうな」
「署名かなあ。チャールズの頭文字からとってC、とか」
「一応筋は通っているが安直すぎないか、それ」
「ううん、そうなんだよねー」

 紳士的、いや洒落たと表現するべきか。少し気障な手口は怪盗を彷彿とさせる。19世紀の犯罪王、犯罪界のナポレオンと名高きアダム・ワースじゃあるまいし。いや、予告状ならばどちらかというとアルセーヌ・ルパンに寄っているか。こちらは空想上の人物だが。

「態々こういうことをしてくるってことは、俺たちを見張っているっていう脅しのつもりか」
「見ているかもしれないけど、私たちには手出しできないと思うよ。よっぽどのことがない限りは、だけど」

 見ているかもしれない、その言葉に身体が強張った。
 それと同時に視界を掠めた端末の画面、ふと思い当たる節があり口を開く。

「なあ、このチャールズって専―――」
『チャールズじゃない!シャルルだ!』
「え?」

 いきなり青年の声が聞こえてきた。聞き覚えがある、これは海事博物館で襲撃してきた人間の物と同じである。一体どこからだ、そう辺りを見回してみるが変な人影は見当たらずどこにでもあるカフェの風景だ。

「んん……?」

 小さく唸った彼女の声に引き寄せられるようにして視線をテーブルに戻す。英語での激昂した台詞に日本語で返答しながら、牡丹は手にしていたメモ用紙にサインペンで走り書きをしていた。もしかして発信源はその紙切れか。
 
『これだからこの国は嫌いなんだ!どいつもこいつも僕の名前を間違えやがって……!』
「ああ。フランスの人だからシャルルってこと。それは失礼しましたー」

 チャールズ・シャルル問題は彼にとって結構深刻なものだったらしい。
 そう言われれば、確かに。シャルルマーニュ伝説とか、フランスの勝利王シャルル7世とかと同じ読みってことだ。もしかしたらフランスの元大統領シャルル・ド・ゴールから取ったのかもしれない。結構ポピュラーな名前である。
 彼の名前、綴りはCharlesだが一般的に英国だとチャールズ、フランスだとシャルルとなる。なるほど、そう勘違いされ過ぎて辟易していたのか。因みに彼の生家「ベルナール」もフランス読みで、英国だと「バーナード」となる。流石に名門貴族の読みは間違えないから、この時点でフランス風に読むべきだと気づけていればよかったのか。とはいっても俺は日本でアメリカ英語を中心に学んでいたし、牡丹だって基本的にイギリスか日本に在住していたのだからあまりなじみがない。ネイティブならともかく、日本人にそこまで求めてくるのは酷というものだろう。
 一人思案を続けていた俺を他所に、牡丹はティーカップに張り付いていたメモ紙に向かって話しかける。

『ごきげんよう、ベルナールのお坊ちゃん。君の声、こっちに駄々洩れだよ?』
『なんっ……うわ!?』

 ぷつり、唐突に声が途絶えた。この紙に細工がしてあったのか。これを媒体にして様子をうかがっていたのかもしれない。牡丹はそのメモ用紙をビリビリと破り、バッグに常備しているチャック袋に入れた。刑事ドラマで遺留品を保存するときに使うような袋である。薬草を携行する時によく使っているこの袋、結構役に立っているようだ。

「盗み聞きか?」
「だーいじょうぶ。私と士郎の邪魔するのはまだ早いよって意地悪したかっただけー。案外近くにいるみたいだよ」
「近く?」
「ええと、あっちに歩いて数分くらいのとこ」

 牡丹が指差したのは彼女の右手方向。この短時間で逆探知をもやってのけていたらしい。
 窓の向こうにはさっき通った小道と見慣れた緑が広がっていた。行きに車を停めた民家のある方である。

「その方角だと、天文台とは真逆だな」
「……そうだっけ」
「一番最初、向こうから来ただろ」
「そう、かも?」

 牡丹がきまり悪そうに視線を外した。酷くはないが方向音痴気味だというのもロンドンに来てから知ったことだ。一人で移動する際は他人に聞いたりちゃんと調べたりするらしいが、傍に同行人がいると任せっきりになるのだとか。二人で動いているときの位置把握は貴重な俺の仕事である。これくらい頼ってもらわなければ同行した意味もないというものだ。
 ほら行こう、誤魔化しているつもりなのか身支度を整えて席を立つ牡丹の様子に、思わず笑みがこぼれた。

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