ニコリと口元を歪めたキャスターの放った魔術が、ノータイムで土御門に向かっていった。 「Sciath(障壁)!」 広範囲の攻撃ゆえに避けるのは無理だと悟ったのかもしれない。そのままの体勢で短い詠唱、仄かに光る土御門の右腕。雨の如く降り注ぐ魔力の塊と同じタイミングで360度周りを囲う透明な壁が顕現した。 「甘いわね」 「そんなの知ってる……っ!」 交わした言葉は一言のみ。視線が交わったのも恐らく一瞬。一方で、その表情は正反対のものだったように感じた。そして実力差は歴然だった。 彼女が咄嗟に張ったであろう魔術結界は耐久性に欠けていたのか、キャスターが無造作に放った魔術のたった一撃で光をなくした。土御門とキャスターの間に出現していた透明なそれは、まるでガラスが割れたかのように呆気なく砕け散る。 もろに正面から攻撃を受けてしまい、いとも簡単に地面に叩き続けられた土御門は、そのまま衝撃に押されるようにして勢いよく転げていった。 「土御門っ!」 考える間もなく足は勝手に動いていた。周りに群がる竜牙兵を無我夢中で蹴散らし、吹き飛ばされた方向に向かって走る。これ以上傷付く姿なんて見てられない。安全な場所に避難させて傷を治療してもらわなければ。身体に傷でも残ったら堪ったもんじゃない。どっちが適しているかとかどっちの責任とか仕事とか、そんなの知ったこっちゃない。そんな理屈が通じるような相手じゃないのだって土御門もわかってるだろ。こんな時だって、否、だからこそ考えるのは土御門の身のことだけだった。 だが、彼女の元に辿り着くより早く。土御門の姿が、塀にぶつかる直前に文字どおりに消えた。すかっと空を切った手、バランスを崩して転がりかけた身体をなんとか持ち直させて顔を上げる。 二度目だ。これによって、先程消えたように見えたのは自分の目の錯覚ではなかったのだと再確認する。だとしたらこれ、もしかして俗に言う瞬間移動とかいうやつだったりするんじゃないか。 一体誰が。このキャスターか、それとも土御門が自分自身で―――。 「っ、」 とん、と軽い音を立てて数メートル離れたキャスターの死角となる地点に降り立った彼女がすぐさま地面を蹴って反撃に出る。ぽかんと呆気にとられている俺と周りの竜牙兵を切り捨てているセイバーの後ろから向かって来ていた遠坂の姿を認めると、土御門は大声を張り上げた。 「遠坂!」 「ええ、わかってるわ!」 馴染みの2人の間では、一言で充分意思疎通が図れるのだろう。遠坂が宝石をスカートのポケットから取り出し、軽やかに駆けて行った。 成る程、1人では危うくても2人でなら相手に僅かだが隙も出来る。お互いのことを理解している彼女たちなら、これが最善策に違いない。本来ならサーヴァント戦はセイバーに任せた方が良いのだが、生憎今キャスターのターゲットは土御門らしい。いまいち感情の掴めないサーヴァントの猛攻をすり抜け、彼女は敷地内を駆け巡る。 「Acht(八番)……!」 遠坂がキャスターの注意を引く。降り注ぐ無数の攻撃を宝石魔術で相殺しながら錯乱し、土御門が隙を見て魔術を発動させていた。 居ても立っても居られず、乱戦となった庭を無我夢中で駆け抜けた。詠唱中の彼女の背中に襲いかかろうとした竜牙兵を叩き斬り、へし折り、蹴り飛ばす。土御門は無事なのか、大丈夫なのか。一目見て確認しようとしたところで、 「―――あ」 凛々しくも可憐さが少し残る、土御門の横顔に目を奪われた。小さく開いた唇から涼やかな詠唱が飛び出してくる、そんな小さな動きから視線を逸らすことができない。 「Am gan teorainn, an rud amháin (淡き月日は夢幻の如し)―――!」 「ぐっ……」 爆風により意識が逸れる。示し合わせたように土御門と遠坂が飛び退いたのが見えた。衛宮くん、そう呼ばれた声は果たして空耳か否か。直ぐ近くにいた土御門に手首を思いっきり握られ引っ張られ、そのまま引き摺られるようにして地面に転がる。 一瞬遅れて、キャスターの四方から巻き込むようにして起こった白い爆発に、一気に視界が塞がれた。 全てが真っ白に染まる。前後不覚の状態で、大きく息を吸い込み、 「セイバー!」 「はぁぁぁっ!」 後は頼む、そう意味を込めてセイバーを呼ぶ。返事の代わりに一陣の風が吹き、数秒後に明瞭になる視界。周囲の竜牙兵の粗方一掃したらしいセイバーが、土御門たちとバトンタッチしてキャスターに斬りかかる様子が目に入ってきた。キャスターの気が逸れているのを確認して、縁側の前あたりで蹲っている土御門に駆け寄る。 「土御門……!」 「ん、大丈夫。平気平気」 顔では笑って見せても、身体は正直である。立ち上がれずに脂汗を浮かべている様子を鑑みるに、余程無理をしたらしい。だらりと力なく下がった腕、血に染まった衣服、裸足のまま傷だらけの状態。立ち上がろうとしたのだろうが、ふらりとよろめき十数センチメートル程しか身体は持ち上がらなかった。 その場から動けない土御門の前に立つ。残った竜牙兵は極僅か。これくらいなら問題はないはずだ。 「投影、開始―――!」 手に握るは二振りの短剣。 何故これを投影したのか、何故これを投影できたのか。頭に浮かんだ幾つかの疑問は直ぐに掻き消え、ただ目の前の敵を排除することにのみ集中する。 湧き出てくる敵を倒して、倒して、倒して。ふと目を向けたキャスターの姿に、小さな違和感が心の隅に引っかかった。何が違うのか、どこが変わったのか、それはハッキリと言葉に表すことはできない。 しかし、今日のキャスターの様子はおかしい。いくら土御門と遠坂のコンビとはいえ、相手はサーヴァントである。それも、完全に上位互換としか言えない、現在の魔術師では太刀打ちできないはずのキャスターだ。そのキャスターが土御門たちに押されていた。 何処となく、自暴自棄になっていると言うのか。内心では焦っているような、悲しみに打ちひしがれているかのような。キャスターの纏うマイナスの雰囲気からは、以前遭遇した時のような得体の知れない恐怖感が感じられない。 そもそも、こちらのサーヴァントはセイバーだとわかっているはずなのに、のこのこと此処まで攻め込んでくること自体理にかなっていないのだ。抗魔力が高いセイバー相手に白兵戦を持ちかけることはキャスターにとってハイリスクだ。接近戦に持ち込んでしまうと、どうしてもセイバーに軍配が上がる。それなのに何故キャスターは戦いの場に、慣れた自分の陣地ではなく衛宮邸を選んだのだろうか。 「ねえ士郎、聞きたいことがあるん、」 隣に来ていた遠坂の声が、不自然に止まった。即座に感じる、只ならぬ苛烈で荘厳な気配。 「は……」 溢れた声は誰のものだったのか。静寂に包まれる中、聞くに堪えない断末魔と無数の武器が地面に突き刺さる鈍い音だけが響く。溶けるように消えていくキャスター、隕石でも落ちてきたかのように抉れた地面、他に残ったものは何もなく。 衛宮邸の塀の上に、何時ぞやの金色のサーヴァントが鎮座しているのみだった。 [*前] | [次#] [戻る] |