0と1の境界線






シードラ=インフェルノという人間を語るにおいて、冷泉恭真という名前を出さないわけにはいかない。
恭真の世界の中心部を形作る存在がシードラであるように、シードラにとってもまた、恭真の存在は特別で中核であった。

以前、ある男がシードラを恭真の保護者と称した。
少し前に彼が起こした騒動の中での話である。男の名前は風来灯真といった。
その言葉に対して、シードラは肯定も否定もしなかった。
確かに、保護者のような役割を担うこともある。基本的に、シードラは唯一の恭真のストッパーだ。
シドが「その辺にしておけ」と一言言うだけで、事態が収束することも珍しくない。
だが。シドは、決してその制止の言葉を、他者のために使ったのではない。
それは自分のためだ。自分自身がつまらないと思ったから、止めておけと言う。
もしくは、恭真を想っての言葉か。そのどちらかだ。
それを知っているから、恭真はシドの制止を受ける。
その言葉が少しでも他者を想って放たれたものであったなら、おそらくこの世に恭真のストッパーは存在しなくなることだろう。

今回の件、シドは一度も制止の言葉を吐いていない。
簡単だ。それは、楽しいから。シド本人も愉しんでいるから、止めさせない。
そして。今回は珍しく、自分から動いた。
「いってらっしゃい」と楽しそうに自分を見送った恭真は、そんなシドだからこそ、好いて傍にいる。
自己中心的で、独尊的だから。人間らしいから。それなのに、優しいから。
彼があまりにも人間的だから、だからこそ大好きなのだ。




「よう。待たせたな、犬神…いや、阿弥央と呼んだほうがいいか?」
人気のない、それでも木漏れ日の穏やかな場所。
待ち合わせ場所として指定されたそこに、シドがゆったりとした動作で歩いてきた。

「いえいえ、ほんの百四十八秒しか待ってませんから。ああ、私のことは、中原歩実でお願いします」
「そうか、中原」

それに応えて、歩実が返す。
何故自分の正体と本名を知っているのか…それを問うのは無駄だと思ったから、そこは敢えて触れずに流して、今の身体の名を名乗る。

「それで、こんな場所に私を呼び出して、何の御用ですか?」
「…用があるのは、お前だろう?先に言え、俺の用はすぐに終わる」

実際。歩実は、シードラに尋ねたいことがあった。
見ているだけではわからなかった彼の本質を覗いてみたいと思っていた。
視線を合わせても、深いアメジストの瞳は何の感情も映さない。


「…では、二つほどお聞きしても?」
「ああ」
「シードラ=インフェルノさん。貴方にとって、世界とは何ですか」
「ゲームだ」


シドは、僅かの迷いもなく、一言で答えた。
ただの遊び(ゲーム)だと、言い切った。


「そうですか。では、もう一つ。冷泉恭真を、どう思っていますか?」
「それは、主観か?それとも、客観でか?」
「ああ、そうきちゃいますか…客観でしたら他の人からも聞けるので、主観でお願いします」


「主観、ね……ま、なんか放っとけねぇ、面白いから傍にいる。そんなヤツだよ。俺の、ただの馬鹿な…悪友、さ」

「…そうですか」





シードラ=インフェルノは。冷泉恭真について、面白いほどに、当たり前の答えだけを返した。
世界をゲームだと言い切ったその口で、恭真をただの友人だと言う。
歪んでいるのか真っ直ぐなのか、掴めなくて。

少し戸惑う歩実は、だがすぐに理解った。
ああ、そうか。だから、"だからこそ"シードラは、そこにいるのか。
だから、そこにいれる。
"当たり前"なことがおかしかった。

だってそうだ。恭真と関わって、"当たり前"の答えを、感情を、返した人間は一人もいない。必ず歪んだ感情が生まれる。当然だ、だって、彼自身が狂っているようなものなのだから。
だけどシードラは狂っていない。だから、異常。だから、おかしい。



「今度は俺からの質問だ…中原。お前、どうやって勝機を掴む?圧倒的に不利な、この状況で。教えてくれよ、俺は未だに、この局面で勝ち越した奴を見たことがねぇんだ」


俺も、アイツも含めてな。
そんな声は、風に吹かれて歩実には届かなかった。