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結局、意気込んだはいいものの、私に出来る仕事は消しゴムかけくらいしかなくて。直ぐに作業は終わり、何もすることがなくなった。

あまり野崎の家に長居するのも申し訳ない。のんびり歩いて次の電車に間に合うくらいの時間だったから「あ、私そろそろ時間かも」と帰ろうとした。うん、帰ろうとしたんだけど、そこに堀もキリがいいとか何とかで同じタイミングで野崎の家から出ることとなった。
いや、確かにだよ。確かにさっき、帰り一緒だねとは言ったけど。なんで並んで帰ることになってるんだろう。

隣で歩く堀の顔を横目で確認する。今まで並んで歩くことなんてなかったわけだから気付かなかったけど、堀との目線は同じくらい。ってことは背丈、意外と変わらないのかも。私がヒール高めのローファーを履いてるから、実際の身長は少し違うのかもしれないけど。

「長谷部?」
「あ、うん!何?」

びっくりした。名前を呼ばれて顔を向けると、思ったより距離が近くて、さりげなく視線を外す。

「さっきの王子の話って、一体何だったんだ?」

ああ、あれか。
正直記憶から抹消して欲しいくらいだけど、少しでも言ってしまったのなら仕方ない。中途半端に聞いちゃった堀も気になるだろうし。事情を説明するために、一度頭の中で整理する。

「えっと、一年生の時にね、たまたま演劇部の練習してるところに遭遇したんだよ。ほんの少ししか台詞、聞けなかったんだけど」

その台詞が耳に入ってきた瞬間、何かに囚われてしまったかの様に、身動きが取れなくなった。世界にその人と私しかいないような、まさにそんな感じだった。

「ずーっとその感覚が頭から離れなくって。気付いたら忘れられなくなっちゃってた」

何だろう、ファンになっちゃったのかもしれない、なんてね。気恥ずかしくて、少し濁して笑って誤魔化してみたり。
へえ、と感心した様に真顔になった堀が、何かを思い出すかのように視線を上に向ける。何事かを思案するような状態のまま無言になった。

えっ、誰か心当たりの人とかいたのかな。早く知りたいという思いと、このままでいたいという思いが自分の中でぶつかって喧嘩している。

「堀?」
「なんか、少女漫画みたいな話だな」

うん、まあ、そうだよね。そうなるよね。ちなみに、その言葉をかけられたのは堀で五人目だよ。
そもそも、そんな簡単にわかるんなら、他の演劇部の知り合いに聞いたときにわかってるしはずだし。気を落としたりなんかしてないし。

「……いや、ちょっとは期待してたとか言えなくもないけど……」
「ん?何か言ったか?」
「いや何でもないよ!でも、顔も名前もわからないんじゃ、今更探しようがないし、しょうがないよね」

顔の特徴や学年とか、そんなのわかってたら簡単な話だったんだけどな。でも、声聞いただけだし、時間とともに記憶も若干色褪せてきたし。それに、人の演技がどうだったかなんて、割と観客側の主観的な感想・印象が多くを占めるから、同じ人の演技を見ても、人それぞれ思うことには多かれ少なかれ違いがあるわけで。私がこれだって思ったのは「王子様みたいな感じ」って表現だったんだけど、周りのみんながそれで思い浮かべるのは、鹿島の演技なんだよね。
言葉に表せはしないんだけど、鹿島の演じる王子とはやっぱり違うんだよなぁ。そう思っても、それを自分の言葉で表現するのって難しい。
この前やってた劇での鹿島の王子はこう、どことなく余裕があるっていうか。こう、少女漫画のヒーローみたいな感じで。私が二年前に聞いた方は、良い意味で人間っぽい感じだったというか。うーん、役の方向性が違うっていうのかな。

「練習見てたのに、顔わかんねえのか?」
「うん、声しか聞こえなかったんだよ。それに一回きりだったし、そんなに鮮明には覚えてなくて」

そう、ただ、感覚だけ。聞いたときの、全身に鳥肌が立った、あの感じだけはしっかり残っている。
うん、そうだ。これで最後にしよう。一応最後に聞いてみる。これでダメだったら私に知る術はないし。縁がなかったってことで、すっぱりさっぱり諦めよう。すぅ、と大きく息を吸って深呼吸。カバンを持つ手に力が入る。

「堀、心当たりの人とかいない?」
「王子って言ったら、鹿島以上の奴はいないからなぁ……」

だよね。鹿島を可愛がってると噂に名高い堀だもの、彼女の名前以外に出るはずなんてなかったよ。ある意味予想の範囲内の結果、といったところかな。

「そっか、残念。もう一回、その人の演技見たかったんだけどなぁ」

今度はちゃんと、一観客として。舞台に立って、動いているのを見てみたかった、なんて。そんなの、堀に言っても何かが変わるわけじゃないから、言わないけど。

これ以上この話題を続けるのは忍びなくて、慌てて気持ちを切り替える。
野崎の家からここまで、あっという間だった。目の前にはいつもの見慣れた駅。その上、もう直ぐ電車が来る時間だ。ベストタイミング、文句なし、ばっちり。

「あ、そうだ。堀が乗るのは上りと下り、どっち?」
「上り。長谷部は?」
「私も一緒。すごいね、全然知らなかったよ」

仲良しの友達はみんなチャリ通だったり、電車の方向が違ったり。だから、誰かと電車に乗るなんて久しぶりで新鮮だな。行きはクラスメイトに会うこともあるけど、帰りはなかなか一緒にならないし、なおさら。



電車の中は、仕事帰りのサラリーマンやOL、部活帰りの学生で賑わっていた。席は殆ど埋まってしまっていたため、ドアの近くに立って手すりに掴まる。
堀の降りる駅は私よりも二つ後らしい。案外、降りる駅も近かったんだ。これじゃ、私が見逃していただけで、何回も同じ電車で学校に来てたのかも。

慣れないことして、すごい疲れた。ドアに背中を押し付けて、小さく息をつく。暫くそのままの体勢でいると、反対側の車窓から見慣れた風景が見えるようになってきた。もうそろそろ、降りる駅に着くはず。
聞き慣れた車掌さんのアナウンスを合図に、電車のスピードがどんどん下がっていく。定期はポケットの中、携帯はバッグの中、忘れ物なし。うん、完璧。

「じゃあ私、ここで降りるから。今日はありがとうね、ばいばい」
「また明日な。帰り道、気を付けろよ」

ぽん、と軽く背中を叩かれる。お子ちゃまじゃないんどから大丈夫だよ、なんて憎まれ口を叩いて、べえっと小さく舌を出した。

電車が動き出した。見えなくなるまでホームで見送る。誰かに手を振って、そのまま電車を見送るなんて、なんだかくすぐったい。
時計を確認。あとちょっとで夕飯の時間。今日はこのまま真っ直ぐ帰ろう。家に向かう足取りは、いつもより少し軽かった。


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