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キスの甘さ 1






パンッ、と小気味のいい音が講義室に響いた。
視界の端でなにやら地蔵にお祈りを捧げるように手を合わせたまま深々と頭を下げている馬鹿がいる。勿論、ここは講義室であって道端ではないので、手を合わせられている者だって地蔵ではない。
なので静琉はそれを無視した。
振り向いたってどうせいい事なんて一つもやってこない。それは何度も経験して、何度も味わってきたことだから分かる。だから、この後に続く展開も必然的に分かりきっているのだ。

「なぁ!日向、たの…」
「断る」

人のよさそうな声が静琉の耳をすり抜けていく。
すり抜けるというか、寧ろ強制的に遮断。
聞く意味すらない頼まれごとだ。
静琉は、相手に目も向けないまま、ろくに使いもしないのに毎回必須といわれている教科書の角を揃え、スクールバックへと放り込んだ。

今日は金曜日というやつで、つまり明日は講義のない土曜日というもので。本日この講義室の殆どの人間がこの講義で最後ということだから、講義室の中はざわめきあっていた。
内容はといえば、やれ、この後どうする?やら、飲みに行こうぜ?やら。大学生らしい内容である。しかし、そんなことは静琉には全く関係のない話だ。
だって、彼には揺るぎない予定が入っているのだから。

「ちょ、ちょいちょい!待って、待ってよ日向!」
「待たない。先約。それに俺はもう行かないって言ったろ」

椅子から立ち上がり、鞄を肩にかけ、そそくさと帰ろうとする静琉の前に、青年は慌てて立ちはだかった。
話を聞いてくれるまで通さない!そういわんばかりに両手を広げてゆく手を阻む彼に、静琉は溜め息をつくしかない。この流れだって、いつもの流れなのだ。ここで、さっそうと帰っていければいいのだけれども、人がいい静琉は何だかんだでそれが出来ないでいる。

「だから、もう行かないって」
「それじゃあ困るんだよー!皆、日向のこと待ってんだぜー?」
「いっそ待たせとけよ、永遠に」
「んなこというなよ〜!日向様が頼りなんだから〜!」

な?な?とまるで静琉を神か仏かのように拝む彼。
人をダシにして合コンなどを開くなと耳がタコになるほど言い聞かせているはずなのに、それが聞き入れられたことはない。付き合っている連中は馬鹿ではないはずだが、女に飢えた獣であることは確かであった。
キラキラと自分を見る希望に満ちた目に静琉は頭が痛くなる。

「だから…」
「藤咲だろ?分かってる分かってる!勿論、あいつがダメって言ったら俺も諦めて皆に説明するよ〜」

そう言うやつの顔が煌めいているのが分かる。
そう、これは本当にいつもの流れ、そういうパターンに乗ってきているのだ。思わず静琉の口の端が引くつく、馬鹿にしやがって、と。
けれども、携帯をポケットから取り出した手はどうにも不安そうだった。通話履歴を見ればすぐに出てくるアイツの名前。
触れればすぐに発信し、さくらの名前が画面に大きく表示された。いっそ、出てくれるな、なんて思いながら携帯電話に耳を寄せる。




『もしもし?静琉?』

しかし、こんな時こそ2コール位で相手は電話に出てくるのだ。
静琉は内心、今まで一番大きなため息をつきながら電話の向こうにいる思い人に声を掛ける。大きな不安とほんの少しだけの希望を胸に、だ。


「今日なんだけど、飲みに…」
『あー、遅くなるの?分かった!』

なんと呆気ないOKなんだろうか。
もう少し何かあってもいいものだと、静琉は思う。自分の横で、電話の向こうの声を聴いて小さくガッツポーズをしている友人を見れば余計にだ。友人が誰かにメールを打ち始めたすきを見計らい、電話の向こうのさくらに少し強めの主張をしてみる。

「…合コンだぞ」
『付き合いでしょ?仕方ないじゃん。いっといでよ』
「・・・・」
『楽しんできてね〜』

バイバーイ、と明るい声と共に電話は切れた。
切れた電話と共に、シズルのなにかも小さく切れたような気がした。



胸が軋む音がする


「よっし、日向!いつも通りじゃん!」

メールを打ち終わったのか、明るい笑顔で静琉の肩を叩く友人。こいつですら先の読める、いつも通り。静琉は友人の腕を払いのけながら小さく舌打ちをした。

本当、この流れにはいい事なんて何一つないのだ。



(title by as far as I know)





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