〔金曜日〕

うざったいほど今日は晴れた天気だった。自分の心の内とはまるで大違いだ。それがマルコにはとても腹立だしいことであった。キーボードを叩く手に自然と力が籠って、エンターキーを思い切り中指で弾いてしまった。バチンというとても大きな音がして、隣のデスクに座っていた若い社員が驚いて肩を上げた。
今朝もまたとてつもない早い時間に起きてしまった。ここ数日間で今まで通りの規則正しい生活から遅寝早起きという現役社会人には厳しい生活習慣に変わってしまった。睡眠時間が大切だというのに、やはり五時過ぎになると自然と目が開いてしまう。
(今日はゆっくり寝られると思ったんだが…)
何せもうあの少年は自宅にはいない。神経を張り詰める必要もなくなったし、誰かのために朝食を作ることもない。また普段の生活に戻ったのだ。それだけのことなのに−…たったそれだけなのに、今朝ずっと開くはずのない寝室の扉をじっと見つめていた自分を思い出すと胸が痛くなる。
マルコは目頭に熱が集まっていくのを感じた。自分にはこんな女々しい部分があったのかと自嘲気味に思い、これ以上の少年のことを考えるのはやめようと頭を左右に何度も振った。昨日のミスのことで上司からしつこく嫌味を言われたが、もうそれは終わってしまったこととして気にしない。自分の感情に流されて仕事を疎かにしているようではこの先やっていけない。
昨日仕事を何もしていなかったせいで、今日片付けなければならない資料が山積みになっていた。その日は昼食をとる間も惜しんでずっとパソコンに向かい、大量にあった仕事を夜の九時には捌き終えた。そのマルコの仕事ぶりを見た上司は何かを言うことはしなかったが、嫌味を言うこともしなかった。

仕事を終え会社を出てそのまま真っ直ぐ帰路についた。さすがに免疫力がついたのか、自宅の戸を開けて真っ暗な世界が広がっていてもそうショックは受けなかった。玄関、廊下、リビングと順番に電気をつけていって、肩の重荷になっていたスーツを脱いでハンガーにかけた。足元に散らかったままの資料を見て、いい加減掃除しなきゃなと心の隅で思う。が行動に起こせないのが男である。取り敢えず風呂でも沸かそうと風呂場へ向かうと、玄関と廊下の電気をつける必要がないことに気付いた。まるで来客を待ちわびているようだが、これから誰か人が来るわけでもあるいまい。マルコが電気を消そうとすると、あろうことかインターホンが鳴り響いた。
(…)
マルコは驚いた。心にもないことが起こった。本当に客が来てしまった。家の灯りが人を呼び寄せたのかもしれない。しかしこんな時間に訪ねてくるなんて誰だろう。エースは海外だしそもそも彼のインターホンが一回だけで終わった試しなどない。結局思い当たる節もなく、マルコは玄関へ歩を進めチェーンと鍵を解除した。そして目を見張った。開いた戸の隙間から、暗闇と一緒に玄関の光に照らされたのは、数日前までこの家にいた少年ルフィに違いなかったからだ。

「…」
本当のことを言えば、予想していないわけではなかった。頭の隅で期待していた。しかしそれが現実のことなると、驚いてすぐに言葉を発することができなかった。ようやく脳内の整理をし終えて彼の名前を呼ぼうとすると、その前にルフィが「マルコ…」と虫のような声を出した。
「…おれ…やっぱり…」
そこまで言って少年は歯を食いしばった。大きな目の淵には涙が溜まっている。マルコは何も言えない。またルフィが口を動かした。
「マルコがいい…マルコの家がいいよ…」
堪えきれずにとうとう涙が溢れだした。彼は制服の袖で涙をがしがしと拭って、鼻水をすすり出した。ルフィの足元には世話係初日にみた大きな鞄が置かれている。
「…もっかいここに住ませてくれよ…」
友達の家で何があったのかは分からない。勝手に一人で出て行ったくせにずいぶんと我が儘な子供だ―…しかしそんなことを考える余裕もないまま、マルコは本能に従って少年の貧弱な身体を抱き締めていた。それは少年を再度この家に受け入れるという無言の合図でもあった。ルフィの身体は外の空気に触れすぎたのかとても冷たかった。そしてすぐに彼の腕が自分の背中にまわされるのを感じた。


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