「……なまえ。」
急に、男が何だか人名らしき言葉を口にした。
会話のつじつまが合わず、気になって男の方に視線をやると、男はニカッと笑った。


「なかなかいい名前だろ?今日からお前の名だ。」







「は?」


私は思わず体を起こしてしまった。
言っている意味がわからない。
どーゆー意味?
何がしたいの?

「誰にも言えない事情があったんだろ?死にたい程辛い事があったんだろ?堂々と名前を言えない程自分が嫌いなんだろ?
だったらそんなもん捨てちまえ。全部。」
男は、彼は、私の今までの人生をあっさりと否定した。
いっそ清々しい程、さっぱりと。


「今までのお前は捨てろ。過去も、人生も。今日からお前はなまえだ。」


私の心の中で嵐が巻き起こる。
何もかも、全てを吹き飛ばす。
あの不快な黒いモヤモヤも知らない間に吹き飛び、嫌な汗はとうに引いていた。

「俺と一緒に来いよ。これからの人生、作ってやるから。」

頭も、心も、真っ白になる。
彼の言葉が、私の全てを浄化していく。

「……んで…」
わからない。
この男の優しさがわからない。

「なんで…そんなにしてくれるの……。」
あまりにも優しすぎて、疑いたくなる。
ただの同情ではないのか、と。

「なんで…?アンタにとって良い事なんて何一つないじゃない…」
「なまえが居る。それだけで十分じゃないか?」
「だって……私…なんにもできない…。」
「当たり前だろ!?お前は今日、たった今生まれたんだ。何もできなくて当然だ。」

ああ、そうか、私はつい今しがた生まれたんだ。
何もできないのは当たり前すぎた。
生まれたての赤ちゃんが何もできないように。

「これからできるようになればいい。」
男はそっと微笑んだ。
その笑顔があまりにも馬鹿らしくて見てられなくて、顔を伏せた時、ポタポタと雫が垂れて、私は初めて、今自分が泣いているのだと自覚した。
自覚すると涙はもう止まらなくて、自分でも無様な位泣きじゃくった。
こんなに人前で泣いたのは、どれだけぶりだろう…。


「うっし!じゃあまず自己紹介しないとな!!」
彼は組んでいた足を下ろし、足膝を両手でパンと叩き、姿勢を正した。
その格好がどこかマヌケで、私は少し笑った。


「俺はポートガス・D・エース。この白髭海賊団2番隊隊長だ。好きな事は食べる事と寝る事!以上!!」
眉をキリリと上げ威勢良く言い放った後、顔をほころばせた。

「君の名前は?」

心臓がドキリと鳴り、思わず姿勢を正してしまう。
「わ……私は…なまえ…。」

なまえ…。
初めて言った自分の名前。
まだ慣れてなくて、すごいぎこちない。カタコトだ。
でも、何だかとてもくすぐったい。
嬉しくて、少し恥ずかしい…。


「海の上は楽しい事ばかりだぜ?」
「うん…。」

エースの笑顔がとても眩しくて、私は少し、目を細めた。








どうやら雨は、止みそうだ。





レイン・マン

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