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持たざる者の幸福




認めてしまえば負けだ、色々な意味で。

彼女をこんな所に居させるのはよくないし、これ以上聖杯戦争に関わらせてはならない。
脳内で警鐘を鳴らすのは本能か、それとも奴の残した言葉に引っ張られているためか。どちらにせよ感情の理由なんて考えるまでもなく、取るべき行動だって迷うはずもないくらいに明確だ。

「土御門は、」

『彼女は、貴様の予想以上の大バカ者だ』

―――煩い。そんなの、俺の方がずっとずっと知っている。

強くて、頑固で。それでいて歪で儚い、目の離せない困ったヤツで。

「……衛宮くん?」

息を呑んだ。放つはずでなかった名前が溢れ出て、それが耳に届いたであろう土御門の視線とぶつかった。

曲げない意思を体現したような瞳。土壇場で大口を叩いて笑みを浮かべる唇。華奢なくせしてボロボロな腕。切り傷が痛々しい、柔らかくて小さな掌。風に揺れて靡くつやつやした髪。
丸ごと全てを繋ぎとめておきたい、この身には過ぎた願望も捨てることすらできずに胸の内に燻らせている。
彼女に手を伸ばすなんて、そんな身の程を弁えないことなど出来やしないのだが。
せめてこの瞬間くらい、一番近くに居ることは許されるのだろうか。



「やはり、貴様は生かすべきではなかったな」

心なしか浮ついていた思考回路が小さく震える。光のないどこまでも続く黒の眼光に、土御門の背中越しに射竦められた。
言峰綺礼の台詞の真意、それが汲み取れない。想定外の横槍に思考が奪われ、意識がひょいと逸れた時、

「衛宮くん、あ」

声が不自然に途切れた。ふらり、倒れこむようにして土御門の姿が視界から消える。

誰の立ち位置も変わっていなかった。言峰、土御門、ランサー、そして俺も。

「言峰、テメェ……」

ランサーの地を這うような怒号が、どこか遠くのように思えた。
鈍い銀色の刃が彼女の横腹から突き出ていて、

「……ったぁ……」

ごぼり、赤い液体が零れ落ちるのを見ていることしかできない。

音が消えた。色も消えた。感覚も全てが飛んだ。頭の中で弾け飛んだ何かが、身体中をかき乱す。
違う。覚悟が足りなかったのは俺だ。生半可な気持ちでここまで来て、何の想定もしていなかった結果彼女を傷付けて。

何をするべきか、そんなの決まっている。

「令呪を持っ……」

来い、とセイバーを呼ぶはずだった。



「Fhios ag Gaoth léir(全ては我が手の内にあり)―――!」
「……っ!?」

ガシャン、何かの割れる音とともに照明が消えた。不意におりてきた暗闇が視界を奪う。彼女が灯りを全て破壊したと気付くのに数秒かかった。
鉄の匂いが鼻腔をくすぐる。何かの破片が立て続けに音を立てる。今得物を出したのは、地を蹴ったのは、備品を破壊したのは誰だ。幾つもの動いている気配に全ての神経を向ける。

「っ!」

一瞬だけ発生した光の下、浮かび上がったのはどこまでも澄んだ黒い瞳。


再び何処からともなく飛んで来た言峰の得物を魔力の塊をぶつけて逸らしたのは、倒れ込んでいたはずの土御門だった。言葉を放つのを遮るように口が彼女の手のひらで覆われている。唇にあたる柔らかく白い手を退けることも出来ず動けもしない。数センチ先、手を動かしてしまえば触れられそうな華奢な肩が目に毒だ。わずかな息遣いも、汗で額に張り付いている髪も、触れ合っている熱も、しっかりと見えないはずなのに鮮明に浮かぶ肌も。

目が慣れてきて窓から差し込む月明かりを当てに互いの位置が知れた頃。薄らぼんやりとしか表情が見えない中、土御門は緩慢な動きで身体を離し、

「私が何の策もなく、こんな所に来るわけないでしょ。言ったじゃない、後悔するといいよって」

この言葉の矛先は言峰だろう。その証拠に、土御門の視線は俺を通り越して―――。

なぁ、土御門。
おまえがそこまでして抱え込む必要なんてなかったんだ。巻き込んでしまったのはこちらで、謝らないといけないのは俺の方なのに。どうしてこうも傷だらけになった時にだけ、そんな顏で笑うのか。何度俺の前で倒れたら気がすむのか。

そんなんじゃ、俺はいつまで経っても救えやしない。

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