※暴力的表現、出血など痛い描写があります
















「だから何度も言ってるじゃないですか。無神経で、愚鈍で、無知で、平気で他人を土足で踏み荒らす。貴女なんか大嫌いです」

極上の笑みを添えて汚く罵る度、直線的な暴力は受けていないのに彼女はまるで殴られているかのように傷を負う。
無神経、頬が赤く腫れた。
愚鈍、口の端が切れた。
無知、瞼が紫に変色して厚くなる。
極めつけに、大嫌い。
がん、と殴られたような音がして椅子から転げ落ちた彼女の右側の鼻の穴から血が流れ落ちた。
女神、或いはマドンナと讃えられる可憐な容姿は見る影もなく、殴りいたぶられ廃棄処分前の人形のような少女がそこには居た。

彼女は言葉の暴力を受けると身体に傷や怪我を負うという特殊な体質の持ち主だった。可憐で華奢で細い線の身体。誰もがそんな彼女をいたわり優しく接した。そのくせ彼女は自分が大事にされている事実を知ろうともせず、無警戒にこの男子校を闊歩する。
僕はそんな彼女が虫酸が走るくらいには嫌いだった。恵まれているくせにそれに気付かない。そして同情をひくようなその体質。私、可哀相でしょ?止まる事なく流れる鼻血はそう主張しているようで尚更腹が立った。ざまあみろ、清々する。地べたに寝た事なんてないだろう彼女の踞る姿は僕の気分を良くさせた。

「痛いですか?詰られるってどんな気分か知らなかったでしょう。貴女は恥ずかしいくらい傷が無いですからね。だからお姫様って揶喩されるんですよ。さぞかし大切に育てられたんでしょうね」

悔しいけれど僕は嫉妬していた。見下していながらも自分より恵まれた環境で育ってきただろう彼女に嫉妬していた。恵まれているくせに傲慢ではない彼女の能天気さが羨ましかった。

「……ねぇ颯斗くん」

先程まで地に伏せていたはずの彼女は這うようにして起き上がり僕を呼ぶ。赤く腫れた唇からは血が滲み、白い腕には内出血の斑点が浮かんでいた。

「私ね、一度も叱られた事がないの」

腫れて上手く開かない瞼を上げようと懸命に目を動かしながら彼女は言う。

「皆大切にはしてくれたけど、私を叱って詰る人なんか誰もいなかったの。私、それがすごく悲しかった。私は血を流してまで誰かと向き合う価値がないと言われてるみたいでとても寂しかった」

ぼたぼたとみっともなく落ちる鼻血を袖で拭いながら、目線を僕から逸らさない。怖いんだ、その愚直さが僕は怖い。彼女は誰かを幸せにするのが上手い訳でも優しい訳でもなかった。無神経にストレートに。傷を厭わずにぶつかってくるから彼女の言葉は一番やわらかい場所に届いて僕という存在の芯を揺さ振るのだ。怖いから嫌い。嫌いだから突き放し傷付ける。嫌いだと言って詰る事で僕は知らず知らずに彼女と向き合っていた。

「だから、」

私の悪いとこ全部突き付けてくれたの、颯斗くんが初めてなんだ。
頼むから僕の名前を呼ばないで。悔しい、これ以上嫉妬させないで。ずるいずるいずるい!僕にはない愛情を受けて育って、恵まれて許されて。そのくせ愚直なまでに真っすぐで歪んではいない。何一つ許せない僕は簡単に他人を許せてしまう彼女が堪らなく羨ましかった。
ボロボロのくせにしまりのない笑みを浮かべる彼女が僕は、僕は。

「嫌いです」
「私は好きだなあ」
「うるさい、嫌いだ、」
「好きだよ」
「嫌いだ!貴女はどうしてそんな、」
「真正面にぶつかられて、向き合っちゃう颯斗くんは結局やさしいんだよ。痛くても呻きながら顔あげてさ、人の話を聞くでしょう。そういうとこ、私尊敬する。私は無神経だから、こうやって一方的に自分をぶつける事しか出来ないもの」
「……っ、僕は、みんな、みんな、」

何一つ許せなかった。だから誰かに愛され許される自分を許せなかった。

だから弱い僕を許した会長が嫌いだった。
否定を肯定に変えようとする彼女も嫌いだった。
嫌いだ嫌いだとヒステリックに叫び、過剰な潔癖さで他人を遠ざける事で僕は僕の輪郭を保っていたのだ。今更僕は何を許せばいい?きっと何か一つ許せばきっと先は芋蔓式で僕はどろどろと世界に溶けてしまうだろう。それでも、僕は顔を上げずにはいられなかった。必要ないと忘れたはずの名前を呼ぶから。それは僕の何よりの願いだったのだ。誰かが僕を必要として僕を呼ぶ。そしたら僕は、何がなんでも顔を上げない訳にはいかなかった。
軋む身体を引きずってでも、僕は空を見上げる。美しくもなんともない、ただ青いだけの空が眩しくて僕は泣きたくなる。

「……嫌い、です」
「颯斗くんの嫌いは、好きっていう意味だもんね?」




お誕生日おめでとう、そらお。
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