融解する天使





自分の記憶が確かなら、今日は遅刻もサボりもしなかったはずである。


「…あの、先輩?」


ならば、目の前で美しい笑みを浮かべて仁王立ちをなさっている美少年は誰だろう。
考えるまでもない。
この学校の生徒会長、冷泉紫苑である。

あみより一つ年上の高校二年で、去年、入学早々異例の生徒会長就任したお方だ。
ぬばたま、とでも言えばいいのか、夜を連想させるほど深く黒い髪は美しく、嵌め込まれたアメジストの瞳は吸い込まれそうなほどに煌めいている。
率直に言えば、かなりの美人だった。
けれどそんな容姿にときめいてなどいられない。大多数の女子生徒は彼の姿を見かけると色めいて黄色い悲鳴を上げるが、あみは本当の意味での悲鳴を上げることになる。

思考を停止しそうになる頭をフル回転して、あみは必死に自分の失態がなかったかどうか記憶を辿った。


「あみ、ちょっとおいで」


素敵な笑顔とあみの腕を掴む手の力は酷く反比例していると思う。
いっそ清々しいほどに機嫌の悪さを隠そうとしない紫苑に逆らう術はなく、ずるずると生徒会室に引きずられていった。





「…で、あの、先輩。何ですか?あたし、今日は別に何もしてないと思うんですけど…」
「付き合ってるんだって」
「はい?」
「僕と君」
「は?何の冗談ですか?こんな彼氏御免被りますが…いたたすみません冗談です!!」


唐突な紫苑の話を纏めると、つまりこういうことらしい。
よく遅刻をするあみへの罰のため、よく生徒会室に引きずっていって書類を押し付けている行為が、傍目には素晴らしく綺麗な笑みで連行するため、その話がどこでどう捻じ曲がったのか、ツンデレな彼女と何とかして一緒にいたいと連れて行く彼氏になってしまったらしい。
喧嘩を売ってきた不良がそんなことを言っていたのだとか。

あー…その不良、ご愁傷様です。
遠い目をしたあみは、渇いた声でそう零した。
入学早々の生徒会長。加えて名家の出身。それゆえに優等生、というイメージを抱かれがちだが、実際の紫苑は優等生というより不良に近い。
機嫌が悪ければ喧嘩もする。しかも異様に強い。
そんな紫苑にそんなことを言えば、完膚なきまでに叩きのめされるのは明白だろう。


というか、命知らずというよりダイナミック自殺志願をかましてくれた不良がどうなろうと正直どうでもいい。
問題は、それに全く関係ないであろう自分がその八つ当たりの被害を受けていることだ。
自分だって被害者だというのに、この先輩は…!

そう叫びたいが我慢する。
自分は、まだ死にたくないのだから。