そんなこんなで出発の時間である。 遠坂の姿は朝から一度も見ていない。朝飯の時に土御門が声をかけに行ったが、それでも、離れに陣取っている部屋から出てこなかった。結局、お使いとやらの内容は聞いていないのだけれども、それは良いのか。 声をかけてから外出するべきか否かを思案していると、いつもより気持ち大きな足音が聞こえてきた。小走りでやってきたのは土御門だ。 「うん、お待たせ!」 遠坂と話し込んでいて遅くなっちゃった。そう呟きながら手際よく靴を履き、鞄を持ってにっこり笑う。遅れるも何も時間ぴったり、丁度約束していた時間だ。 玄関を出た後、彼女はくるりと振り向き、 「二人とも、今日はよろしくね。セイバーも、買いたいものがあったら言ってね?」 「いえ。私はあくまで護衛ですから」 「む……」 淡々としたセイバーの言葉に、渋い顔をして土御門が唸る。まあ、この外出の主な目的は遠坂からのお使いをこなすということだから、セイバーの反応もあながち間違っちゃいない。 あ、そうだ、お使い。忘れたとなっては遠坂に何を言われるかわかったもんじゃない。記憶から消えないうちに聞いておかないといけない。 眉間にしわを寄せて考え込んでいる土御門に、恐る恐る声をかける。 「それで、遠坂のお使いって何だったんだ?」 「うん、それは後回しにしようかなって。最初に、ちょっとだけ買い物に付き合ってくれないかな?」 「あ、ああ」 果たして後回しにしても大丈夫なことなのだろうか。些か不安に駆られるも、土御門がそう言うなら、その通りなのだろう。どうやら遠坂は、土御門にお使いを頼んだらしいから、そこまで部外者が深入りすることでもない。荷物持ちは荷物持ちらしく行動しよう、という結論に至り、先行する土御門の後ろ姿を追いかけた。 土御門の買い物は文字通りちょっとだけだった。男物の服や鞄を売っている店に遠慮なく入って行ったと思えば、数分と経たずに袋をさげて戻ってきた。なんかこう、手慣れている。良く来るのだろうか。 衛宮くんは見たいところあるかな、と何気なく聞かれて、はっとする。 「なあ土御門、今買ったのって自分で使うものなのか?」 「そうだよ。どうかしたの?」 目の前のあどけない顔を見つめる。土御門と男物のゴツい服やカバンやポーチを一緒に頭の中で思い浮かべてみたが、全くしっくりこなかった。 「―――いや、深い意味はないんだ。気にしないでくれ」 まずい。無意識のうちにじろじろと見つめ続けていたらしい。慌てて取り繕うも、彼女は数秒じっと考え込んだ後に納得したような表情でこちらを見上げ、 「今の、ウエストポーチとかベルトとかだよ。必需品なの」 「必需品?」 「仕事用だよ」 土御門の言うところの「雇われ魔術師」。簡単に言って仕舞えば、魔術師を相手にした何でも屋さんみたいなもの。 まるで、普通にバイトでもしているかのような。なんでもないことを言っていると錯覚してしまいそうな彼女の口調に閉口させられた。 まだまだだなと嘲るように笑う弓兵の横顔が頭を掠めた。そんなのわかりきっている。半人前である自分が土御門と同じ土俵に立てるわけがないなんて考えるまでもない事実なのだから。 それでも、アイツと約束したんだ。もう二度と同じ過ちは繰り返さないと。他人のために、自分が一番相応しいからって理由で、命さえも顧みない選択ができる彼女を守るって決めた。ボロボロな姿を見たあの時からきっと、手放したくないなんてずっと思っていたのだから。 たとえ、それが歪な願いであったとしても。あの選択を間違っていたとは言わせない。 「だって衛宮くん、レディースのお店とか行ったら、居心地悪いでしょ?」 「な……」 「私、今の所、洋服には困ってないからな。衛宮くんが是非行きたいっていうなら別だけどね」 「い、いや別に、そんなことはなくてだな!」 声がうわずった。周囲の人間の視線がこちらに集まり、すぐに何処かしらにそれていく。 正直な所、魅入った。久々に見た土御門の柔らかい表情に、弾んだような声音に、全てが持って行かれた。行き場を失った熱も、動かせない視線も四肢も意識も、全部。 目の前の少女はすでに女子高生に戻っていた。けらけら笑い声を上げ、紙袋を小さく揺らしながら眼を細める。 「これで私の用事はおしまい。付き合ってくれてありがとうね、二人とも」 何をそんな改まった口調で言っているんだ、と心が揺れた。揺さぶられた。 まっすぐ見つめる黒くまるい瞳に、心臓が大きく跳ねて苦しい。思い切り鷲掴みされたかのようだ。 いえ、と普段通りに冷静なセイバーの返事が何処か遠くのように感じる。 「次は衛宮くんの番だよ。ねえ、どこに行きたい?」 「え……?」 「どこでもいいとか、そんなのは無しだよ。衛宮くんが行きたい所に連れてって欲しいかな」 行きたい所と言われても、困る。 どちらかというと、誰かに引き摺られて来るとか、バイトや必要な日用品を買うためにしか訪れたことがなかった。自分が行きたい所なんて、そんなの考えてすらいなかった。 ただ土御門の背中を見失わないように、置いて行かれないように、消えてしまわないように、追いかけたかった/追いかけなければならなかっただけで。それ以外の意思は存在していなかった。 あつい。思考回路がショートしてしまいそうだ。バラバラに飛んでいきそうなそれを必死に掻き集め、喉から絞り出すように声を発する。 「そ、れなら」 「うん?」 「俺、土御門のこと何も知らないからさ。何でもいいんだ。なんて言うか、話がしたい」 建物の中の喧騒も、自分の呼吸音も、全てが無にかえった数秒の後。土御門がゆっくりと口を開く。 「……そっか。うん、そこのカフェにでも入ろっか」 「あ、あぁ」 女の子に食事代は払わせるんじゃないわよ、あかいあくまの楽しそうな台詞(アドバイス)と極上の笑みが浮かんで消える。くそ、どこまで人を揶揄えば気がすむんだ、遠坂め。 外された視線に虚無感と安堵という背反する感想を抱きながら、カフェに先行する土御門の姿を追いかける。 息が詰まりそうで苦しい。でも、決して辛くはない。名前の付けられない感情をコントロールしあぐねて、とりあえず財布の中身を思い出すことに全力を挙げることにした。 [*前] | [次#] [戻る] |