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作り笑いばかり上手くなる

あれから俺は許されたのだろうか。
宿で上着を脱ぎながら、ぼんやりとヒスイはそんなことを考えた。窓の外ではざあざあ、と雨が降り続いている。きっとこんなときだからこそ、考えずにはいられないのだろう。雨の音は心の奥までよく届くような気がした。

コハクのスピリアが飛び散ったのはシングが原因ではなかった。それを知ったのはもう幾日か前の話だった。驚愕の事実。そしてすぐにやってきたのは止め処ない後悔だった。何も知らないシングから日常と祖父を奪ったあげく、数え切れない罵倒を浴びせた。明るくあろうとする彼をよく能天気だと鼻で笑ったりもしたというのに。

『気にしないでいいよ』

と笑ったのだ。理不尽も何もかも受け入れて、全て許して彼は笑ったのだ、大丈夫、と。



っ、という声が部屋に小さく響いた。振り向けば、そこにはシングがいて、何故かしら部屋の隅の方で背を向けている。いつもなら宿に着けば上着を脱いだりして、騒がしい位なのに今日はやけに静かだ。おかしい、とヒスイは眉を顰めた。

「おい、どうかしたか?」
「えっ!やっ、な、何でもないよ!!大丈夫」

声を掛けてみれば、異常なまでの反応にヒスイの眉間の皺は更に深くなる。何でもない、だなんて首しかこちらに向けなかったくせにどの口がいうのか。明らかに隠し事をしていますといわんばかりのシングに、ヒスイはズカズカと彼の方へと寄っていった。驚くシングをよそにぐっと腕を掴み、上着を捲り上げる。見れば血こそ止まってはいたが、ぱっくりと開いた傷口があった。

「あの…大丈…」
「何が大丈夫なんだよ」

これだけの傷を隠していたシングに、思わず冷たい声が出た。ちらりと肉がみえるそれにチッと舌を打つ。それに、ビクリと肩を揺らしたシングはごめん…と小さく俯いて謝ってみせた。

あぁ…まだ許されてはいないのだ。
ヒスイの中で、また後悔が一つ増える。
こんな時に掛ける優しい言葉など、ヒスイは持ち合わせていなかった。

ぽぅ、と回復術でその傷を癒やす。みるみるうちに塞がっていくそれを眺めながら、ただ雨音だけを聞いていた。
よく見てみれば、その傷以外にも残る沢山の傷痕。きっと同じ様に傷を隠し出来た痕だろう。
自身で回復出来ないシングをここまで追い詰めたのはきっと自分なのだ。残った傷痕をなぞりながら、ぼんやり思う。

「あの…ヒスイ…」
「あ?あぁ…ほらよ」
「うん、ありがとう」

ごめんね、と謝る彼の口元には微笑。
無理に笑わなくてもいいのに、とヒスイに言えるわけもなく、ただその茶色い髪をワシャワシャと撫でて背を向けた。

「次からは言えよな」

一言、それを言うだけで精一杯で、ヒスイはその時シングがどんな顔をしているかなんて知らなかった。
雨の音が響く部屋。その中で、ただ残る傷跡に這わせた指の感覚を、ヒスイはひとり噛みしめていた。


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