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現の夢を想う




校庭から生徒の元気な声が聞こえて来た。今日もまた、普段通りに校舎の時間が動き出していくのに、誰もいない教室、俺たちの周りだけ時間が止まっている。

「突然でごめんね」

まるで、何でもないことのように謝る彼女はいつもの表情のまま。ひやりと吹き付ける風に髪がなびいて、ふわり、頬をかすめていく。
どういうことだ。視線を真っ直ぐに向ける彼女、逸らせない瞳、本音が読めない。

「何で、急にイギリスに……」
「だって私、元々あっちに住んでたし。理由は、まあ個人的なことから仕事のこと、家のこととか色々あるのだけれどね」

風に乱れた髪を軽く手直しした土御門が、一呼吸置いた後、小さな拳で俺の胸を小突いた。言峰やサーヴァントたちを相手取り堂々と立ち振る舞ったとは思えない、ただの女の子の手だった。

「衛宮くん見てたら、私も立ち止まったままじゃだめだなって思ったから」

人に先を見るようけしかけておいて、自分だけ何にもしないのはカッコ悪いもんね。そう呟いて土御門はくっつけたままだった拳を離す。

誰よりも、見たいと渇望していた笑顔だった。世界の誰よりも、何よりも、失くすのが惜しいと思ったものだった。

そんなの、俺に止められるわけがない。
自分が守り抜くと決めた大好きな女の子が、こうやって前に進もうとしているのを邪魔することができるはずもない。

「そうか」
「うん」

行くな、とは言えなかった。彼女が望んでいる言葉は、そんなものではないと理解してしまった。
ずっと側に、この手の中に。そんな独りよがりな言葉が言えれば良かったのに。

「……ほんのちょっとだけ残念だけど、それを今私が言うのは卑怯、か」
「土御門?」

何でもない、そう言って彼女は何かを振り払うかのようにかぶりを振った。

「君は止めないって、私、信じてたよ」
「……っ!」

狡い。今このタイミングで、そんな信頼しきったような台詞を吐く土御門には、一生勝てっこない。

「今まで俺が散々我儘を言ってきたんだからな。今度は土御門の背中を押す番、だろ」

そんなもの、ただの言い訳にしかならない。止めることのできない、一言「行かないでくれ」とすら言えない自分が情けない。心は彼女が渡英することを止めたいと叫び、理性は彼女がやりたいことを出来るようになったことを喜ばしいことと思い。
そして、何よりも優先したい感情を噛み殺している自身に、どうしようもなく泣きたくなった。

「うん、そっか。ありがと」
「でも。だから、その……。くそっ」

制御出来ない両腕が、無我夢中で土御門の身体を掻き抱く。少しだけ跳ねた肩、躊躇いがちに俺の背中に回された手が何とも彼女らしい。

ああ、やはり彼女は一歩先を進んでいる。
未だお前には追いつけていない、行くなとも言えない半端者でしかない。

そんな俺でも、せめて、少しだけ足掻くことは許されるだろうか。最後に、もう一つだけ我儘を言っても良いだろうか。意気地なしの俺が、精一杯彼女に自分の意思を伝えられる我儘を。
華奢な身体を抱きしめる腕に、名残惜しむように一度だけ力を込め、ゆっくりゆっくり離していく。

「あの。衛宮くん?」

そして、再度彼女に伸ばした手は、案外震えてなどいなかった。ゆっくりと土御門の前髪を少しだけ横に流し、何が何だかわからないといった目をした彼女の表情を記憶に焼き付け。

「……っ!?」

いつも不意に心を乱してくる彼女が、どこに居れども絶対に俺のことを忘れることのないように。いつだって身体のどこかで俺の感覚が残り続けるようにと。

ちゅ、と音を立てるように唇を奪う。

開けっ放しの窓、揺れ動くカーテン、倒れた鞄、吹き付ける冷たい風、そんなのどうだっていい。
ただ、彼女の温もりを感じたかった。こうやって唇を重ねた事実が土御門の中に残りますように、そんな自分勝手な言い訳を重ねる。

この世に自分たちしかいないと錯覚するような長くて短い時間は、土御門が控えめに俺の胸を叩くことによって終わりを告げた。
大きく肩を上下させて呼吸をする彼女の様子が、やっぱり、どうしようもなく愛おしい。

「……ずるいよ。衛宮くんは、ずるい」
「悪いか。俺だって必死なんだからな、ばか」

このまま二人で、どこかに行ってしまえれば良い。そんな、出来もしない夢を見た。

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