逃げれば帰り辛くなるのは目に見えていたのに、サンジは怖気付いて家を抜け出してきてしまった。適当な女に電話をかければ寝床には困らないが、今は断じてそんな気分にはなれない。ポケットから煙草とライターを取り出して煙を吸った。少しでも落ちつかなければ。こんなことをしていてもあの情事がなくなるわけではない。
襟のタイを締めようとするとネクタイをしていないことに気がついた。はてどこで落としてしまったのだろう。
(…風呂場か、玄関か、それとも…)
ネクタイを外した記憶はない。それだけ余裕がなかったのかもしれない。そうなれば思い当たる場所は一つしかなかった。できれば思い返したくない、あの部屋。
(…くそ…)
自分の頬を叩いたルフィの顔が頭を離れない。涙をいっぱい溜めた目とぱきぱきに乾いた唇。思い出す度、まるで心臓が縄か何かで縛り上げられるような感覚がずっとサンジを襲う。
時刻を確認しようと携帯を手にとる。それが示した時刻はもう午後の六時をまわっていた。ああもう晩飯の時間だ。三人はどうしているだろうか。出前でも取っているといいが、万が一自分の帰りを待っていたらどうしよう。
(…そんなことねえか)
食欲には正直な男たちのことだ。自分がいなければ勝手にてめえで腹を満たしていることだろう。別に心配するほどのことでもない。子供ではないのだしいい歳して自炊も出来ないなんてみっともない。
とぼとぼ歩いていると目の前にちょうどいいベンチを見つけたので、そこに座ることにした。
ここはどこだろう。マンションからはさほど離れてはいないと思うが確かなことは分からない。自分の居場所など考えようとも思わなかった。辺りを見渡したって景色など頭に入ってこなのだ。しかし今日はとても暑い。身体がどろどろに溶けてしまいそうだ。いや、溶けてしまった方が楽だろうか。

するとサンジ、と自分の名前を呼ぶ声がした。ぴきんと背筋が凍るような感覚の後血液の流れが一層速度を増したのは、その声が聞き間違える筈もない愛しい愛しい彼の声だったから。
サンジが硬直したまま動かないでいると、また同じように自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。ぱたぱたとベンチへ駆け寄った少年はサンジの前に仁王立ちすると、咄嗟にサンジの腕を掴んだ。帰るぞ、そう言って掴んだ腕を自分の方へ引き寄せた。殴られるかもしれないと思案していたサンジはの顔は豆鉄砲をくらった鳩だ。
「帰るってお前、俺がお前に何したか忘れたのか」
しかしルフィは何も言わず代わりにサンジの頬に手を寄せた。あの時ルフィに叩かれた方の頬だ。たたいてごめん、眉を下げてルフィはサンジに謝った。深く反省するようにがくんと肩を下げて。
「これでおあいこな」
「…」
「さ、帰ろ。みんな腹すかせてるぞ」
しかしサンジは動かなかった。きっとルフィを睨むと、いいのかと声を低くして言った。
「少しは身の危険感じろよ。また俺を傍に置いたら襲われるかもしれねえんだぞ」
「うん。いいよ」
「よくねえよ馬鹿。襲うの意味分かってんのか?さっきみてえなことするぞつってんだぞ」
「それでもおれにはサンジが必要だから」
にかっと笑ったルフィにサンジはそれ以上何も言えなくなってしまった。ただどきどきとまるで少女のように胸を震わせて、かっと顔が熱くなるのを実感するだけ。妙な勘違いを起こしてしまいそうだ。襲われてもいいということはやはりそういうことなのだろうか。こんな理由にかまけてんじゃもう一度なんてそんなことは許される筈もないが。
「とりあえず帰ったらおれにお粥作れ」
ルフィの言葉ではっと気付く。そういえば彼は風邪をひいていたのだった。それと同時に、必要とされたのはただ単に唯一の飯炊きだからかと少しげんなりした。
「風邪引いてんのに外なんかに出たらだめだろうが。ガキは家でおねんねしてろ」
「誰を探しに来たと思ってんだバカ!」
冗談まがいにサンジを睨んだルフィは、いつものルフィだった。サンジはほっと安堵した。
彼の温かい手をぎゅっと握り締める。ルフィが歩き出す歩幅に合わせながら、サンジはマンションへと歩を進めた。


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