廊下を走って、グラウンドの隅っこを走って、財前を突き飛ばして舌打ちされて、テニス部の部室のドアノブに手をかけて、迷った。なんて言うつもりだろう。 迷ったけどその次には勢いよくドアを開けていた。 背を向けた状態で座っていた白石が驚いて振り向き、どないしたん、と目を丸くする。 何も言わずに立っていると、白石は困ったように笑った。 「忘れ物は?とってきたんとちゃうんか」 私があんな風にごまかしたりした後でも、白石は優しい。部誌を書くのを邪魔したのもドアを乱暴に開けたのも聞かれたことに答えないのも怒らないで、私がずるいのも怒らないで、こうして笑ってくれるのだ。 どうして白石は私を好きだと言うんだろう、謙也も白石も優しいんだろう。 私が好きだなんて言ってもいいの。 「し、白石」 「なん?」 「白石、白石、ごめんね」 今までごめん。 「え」と呟いた白石がシャーペンを置いて、慌てて駆け寄ってくる。 何かと思って見上げるとタオルで目元を拭かれた。いたた。 こすれてヒリヒリする目を押さえてから白石を見ると、なんだか泣きそうな顔をしていた。 「なんで泣くんや」 泣いてない、 そう言おうとしたのに、嗚咽がのどに引っ掛かって言葉が出なかった。目が熱い。じわじわと視界が歪んで、瞬くと流れていった。 悲しいわけじゃない、怒ってるわけでもない。なんで泣くの。 白石のタオルをひったくって、違う違うと頭を横に振る。 白石の手が所在なさ気に浮いて、それから私を引き寄せた。 「名前、泣かんで」 息をすると、白石のにおいが鼻を通って私を満たす。止まらない嗚咽に混ざってやっと出てきた言葉は、全く予期しないものだった。 「好き」 けれどそれは間違いなく今一番言いたかったことで、一度口を開いてしまえば涙と同じようにこぼれ落ちていくのだ。 白石が今どんな顔をしているのかどころか、もうユニフォームの色さえ識別できない。しがみつくと、白石は私の肩口に顔を埋めた。 「名前、名前、ありがとう」 頭を撫でる白石の掌も、そう言う声も優しくて、止めようとしている涙は逆にあふれてくる。 悲しくもなんともない、好きなのだ。 「大好きや」 嗚咽は白石に飲み込まれた。 しょっぱいなあ、と思っていると白石もそう言って笑った。 涙は引っ込んで、つられて私も笑う。 こんなにも白石のことを好きな私がいたなんて、きっと誰も知らなかった。 110315 |