過去ログ | ナノ






新宿の闇の中を1人の少女が駆ける。街灯と月の明かりだけを頼りに、薄暗い路地をすり抜けて、何かから逃げるように、何かを遠ざけるように。
あるビルとビルの間に入り込んだ彼女は、走り続けた体を休めようと立ち止まった。壁に背を預けて滑り落ちるように地面に座り込むと、肩を上下させながら、出来るだけ呼吸の音を抑えながら自分の来た道を睨みつけている。
人が来ない事を確認すると、俯いて安心したように大きく息をついた。



「あーあ、安心しちゃっていいのかな?」


突然聞こえた声に顔を上げると、そこには黒いコートを纏った黒髪の青年、少女が1番恐れている人物――折原臨也が立っていた。
臨也はいつもと変わらぬ張り付けられたような笑みを浮かべながら、当たり前のように少女を見ている。その姿避けるようにして、少女が壁についた背中をさらに押し付けると、その反動で靴が地面に擦れてザリ、と鈍い音を立てた。


「あからさまに避けるなんて、ショックだなー」


わざとらしい口調で少女に言う臨也だったが、少女が返事する事はない。ただ変わらず臨也を睨みつけながら、何処かに逃げ道を見つけだそうと思考を働かせていた。
生憎、彼女が今居る場所は袋小路になっていて、唯一の逃げ道は臨也が塞いでいる。最も、彼女に空を飛ぶか、壁を登る程の力があれば別なのだが。残念ながら彼女には羽が生えている訳でも、筋力が人よりあるわけでもなく、ましてや臨也を振り切って逃げる策がある訳でもない。ただの人間なのだ。ある1点、“折原臨也が特別気に入っている個人”という点以外においては。


「何で…何で追ってくるの…!」

「何でって。好きだからじゃないの?君の事が」

「嘘ばっかりッ」

「嘘じゃないさ。俺は嘘をつかない」


それこそが嘘だろうと心の中で呟きながらも、少女はいつも通りの呼吸を取り戻しつつあった。しかし彼への警戒心がとけた訳ではない。ここぞとばかりに睨みを効かせる少女に、臨也は新しい玩具を見つけた子供のような視線を向けている。焦燥と苛立ちを隠す事のない彼女に向けて臨也は変わらず微笑んだまま口を開いた。


「そんなに睨んでも怖くないよ」

「煩い」

「まぁ久々に君のそんな顔を見るのも新鮮でいいけど」

「黙れ!」


道路を走る車の音に少し掻き消されつつも、彼女の声が袋小路に響き渡った。反響と同時にわざとらしく肩を竦める臨也。3秒ほど間を置いてから、ベタなアメリカ人の様に“分からない”とジェスチャーして見せた。


「何がそんなに怖いんだよ?俺が君に何をしたって言うんだ?」

「追ってきた。逃げても逃げても、アンタはあたしを追ってくる」

「そりゃそうだ。君が逃げてしまえば俺がつまらないからね」

「だからってあたしが逃げなくても“つまらない”んでしょ?」

「分かってて嫌がらせしたいなら逃げなきゃいいのに」


自ら皮肉を言いながらも、余裕が出てきた事を示す少女。先程よりも軽い笑いを纏いながら、臨也は彼女から視線を外さぬまま彼女に近付き始めた。カツンと音を立てながら進む彼から、彼女もまた視線を外さない。否、外せずにいた。


(今回はもう逃げられない)


