他に比べようなど無いほどに。
【天秤など使えやしない】
ゴールデンウィーク。
全国的に設けられたこの長い休みに、綱吉にとっては一日だけ特別な日が紛れ込んでいた。
「…こどもの日、か」
呟いて笑うのは、こどもの日が嬉しいというわけでなく。
さりとて、こどもという言葉に笑ったわけでもない。
「覚えやすいけどさ、やっぱり似合わないよな」
ははは、と形だけの笑いを静寂に吐き出し、すぐに沈んだ溜息を零す。
思いがけず失敗をしでかしてしまった子供のような複雑な表情が、綱吉の顔に貼り付けられていた。
「…ぷ」
ベッドへ身を沈め、手の甲で額から瞼にかけてを覆うような形に被せる。
とにかく視界を遮りたかった。
「プレゼントなんて…何が良いかわかんねー…」
悩みに弱った声は、僅かに開けた窓から入る初夏の風が浚っていった。
***
とてとて、と。
綱吉は夕焼けに染まる並盛商店街に、沈んだ影を落として歩いていた。
結局当日を迎えてしまったものの、街を歩き回ったところで普段何の不自由なく、むしろある種の権力者である雲雀に渡せるようなものなど見つかりはしない。
わかっていたのだ、初めから。
しかしそれでも何か、そう思いながら少ない小遣いの入った財布を握り締めて街へ繰り出した結果がこれだ。
(だいたい、会う約束だってしてないし…)
視界が歪むのを感じた。
―――結局、いつも、自分は。
情けなさか、悔しさか、不甲斐なさからか。
複雑な感情に胸が熱くなっていく。
それと同時に、目頭も熱くなった。
堪えきれず熱を孕んだ水滴が頬を濡らすのを感じ、慌てて拭う。
夕方とは言え商店街はまだ賑わっているわけで、中学生にもなって公道の上で泣いているなんて見られたら恥ずかしい。
嗚咽を呑み込むようにして、ゆっくりと足を進めた、その時だった。
いきなり背後から伸びてきた手に、口を塞がれたのだ。
「っ!?」
目を擦りながら歩いていた所為で周囲が見えていなかった。
まさかまた、マフィアとか殺し屋の類だろうか。
そんな考えが脳裏を過ぎり、血の気が引いていくのを感じる。
ずるずると物陰へ引き摺られていく体に力を込め、じたばたと手足を暴れさせた。
(だから俺はマフィアなんかじゃ…!!)
「ちょっと、じっとしてないと咬み殺すよ」
「…へ」
全身から力が抜けた。
その反動で、声の主に体を預けてしまう。
「雲雀、さん…?」
「人のこと何だと思ってるのさ、散々暴れてくれちゃって」
「だ、だって!」
いきなり後ろから口を塞ぐから、そう言おうとしたのは、漆黒の瞳が射抜くように見つめている所為で叶わなかった。
その代わりに、堪えていたはずの涙が一筋、二筋と流れ落ちる。
「何で、泣いてるの」
「…」
「そんなに怖かった?」
「違うんです、あのっ…」
正直なことを言おうかとも思った。
自分が情けなくて、やり場が無くて泣いていたと。
泣くの、ではなく泣いてるの、だったわけで、それから考えれば雲雀は、綱吉が泣いていたことを知っているのかもしれなかった。
しかし、結局それは言い訳にしかならないように思えて。
「誕生日、おめでとうございます」
一日中ずっと、いやそれより前からずっと、今日この日に、雲雀に言うべきだと思い続けたことだけを口にした。
切れ長の目をほんの少しだけ見開いて、意外そうな表情をした雲雀に、綱吉は涙の流れたままの顔で微笑みかける。
「知ってたの」
「前に、ハルに聞いて…」
「…ハル?」
「前にインタビューをしにいったと思うんです、けど」
「あぁ、あれか」
思い出したのか、納得した表情になった雲雀は小さく笑った。
「うん、ありがとう」
端整に整った綺麗な顔が、いつもは見られない笑みを零す。
どくん、と綱吉の心臓が痛いくらいに跳ねた。
「うっ…」
「?どうしたの、綱吉」
「あ、いやっ…それで、何かプレゼントを…って思った、んですけど…」
「うん。」
「結局、何が良いかわからなくて…」
肩身が狭い。
もしかしたら、もっとちゃんと探していれば、何か良いものが見つかったかもしれないと今更になって思えてくる。
「欲しいものとか…ありますか?」
だが今更は今更で、どうにかなるものでもない。
綱吉は思い切って、雲雀に直線聞いてみた。
「特に無いけど…何で?」
「えっ?」
「どうしてプレゼントが必要なの」
考えてもみないことだった。
誕生日にプレゼントをあげたり貰ったりすることは、当たり前のように思っていたからだ。
そのこと自体に疑問を抱かれるのは、予想していなかった。
「…俺、この日くらいは、雲雀さんをびっくりさせられたらって思ってました」
恋人がどういうものなのか、綱吉は知らない。
まさか雲雀と恋人同士になれるなんて思ってもみなかったことで、今もそれだけで精一杯なのだ。
「俺には…俺が誰かに勝てることなんて何も無くて…でもっ」
ただ、だからこそ。
この日を自分の力で、祝おうと思った。
「雲雀さんが好きな気持ちは…誰にも負けたくない、んです」
「…ねぇそこ、希望なの」
「そ、それはっ」
「あのね、綱吉」
痛いところを衝かれた綱吉は、肩を落としつつ雲雀を見上げる。
いつもと変わらない澄んだ漆黒の瞳と、目が合った。
「僕は君が僕のことを好きでも嫌いでも、綱吉以外は見えないんだよ」
不意に、額にキスが降る。
触れる感触はどこまでも優しくて、呼吸までも伝わるその距離が堪らなく愛しい気持ちを逸らせた。
「綱吉の目には僕が映っていて、こうしてこの日を祝ってくれる。それ以外に何がいるの?」
呼吸をする度、この目に君を映す度、どうしようもない思いが込み上げるのに。
それ以上の幸福を、君は僕にくれようというのかい?
ただでさえ桜色をした綱吉の頬が、ぼっと朱に染まる。
いつだってそうだ。
自分が馬鹿なのもあるかもしれないが、こういうとき雲雀は饒舌に、雄弁に、欲しい言葉をくれる。
それは綱吉自身が思いつきもしない言葉だらけで、だからこそ、嬉しいのかもしれない。
「あぁそうだ、それなら約束が欲しいな」
「やくそく、ですか」
「そう。約束」
夕焼けが雲雀の顔を鮮明に照らし出すのを、綱吉はうっとりと見つめていた。
強い意志の込められた瞳を、吸い込まれるように見入る。
「ずっと、僕だけを見てて」
嫉妬深い雲雀らしい言葉だと思った。
嫉妬深いなんて聞こえが悪いような気もするが、むしろ綱吉はそれが嬉しかった。
自分を、それだけ思ってくれていると。
そう思うと幸せでならなかった。
「はいっ」
いつの間にか乾いた涙できしきしする頬をごしごしと擦りながら、綱吉は返事をした。
多分、今日一日…或いはここ最近のうたで一番と言って良いほど、大きな声だったと思う。
こんなに嬉しい約束など、他にないのではないかと。
そんなことを考えながら、綱吉は笑った。
「あぁ、あとね」
雲雀はそんな綱吉を愛おし気に見つめながら、言葉を紡ぐ。
「君は他と自分を比べる必要なんて無いよ」
君と比べられるものなんて、在りやしないんだから。
そう言って雲雀は自らの腕の中に、綱吉の小さな身体を包み込んだ。
fin