誰か平穏を返してくれ



「…本当にやったんだ、暇人だね、君達」
「失礼だなおい」

結局、言われたとおりに書類を片付けた沙弥達に、紫苑は哀れむような馬鹿にするような、とにかく誰かを連想させるような視線を向ける。
その言葉に何か言い返そうとしたところで、平城が「ああ!」と叫んだ。

「わかった!冷泉先生だ!よく見たらそっくり!」
「ああ!本当だ!よく見なくてもそっくり!ミニ冷泉先生!」
「……その言い方、止めてくれる」

むすっとした表情は、到底恭真がしそうにないものである。それでも、紫苑のその顔立ちは少し幼いが、あまりに恭真に似通っていた。
表情、雰囲気の違いでここまで気付かないものかと驚くほどである。

「…僕は、冷泉紫苑」
溜息を吐きながら、そう告げる。
「君達が目の敵にしてる、冷泉恭真の息子だよ」

その言葉に、思わず沙弥が叫んだ。
「…あの人、子供いたの!?」
ごもっとも、である。それに続いて、今度は平城が叫んだ。
「え、え…子持ち!?え、あの人何歳!?」
見たところ、自分達より少し年上に見えるこの少年が、彼の子供。まさに、衝撃の事実である。
ぽかんと見つめる二人に、はぁ、と溜息を付いた紫苑は、本人は否定するも確実に恭真を連想させる優雅な動きで畳に腰を下ろす。
あみをパシって持ってこさせたお茶を啜り、一息ついたところで、話を聞きだした。


「で、何だっけ、あの人の情報が欲しいの?いいよ、あげても」
意外にもあっさりと承諾する紫苑に、またポカンとなる。性格は似ていないようだが、そういう予測の付かないところは皮肉にも似ていた。

「あの、えっと…じゃあ、無難に弱点とか…」
「超本命にいった!何いってんの平城、そんなの教えてくれるわけ…」
「あるよ」
「え…?」
「あるよ、弱点、くだらないことだけど」
その言葉に、全員が紫苑を見つめた。あの、完全無欠にしか見えない恭真に、一体何の弱点が…。そう、言外に視線が語っている。
「まぁ、弱点というか、あれは…」


そう言いかけたところで、突如冷泉邸に悲鳴が響いた。
「うわぁぁああああああ!!!」
その上、どたばたと走るような音まで聞こえてくるではないか。しかも。

「…冷泉先生?」
その声の主は、おそらく、件の恭真のもので。意外すぎる状況に、全員が固まる。そんな中、紫苑とあみが引きつった表情で同時に呟いた。
「…来た…」



「っ、紫苑!!」
バァン!と厳格な襖が乱暴に開け放され、息を切らせた恭真が駆け込んでくる。何事かと問う前に、彼の後ろから聞こえてくる野太い声に、嫌でも状況を理解させられた。

「oh〜!キョウマー!マッテクダサーイ!」
「うわぁああああ!!来るな触るな近寄るなぁあああ!!!」

片言の日本語で喋りながら、恭真を追いかけてくる、その男は。

「……お、おっさん…?」

「来んじゃねぇ――!!!俺は可愛い子にしか興味ねぇんだよ!!男だろうが女だろうが問わねぇが、美人か可愛い系にしか興味ねぇ!!テメェみてぇなおっさんに用はねぇんだよ!帰れこの×××野郎が!!今すぐそのウェディングドレスを脱いで全世界の花嫁に謝れぇええええ!!!」


がたいのいい、ガチムチ系のおっさん、ただしウェディングドレス着用。であった。
どんな視界の暴力だと叫びたい。
その男から逃げるべく時々凄まじい暴言を吐きながら全速力で走る恭真は、急いで紫苑の後ろに隠れる。

「助けて、紫苑!俺にはもうあの変態はどうにも出来ない!蹴っても殴ってもすぐ復活する!ゴキブリもびっくりの生命力だ!」
「だからって僕の後ろに隠れるな!というか、警備は!?セキュリティはどうしたの!!」
「全部潜り抜けてきやがった!うわあああ気持ち悪い!ウエディングドレスがあんなにおぞましい物体になるなんて…!」
「うわ、ブラまでつけてる!しかも純白のレース!!貴方、なんであんな気持ち悪いの引っ掛けてきたのさ!うぇえ…吐きそ…」
「俺に聞くなぁ!!!俺だって臨界点突破寸前だ!!」


荘厳な屋敷の一室は、一瞬のうちにパニックと化していた。あまりにおぞましい物体の進入に、紫苑と恭真以外の全員は震えて隅に縮こまっていた。


「ちょぉ…!何ですかあの気持ち悪いの!」
「た、田村さん!俺の後ろに隠れてて…!」
「…せ、生物兵器…」
「…えっと…あれは、マイクっていう人で…恭真さんの、熱心なストーカーです…」


ドン引きした表情のあみは、引きつった笑顔でそう言った。
多分、あの人の弱点、これだと思います…。そう続けたあみに、三人は絶望的な気分になった。確かに弱点は見つけたが、これはどうも利用できそうにない。
どうしようか、と目の前の汚物から視線を逸らしていると、さらに新たな足音が聞こえてきた。



「…しーちゃん!!」

飛び込んできたのは、稀に見ない美少女だった。さらさらとした薄い茶髪を風に靡かせて、その青い瞳にはきらきらと輝く涙をいっぱいに溜めている。起伏のある身体は女の目から見てもどきりとするほど、色っぽい。
驚く三人を余所に、その美少女は紫苑に思いっきり抱きついた。


「助けて、しーちゃん!!」
「風葵…!?」


美少女は、桜木風葵という、紫苑の彼女であるらしい。若干、自分の胸を悲しそうに見つめながら、あみがそう教えてくれた。
そんな風葵の後ろから、またもよくわからない謎の男が乱入してきた。こちらもやはり、体格のいいラテン系の男である。
あちらもどうやら、変態ストーカーであるらしい。ちなみに、名前はグリコという。


「風葵ちゃん…君もストーカー被害…?」
「恭真さん…!うう、あたし、怖くってぇ…」


疲れきった表情の恭真に、風葵は儚げに涙を零す。その姿は、男なら誰でも庇護欲をそそられるものであったが、彼氏であるらしい紫苑は特に揺らぐ素振りもなく、呆れたように溜息を吐き出した。

「怖がってる?誰が?」
「しーちゃん酷い!可愛い彼女がこんなに泣いてるのに…!」
「はいはい、可愛い可愛い」
「うう…しーちゃんの馬鹿ぁ…!」
「桜木風葵ー!アイシテル!ツキアッテクダサーイ!!」
「キョウマー!ツキアッテクダサーイ!!」
「うっさい!」

二人の男の動きが、止まった。あーあ、と、恭真と紫苑の哀れみの視線が降り注ぐ。
あみは、ストーカー二体に向けて静かに合掌している。
風葵の長い足が、男の股間を見事に蹴り上げていたのだった。


「うわぁ…おぞましいもの蹴っちゃった…」
「その靴はもう捨てようね、風葵。今回は吉と出たけど、貴方も風葵も、靴で家に上がりこまないで」
「「だって、変態が」」
「そんなもんとっとと撃退して来い!!」


カオス。誰からともなく、そう呟いた。
この謎の攻防戦は、どうやらまだまだ続くらしい。