「ねーえ、えみやくん」 背中におぶった彼女の、どこか夢を見ているかのような声音が鼓膜を震わせた。首にまわされた手は冷たく血の気が失せている。学校から連れて帰ってきた時とは違い、土御門の意識があることがせめてもの救いだ。 あり合わせのシャツの切れ端で応急処置として止血したが、一刻も早く手当てをしなければならない。近くの病院に駆け込みたいが、この時間に普通の病院が開いているわけもなく。救命救急センターに行けないこともないが、どのようにして腹を抉られたかの説明ができるわけもない上に病院に行くこと自体を土御門に止められた。 頼みの綱は衛宮邸にいるはずの遠坂だけ。帰り着くまでの暫くの間、土御門の意識を繋ぎとめておかねばならない。 「土御門?」 「えみやくんの背中、あったかいねー」 夢と現の狭間にいるのか、間延びした話し方は普段よりも数倍幼く聞こえる。どこかを掴むこともなく、宙に投げられたままの彼女の両腕はぶらりぶらりと揺れるのみ。力が入らないのか、それとも神経がやられてしまっているのか……そこまで行き着いた後に考えるのを放棄した。 返す言葉が頭に浮かばない。返事の代わりに土御門を支える手に力を込める。直に触れる肌は仄かに汗ばむ、それだけが確かだった。 真冬の真夜中、薄着のまま外を歩く俺の背中が温かいものか。そんなの、血の気が引いている土御門の身体が冷え切っているだけだ。この寒空の下、腹から血を流した彼女の体温は下がるばかりだろう。 一秒でも早く帰る、やるべきことはそれだけだ。無我夢中で足を動かしながら、発される一音一句を聞き逃さないように耳に意識を向ける。 「わたしねえ、君に謝らなくちゃいけないことがあるの」 「別に俺、お前に何もされてないぞ」 「ううん。いままで後ろめたいことしかしてきてないんだよ」 えみやくん、私に騙されちゃってるかもね。そう呟いて笑った気配が感じられた。 そのまま土御門は小さく息をつき、緩慢な動きで腕を持ち上げ、 「衛宮くんのこと、ずうっと前から知っていたよ」 「―――え」 「衛宮切嗣の息子で、一人暮らしで、料理が上手い高校生の男の子。衛宮士郎っていう名前の君に、どうしても会いたくて近づいたんだから」 会いたくて、ってそれ、どういう意味なんだ。 謝りたいこと、そう前起きしたにしては全然深刻でも何でもないように思えるのは気のせいじゃない。言葉通り好意的に解釈していいものなのか、もしくは魔術師として気になるだけという牽制であるのか。確かめるべきかどうか、暫しの間逡巡し……。 「なんて、ね」 「土御門?」 「こんなこと、言っても困っちゃうか」 困るというよりは、意味を捉えかねているというべきか。 「待っててね。いつか、必ず、私……」 ぷつり、独白はそこで途切れてしまった。 急がねば、その一心だけで足を進める。 悪かったとか、申し訳ないとか、そんな言葉じゃもう足りないのだろう。 自分のために彼女が身を投げ打つのは、二度と見たくなかった。 「これ以上は傷つけないから、だから……」 だから、どうかひとときの安らぎを。 ゆっくり休んで、傷を癒して、休息の後に目覚めたらーーー穏やかな日々が彼女を迎えますように。 「もう十分だ、土御門。今度は俺が何とかする番だからな」 さらに彼女を踏み込ませるのは、男としての矜恃が許さないというか、何というか…………。 「自分勝手、そう言われたって止まるもんか」 誰かが自分のために傷つくのを見たくない、その感情が間違っているはずがないのだから。 [*前] | [次#] [戻る] |