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世界が息を止めるとき


ティトレイの世界にはふと、静かな瞬間が訪れる。それはまるで雪の日のように、どんなに周りが騒がしくても全てなにかが音を吸収してしまうかのように静かになるのだった。

例えばそう、今だって。
騒がしい酒場での食事。音がない、なんてそんなことが起こるはずはないというのに。

ふ、と顔を上げた時に見えたアイスブルー。
食事中の、よくある場面。
スープを掬って口元に持っていく、ただそれだけの行為の中の、ほんの一瞬。同じようにスープを掬い、口に運ぶヴェイグの目を見て世界は途端に静かになった。

サラリ、と流れる銀糸と同じ色をした睫毛に縁どられているそれは、酷く儚げで思わず目を奪う。ただ自分と同じようにスープを飲んでいるだけだというのに、だ。
スープを乗せたスプーンが唇に当たる様。
こくり、と喉を揺らしスープを飲む様。
顔を上げるときの、ゆったりと瞼を上げる様。
それは自然なことであったし、ヴェイグにしてみればただの動作だ。
なのに、なぜだろうか。
静かすぎる世界にティトレイの胸だけはバクバクと鐘を打つ。そして、何も動かない世界で動くのは、ヴェイグだけだった。
おかしい、おかしいと心の中で呟いても、目だけは一向に逸らせない。それに、おかしいのは周りから見てもティトレイだけだ。


「…ティトレイ?」
「うひゃあ!」
静かだった世界にヴェイグの静かな声が入ってきた。
それと同時に日常が、ティトレイの中に流れ込んでくる。和やかな食事中の、騒がしい音。ただ、今はティトレイの声に驚いた人たちの視線や笑い声でそんな音はほとんどないのだけれど。
「なんて声出してるのー?」
「う、うるせーやい!」
マオの声がして、また日常が動き出す。普段通りの世界だ。二人しかいない、あの世界とは違う。
ホッとする反面、少し残念にも思う。あの世界ならば、ヴェイグを自分だけが独占できるのに、と。余りにも子どものようなことを考えて、ティトレイは少し笑った。ヴェイグの視線にも気付かずに。


再度、飲もうと口を付けたスープは少し冷めてしまっていた。




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