部屋に充満する甘ったるい香りに胸焼けがする。
原因が、このオーブンに焼かれるスポンジやボールのクリームだけならまだしも、空気そのものが甘ったるいのだからどうしようもない。
ヘドが出そうだ。
これならまだ、タールとニコチンに満ちたオッサンばかりの喫煙席の方が良いってもの。
何がいけないって、この空気はあきらかに俺を拒絶している。

すっかり飲み干し、空となったマグカップをただ間を埋めるだけに口に運ぶ。
もちろん中身がないのだから、注がれていたはずのコーヒーが喉を通るはずもなく、虚しさが募るだけ。
煙草を吸えば僻みを言われ、席を立てば今日この場に呼ばれた意味を失う。
どうしろと言うのだ。
この女に、エプロンを着け、スポンジが出来るのを今か今かと待ちわびる女に話題を振れと言うのか。
振ったところで口から出るのはノロケなのは目に見えている。
他人の幸福自慢程聞いていて不快なものはない。
どうして女って生き物はすぐにノロケ話をしたがるのか。
ましてや正式にお付き合いをして三ヶ月なんて、幸せの絶頂だろう。
誕生日に手作りケーキを振る舞いたいだなんてその象徴だ。馬鹿げてる。
何より馬鹿げてるのは、その試作の味見に付き合っているこの俺自身なのだが。


「ショートケーキってさ、シンプルだから難しいよね。」

「だったらブッシュ・ド・ノエルでいいじゃないスか。適当にロールケーキ買って、チョコクリーム塗ってココアパウダー振って、きのこの山刺して。」

「そんなの手作りじゃない。」


大体たらふく良いものばかり食べてすっかり舌の肥えたあの人に、手作りを振る舞う時点で無謀なことに気がつかないのか。
金を払って一流パティシエのケーキを購入した方がよっぽど確実。
いつだったか、誕生日にもらったら困るものランキングに手作りケーキがランクインしていたのを、何かの雑誌で見た覚えがある。
不味いものでも絶対食べ切らなくてはいけない義務感が苦痛なのだそう。
全くだ。
この事実を、この女に言ってやろうか。
でも、その不味いケーキを振る舞わない為の犠牲として、この場に俺が呼ばれているのだろう。
やはり断ればよかったか。
甘いものは苦手だとでも言って。
では何故、俺は断らなかったのだろう。
そう考えたところで、アホらしい回答が頭に浮かび、俺は思考を放棄した。



「どこ行くの。」

「ちょっと煙草買ってきます。」

「ここは禁煙だってば。」

「でもスポンジ焼けるのにまだ時間かかるでしょう。」


いたたまれなく、ずっと握りしめていたマグカップをこれ見よがしに机に起き、背もたれに掛けてあるジャケットを羽織った。
抗議の言葉を適当にかわし、ドアを開け部屋を後にする。
甘ったるい部屋を抜け出した外は、高度経済成長の二酸化炭素と労働者のため息に満ちて。
灰色の空気は、深く吸うと肺に染みた。



牙が嗤う



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