俺とセイバー、遠坂と。三人揃って学校に行っていたあの時、ランサーと彼女が対峙していたと、そういうことだったのか。 前提からしっかり考えれば当然のことだ。いくら満身創痍で疲労が溜まった状態だったとはいえ、ともすれば遠坂以上の戦闘力を持っている土御門が、そこらの使い魔を追い払うだけで疲弊しきるはずなんざなかった。 気付かなかった自分自身に、思いっきり一発入れたいくらいに腹が立っている。それに、出来ることなら今直ぐ、何故嘘をついて隠したのかについて、土御門と顔を突き合わせて問い詰めたい。 だが、それ以上に、結果的に彼女を危険に晒した自分が許せなかった。行き場のない怒りを消化しきれず、身体の横で握った拳に力が入る。 そんなことを考えている場合じゃないと理解はしているのだが、寒さや恐怖、緊張感が薄れ、腹の底から沸々と湧く感情に頭が支配されて行くのを止められない。 ガタガタと教会の扉が鳴る。どこからともなく隙間風の音がする。声が出ない。半歩前にいる土御門の小さな背中が、ひどく遠く感じる。時間にして数秒、体感時間では数分に至るくらいの間、誰も口を開かなかった。 「ランサー」 神父の落ち着いている、というよりは感情の読めない言葉が静寂を切り裂いた。 言峰の纏う空気が鋭利なものへと変容し、視線が不自然に誰もいない虚空に向けられる。その行為がサーヴァントの存在を意味していると理解した時には、もう遅かった。 「久しぶりだな、お嬢ちゃん。殺されてないようで何よりだ」 ぞくり。本能的に背中が縮こまる。 確かに聞き覚えのある男の声がどこからともなく聞こえた。 ゆらり、日常ではありえないくらいにはっきりと空間が歪み、そのサーヴァントは言峰綺礼の斜め後方に顕現した。真紅の槍を無造作に弄ぶ奴の姿は、まさに戦士だ。土御門に目を向けたその男は、まるで仲の良い友人に会ったかのようにからりと気持ち良く笑う。 青い髪、赤い獣の瞳。記憶と寸分違わぬその風貌に、みっともなく四肢が硬直した。 忘れようとも忘れられるはずがない。 俺は一度、あのサーヴァントに殺された。 暗く冷え切った高校の校舎の中、人っ子ひとりいない廊下でグサリと一突き。事態を把握出来ないまま目の前が徐々にフェードアウトしていき、空気と廊下と全てが冷たく感じる暗闇の中でドロリとした赤い液体だけが妙にあたたかくて目に焼き付いて、 「わからんな」 「なにが」 「……っ」 起伏のない平坦な言峰と土御門とのやりとりに、一気に意識が引き戻された。 「貴様、何故衛宮士郎に手を貸す?自分の置かれている立場を理解していないわけではあるまい」 そんなの、俺の方が聞きたいくらいだ。 認めたくはないが、大方このいけ好かない神父の言うとおりである。いくら遠坂と親交があったとは言え、俺たちに助力しなければならない理由はない。その上、本心としては土御門が危険に晒さられるくらいなら巻き込まないようにしたかったし、そう本人に伝えたことだってあったはずだ。 傷付けないようにするには離さなければならないが、この手を離す訳にはいかないし、離したくもない。大事にするために距離を置くなんて、そんな大人びた達観している行動なんて取れなかった。理性と如何ともし難い我儘と、背反している感情を抱えて、結局はぐらぐらと揺れたまま土御門の後ろ姿を見つめるだけ。 「多分、理屈じゃないんだよ」 小さな身体が一度だけ揺れた。誰にともなく言い訳するような声音で吐息混じりに呟かれた台詞は、しんとした教会の中で怖いほど響く。 呼吸をするのも憚られるような一瞬の空白の後、軽く首を振って息を吐いてから、彼女は堂々と真っ直ぐに告げた。 「隣を歩いてたいって思っちゃったから。私の全部、投げうっても構わないかなって」 「な……」 何を言っているのかわからなかった。たっぷり十数秒間言葉を脳内で反芻し、噛み砕き、意味を理解した途端に視線が離せなくなる。 今この場所で、この雰囲気の中で、とんでもない爆弾を落としてくるなんて誰が思っただろう。 この位置から辛うじて見えた彼女の横顔に、手酷くやられたと思った。もう、お手上げだ。 そんなの、とびっきりの顔で言われてしまったら堪ったもんじゃない。 顔どころか全身があつい。甘い毒が脳髄を駆け巡り、身体が芯から揺さぶられてクラクラする。 「良いねえ、アンタ。そういう飾らない物言い、嫌いじゃないぜ」 「……そ。どうもありがとう」 恐らく、自分がみっともない顔をしているだろうという事実も、ここが敵の本拠地であることも、目の前にランサーや言峰が居ることも全て吹っ飛んだ。 最早、わからなかったなんて言葉が免罪符となり得る筈もない。 今迄に何度も何度もフラッシュバックしてきた数々の記憶は、妙に土御門に過保護だったアーチャーの残した言葉の真意は、彼女の涙を綺麗だと思った理由は。 そして、土御門の手を離したくないと思ったのは何故かなんて、今更問うべきものでもなく。 感情を奥底から揺さぶって、想像もつかない場所まで持っていくのは彼女の一挙一動それだけで、 嗚呼、きっと、俺は―――。 [*前] | [次#] [戻る] |