遠坂が、今にも土御門の胸ぐらを掴まんとばかりに詰め寄った、その時。 「お兄ちゃん、もう帰っちゃうの?」 聞き覚えのある、というか全ての元凶の少女の声が階段の上から降ってきた。仰ぎ見ると、小綺麗な服をちょっと摘んで一礼する少女と、その後ろに佇んでいる、今一番会いたくなかった、あのサーヴァント。バーサーカーとイリヤスフィールがそこに立っていた。 遠坂とアーチャーが素早く臨戦体制をとる。土御門は、遠坂と向き合っていた状態のまま、立ち尽くしていた。無理もない。サーヴァントと対峙したことはあれども、バーサーカーを見たのは初めてだろう。 「イリヤスフィール……!」 「さっきのは私の分身。ふふ、やっぱり引っかかったわね、リン。逃げようとするお兄ちゃんは悪い子だから、私がお仕置きしなくっちゃ」 つまり。遠坂たちは、イリヤスフィールがこの城から出たタイミングを見計らって侵入してきたけれど、当の彼女にはお見通しだった、そういうことか。ぎり、と音が聞こえそうなくらい奥歯を噛み締めている遠坂、顔が変わらないアーチャー、すっと目を細める土御門。 数の上では優っているものの、形勢は不利だ。というか不利を通り越して敗戦濃厚だ。敵はこちらを迎え撃つ万全の体制で立ちはだかっている。遠坂はともかく、セイバーは不在、土御門は病み上がりの上に酷く消耗しており、アーチャーさえも初めセイバーから受けた傷が、未だに癒えていないらしい。こちらのコンディションは最悪と言っても過言ではないだろう。 「なあ遠坂、セイバーは何処にいるんだ?」 「多分、今頃は衛宮くんの家でしょうね。私たちが家に行った時には、セイバーは居なかったから。連れてこれなかったのよ」 「そう、か」 何故セイバーを連れて来てくれなかったのか、とは口に出来る訳がなかった。そもそもこんな拗れた事態になったのは、他でもない俺自身が迂闊な行動をした所為でもある。サーヴァントを連れずに外に出た、その結果がイリヤスフィールに捕まったということだ。 土御門がゆっくり顔を上げた。深い深呼吸の後、数回瞬きをしてイリヤスフィールを睨む。それは。いつの日か経験した/見た、あの情景そっくりで。 知っている。俺は絶対にこの後に起こることを一度見ている。記憶の片隅に追いやられていたけれども、確かにあの時にはセイバーが隣にいて。土御門はこの後、バーサーカーたち相手に残ると決めた。 頭が割れそうなくらいの頭痛に襲われた。ぐしゃりと髪を掻き上げる。俺はあの時どうしたか。そんなの、考えるまでもない。何故なら、昨晩そこはかとなく不安になったのは、土御門が居なくなってしまったと思ったからで。彼奴が居なくなってしまったと思ったのは、あの時俺が/奴が土御門が残るのを止めることが出来なかったからだ。 「くそ。そんなの、させられるわけないだろ」 思いがけず零れ落ちた悪態は、誰の耳にも入らずに消えていく。 ボロボロになった姿は、絶対に見たくないと思った。元より、あの晩アーチャーに忠告された時から、土御門を手放す気はさらさらなかった。理由なんてない。ただシンプルに、失いたくなかった、それだけだ。これが正しい判断なのかどうかは計りかねるが、こうしなければならないという一種の確信のようなものがあった。 ほう、と意を決したように息を吐く。一呼吸置いた後に土御門からかけられた声には、一切感情は乗っていなかった。ただただ同じことを繰り返す機械のように、抑揚のない音が紡がれる。 「私が残るよ。足手まといは切り捨てる、それが定石でしょう?」 「なっ!」 「このザマでも時間を稼ぐことは出来るよ。あの怪物を防ぐのは難しいけど、あのちっこいのなら」 ちっこいの、つまりイリヤスフィールなら引きつけられる、それが土御門の言い分だ。もしかしたら、それは三人の魔術師の力量だけを鑑みた結果では、妥当な判断なのかもしれない。あくまで力量だけを考慮した結果の話だが。 土御門の言葉に、珍しくアーチャーが目に見えるくらい表情を歪めた。突然の発言に絶句した遠坂も、一瞬後には正気に戻りすぐさま反撃する。 「いいえ。それはこっちの仕事よ」 「遠坂?」 「アーチャー、貴方に任せるわ」 「待って。何を言ってるのか判ってるのかな、遠坂。ここでそのカードを切った後のこと、考えてるの?」 「当たり前でしょう。こうするしか方法は無いのよ」 焦って遠坂に詰め寄る土御門、対して遠坂は一切表情を変えずに言い切る。アーチャーも顔が歪んだのは、土御門が残ると宣言した後、極僅かな時間のみで、今は遠坂の発言を妥当なものだと肯定している。無感動に俺たちを見下ろす姿には、感情の波が感じ取れない。 それでも、このままだと堂々巡りだ。土御門も遠坂も、このことにおいては一歩も引かないだろう。現に、土御門が俺を見る目には、何の揺らぎもない。 「考えを改める気は無いんだな」 「そうだよ」 「もし、これが土御門の仕事だったら話は別だ。でも、これは俺が巻き込んだ戦いだ。だから置いていけないし、おぶってでも連れて帰るぞ」 「それでも、戦う意思を持って介入することを決めたのは私自身だよ。それを衛宮くんに否定されても困るかな」 頭の中が、かっと真っ赤になった。このわからずや、なんて自暴自棄になって叫びたいのをやっとのことで堪える。ここで怒鳴って何になる。俺がしたいのはそんなことじゃない。土御門のためにやらなくてはならないのは、そんな感情に任せただけのことではなく、それはきっと。 今まで恐れていた土御門の内面に、一歩踏み込むことで。 「土御門、お前は……」 これを口に出したら、根本的な何かを指摘してしまったら。もう元の関係には戻れない気がする。自分の中で、これまでずっと大事にしていたものが、一瞬にして色褪せてしまいそうだ。 それでも、あいつを止めたいと、止めなくてはいけないと思ったんだ。 「お前は何のために戦うんだ」 「もちろん私のためだよ」 「……」 「これが私の日常だから。生きる意味で、私が私であるために出来る唯一のこと」 頭の整理がつかない。とにかく、留まることなく湧いてきた感情を、頭の中に押し込めることで手一杯だ。 とんでもなく腹が立った。土御門がそうやって生きてきた世界にも怒りが湧いたし、そうなることが当たり前だと考えていた彼女自身にも苛ついた。こんなことを思ったのなんて、今日が初めてだった。 イリヤスフィールと戦うのが、遠坂のためではなく、自分のためだと言った。土御門がこの場所に残ろうと思ったのは、それが当たり前だからだ。ここにいる魔術師の中で一番向いているからだ。彼女は、イリヤスフィールとバーサーカー相手に足止めをしたらどうなるのか、という結果を理解した上で、自分が残ると言いだしたのだ。 そんなの、どうかしている。だって、土御門はクラスメイトで、何の変わりのない女子高生で。俺よりも小柄で、華奢で。魔術師だけど、中身は何の変哲も無い、普通の人間で。 死ぬとわかっていて、戦うことを決めた彼女を、見捨てることなんて出来ない。 こんなにも激昂する理由は、目の前にいる人を見殺しにすることは出来ない、そんな単純な感情だけではなかった。 なぜなら、彼奴は。土御門は、どうしても手放したくない女の子だったんだ。 [*前] | [次#] [戻る] |