尚も微笑む彼を見て、彼女は本能から恐怖を感じていた。
―――コイツは自分の何処まで知っているのだろう。
日々思い続けた疑問。今目の前に立っているこの青年は、一体自分のどんな情報を持っているのだろう。今回だって、誰にも何も告げずに来たと言うのに、一体いつ、何処から自分の居場所が突き止められてしまったのだろう。
少女は臨也の情報に操られる事を怖がった。
ただ自分は普通の生活を送りたかっただけなのに、この折原臨也という“情報屋”に関わってしまったその瞬間から、彼女の日常は一変してしまった。彼が集めた“情報”によって行動を操られる、いつも暮らしてきた“日常”は彼によって支配された。
元々自由が好きだった彼女にとっては、その状況は苦しく、臨也を心の底から憎いと感じるには十分過ぎた。同時に、彼女は今までに感じたことのない程の恐怖を感じたのだ。臨也が“人が好き”な事は彼女だって知っている。だからこそ疑問に思った。何故この男は自分に執着するのだろう。自分はただの人間なのに。
どれだけ本人に問うても返ってくる言葉は曖昧なものばかり。確信的なものは何もなかった。彼女の恐怖は倍増する。
―――もしかして、知らない間に自分は利用されているのではないか。
いつもたどり着く結論。彼が答えを返さない限り消えない恐怖。“彼の情報が怖い”。今の彼女はその思考が中心となっていた。
助けを呼ぶ事は出来ない。彼がどこまで自分の為に周りを犠牲にするのか全くもって分からないからだ。自分の大切な人に手を出させる訳にはいかない。だからといって自分の知らない人が自分の所為で傷付くことがあってはならない。どうしようもなくなった彼女の心はまさに“袋小路”だった。いつも出口には臨也がいる。そんな生き地獄的感覚。
そして彼女は度々その“情報”からにげだそうとしていた。ただ宛てもなく走るだけの逃亡。暗い路地をすり抜けて、どうしようもない状況を打破するべく走る、現実からの逃避行。彼女は知っていた。そんなことをしても無意味なのだと。
しかし、この抜け出せない状況に諦めて身を委ねてしまう自分は許せなくて、意味のない事だと分かりながらも走り続けていたのだ。


「そんなに逃げたいんだったら死ねばいい」


何度も聞いた言葉だ。飽きたとでも言いたげに、または心底楽しそうに告げられる残酷な言葉。彼女も考えなかった訳ではない。死んでしまえば流石の臨也も追って来られない。しかし、それを実行する前に彼に言われてしまった事によって、彼女の逃げ道は完全に閉ざされた。
―――コイツの思い通りにはなりたくない。
臨也は表情で“君が死ぬのは望ましい展開だ”と告げていた。その事がネックになって彼女は“死ぬ”という選択肢を選べずにいたのだった。


「どうせ君の事だから、俺に得させないようにって思ってるんだろうけど、勘違いだよ」

「……」

「君が死ねない、いや、死なないのは、君が死を恐れているからだ」


決めつけの様に放たれた言葉に、図星、そう思ってしまった自分に腹が立って、少女はあからさまに眉をひそめる。


「…違う」

「本当に?」

「違う!」


いつの間にか目の前に立っていた臨也を、座り込んだまま見上げる少女を見て、臨也はニタリと口角を上げる。突き止めの明かりだけが彼の輪郭を照らし出し、その異様さを引き立たせていた。するり、と小さく服の擦れる音を立てながら、臨也が彼女と同じ目線になるように重心を落とすと、少女は反射で肩を震わす。それによって臨也はまた微笑みを浮かべた。しかしその表情はいつもとは違い、悲しみと哀れみ、愛しさのようなものが含まれていた。少女は思わず目を見開く。その瞬間、臨也の腕が彼女の方に伸びてきて、気付くと少女は臨也の腕の中にいた。
強く抱きしめられる感覚。何が起きているのか分からずまま時が過ぎる。何も言わない臨也に疑問を抱きながら、それによって冷静を取り戻している自分を不思議に思った。闇夜の中の静寂。少女の耳元に臨也の呼吸を感じる。心臓の音、服越しに伝わる体温。
―――ああ、コイツも人なんだ。
当たり前の事を今更噛み締めるように実感する。久々に人の暖かさを感じた少女はただ自分の大切な人達の顔を思い浮かべていた。
だがその静寂はあまりにも呆気なく砕け散る。ゆっくりと耳に近付けられた臨也の唇が滑らかに動くのと同時に、彼女の儚い安楽は現実の闇に葬られた。



「君は俺から逃げられないよ」



果てしなく残酷な“愛”を囁きながら、クスリと笑った臨也の腕の中では、壊れた人形のように作られた微笑みを浮かべて涙を流す少女の姿。臨也はその少女を愛おしむように抱く手で彼女の頭を包み込むと優しく触れるだけのキスをした。


「愛してるよ、名前…誰より君を」
















(運命を狂わされた少女は、自らが狂った事にも気付けぬまま、狂気に満ちた愛に抱かれて眠る)
























100520
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