ローレライ


 船旅はカンバスというのは、彼女の言だ。描かれる鮮やかな空色や、また時としてたちこめるグレー。私が好きなのはモスグリーンの水底、彼女は笑んだ。
 そんな彼女に、まだ若かったクロコダイルが絵の具や筆はと訊ねると、しら立つ波や碧く広がる空、空を翔ける鳥、水底に潜む生き物たちだといった。航海日誌だけではない、男たちの本へも絵筆が色を描いた。

 男たちは陽気に航行する。歌をうたい、口を開けて笑う。波は幾度となく強いこともあれど、男たちを乗せた船は海原を切って進んでいた。
 ある伝説を歌う船唄。乗員のひとり、彼女が美しい声とともにがギターラを掻いた。
 ローレライに気を付けて。あなたは、そこへとおちてしまうから。約束しましょう。最後まで、私と一緒にいてくれる?
 彼女の音色が響んだ途端、全ての波が彼女にひれ伏し、風が泣いて、男たちをみなそこへおとしてしまった。
 おとされる男たちのなかで海から嫌われていた男がいた。クロコダイルだ。唯一彼だけはおちることはなく、陸へ立ち、やがて砂の玉座に腰掛けた。
 彼は砂の王を名乗ったが、彼女は約束をおいてどこにいってしまったのだろう。


 あの日から何年も経過している。金の瞳をした彼女が、変わらぬ笑みを浮かべた。対してクロコダイルは、久方ぶりの再会だというのに浮かべるべき表情が分からない。
 砂の王の眼前にモスグリーンの景色が広がっている。彼女の瞳のなかに、寂しげに横たわる白銀のしずくをみた。

「フジツボが玉座の、嘘つきなローレライ」
「約束したでしょう」
「可哀相なローレライ、何人の男を召し抱えた?」
「波がひれ伏して、みんな私にお辞儀をするのよ」

 砂の王は目の前の事実を疑った。そして、このモスグリーンの景色が嘘であることを願った。
 かつての約束を忘れた女がそこにいる。嘘つきはどちらだろうか。いなくなって他の男を召し抱えたのは彼女の方だというのに。
 彼女のほっそりした指を飾る貝殻は、よくよく見れば骨の欠片だ。広がるモスグリーン。彼女は水底の女王として生まれ変わり、陸の名誉なんてすっかり捨ててしまった。そんなもの、水底の女王には必要ないのだから。
 金の瞳のなかに横たわる銀のしずく。女王は砂の王を濡れた声でそこへと押し倒した。

「約束しましょう、私と最後まで一緒にいてくれる?」


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