紅に染まる



冷泉恭真に貞操観念というものはない。リアリストな一面も確かにあるが、彼という人間は基本的に快楽主義者である。つまり、楽しければそれでいい。そしてそれは友人関係にも影響してくる。彼は、友人であるシードラと、口付けをする程度であればなんら躊躇いがない。
学生時代には、二人でホモカップルのふりをして回りを引っ掻き回していた程だ。かなり際どいことまでしていたが、実際にどこまでやっていたのかは、謎のままである。
だからといって、それが恋愛感情であるかと問われると、それも違うだろう。
冷泉恭真が恋愛をすることはない。それは、そういった感情に乏しいというわけでもなんでもなく、ただただその感情がないという理由に他ならない。彼には恋愛感情どころか、喜怒哀楽のうち、喜と哀の感情がすっぽりと抜け落ちているのだった。
哀れ、とは、古典文学に代表されるあの「あわれ」が代表するように、人の心を動かす大きな感情のうちの一つである。哀れなくして、愛することはおそらく出来ない。
喜、も同様だ。喜びの感情をなくして、どうして寄り添ってゆけるだろう。
つまるところ、彼には、他人と密な関係を築くために必要な大部分の感情が欠けていた。
それでも、周りの人間が彼を異常者とみなさないのは、一重に彼の人当たりのよさにある。恭真は、自分を繕うことが酷く上手かった。だから周りは、彼を信頼する。
それ故に、その立場もあいあまって、彼は完全に嘘と偽りで塗り固められた存在として、自分自身を確立していった。


そんな彼は、酷く女癖が悪かった。手当たり次第というわけではないが、それでも、気に入った相手にはすぐに手を出す。守備範囲は高校生以上と公言する辺り、彼なりのポリシーはあるようなのだが、それを他人が見抜くことは至難の業だろう。基本的に、彼は可愛い子が好きだ。好みとしては、可愛いより綺麗、もっと言えばナイスバディな美人タイプが好みではあるのだが、彼曰く、可愛い子は何かと虐めたくなるらしい。特に、気が強く自分に反抗してくるような子はとても好きだ。それを捻じ伏せてやるのが堪らない。それは特に男女を問うことはなく、男でも女でも、そういったタイプは彼に目を付けられやすいのである。
つまり何が言いたいのかと言うと、平城と早乙女は、残念なことに彼の好みに一致してしまっていた。沙弥もその括りに近くはあるのだが、幸いなことに、彼女は壊したい、ではなく、遊びたい、で留まっている。
とはいえ、守備範囲は高校生以上、気に入ればすぐに手を出す、遊び人に代表されるような恭真だが、さすがに教師となった立場上、すぐに手を出すような真似はしないだろう。おそらく、少しは。とはいえ、決して女遊びを自重したというわけではない。気が向けば、ふらりと街へ出て行き、誰かを引っ掛けてくることも日常である。今日はそんな、気の向いた日であった。


その日、花鳥は買出しのために街へと出ていた。賑やかな人混みの中を器用に掻き分けて進み、手早く入用のものを買い占めていく。艶やかな黒髪が風に靡いて、宙を漂った。買い物が一段落したところで、花鳥は、視線の先に知った人影があることに気が付いた。「あれは…」彼は、艶やかな黒髪の美女と何やら話し込んでいるところだった。会話は聞こえない。それでも、二人の雰囲気からどうやら恭真の方が女性に声をかけ、誘っているように見て取れる。女性の方も、まんざらではなさそうだった。「……でも、何だか悪いわ…」歩いていくと、所々、声が聞こえてくる。断っているような言葉ではあれど、そこには隠しきれない期待の色が滲んでいたことに気付かない花鳥ではない。そちらへ歩いていくことに若干の抵抗はあったけれど、帰路はそちらであり、今さら引くことも何だか嫌だという変な意地が働き、結局彼の傍を通り過ぎることとなってしまう。声は段々大きくなってきた。「変なこと気にしなくていいのに…いい女は、男にお金を使わせるものだよ」「貴方、女にお金を使うタイプには見えないのに…」「あれ、バレちゃった?」軽快に飛び交う言葉は、戯れのようで、それでいて、捕らえた獲物を逃がそうとはしない。二人はそのまま、連れ立って街の喧騒の方へと消えていった。


「……」聞き逃すはずはなかった。そう、すれ違った、あの一瞬。隣の女性に聞こえないように、至近距離で囁かれた、毒のような言葉。
耳に残る甘やかな声。芯から冷やされる、見下した微笑み。
傲慢なその姿は、あまりに彼に似合いすぎていた。







「…お人形さんが、こんなところを歩いていていいの?」


ああ、気を付けなければ。
大切な人たちが、彼の牙にかかる、その前に。