オレンジの海


 この部屋の光源が全て人工物に換えられてからどれくらい経つのだろう。彼は酷く嫉妬心が強い男だった。何気なしに眺めていた天窓の大空にも妬いて、部屋の窓全てを遮光カーテンで埋めてしまったのだ。
 それでも彼女はそんな男を愛しいと思っていたし、また男も彼女を異常なまでに溺愛していた。
 ごくごく小さい音で流れるクラシック。DVDが観たいと頼みこんで置くことを許された薄型テレビのなかで、淡々と作曲者の故郷の風景が解説つきで黙々と流れていた。
 生憎度が低いとはいえ眼鏡を使っている彼女には解説がはっきり読み取れることはないけれど、緑溢れる風の丘や碧い海、人が行き交う古い町並みの映像が流れているのだろうと少しだけぼやけた視界のなかで、ぼんやりと理解する。
 そして映った海へ沈む夕日。
 目に痛いオレンジが、高画質液晶から彼女の眼球を叩いた。海の藍と空の朱が混ざって交ざって雑ざってまざっていた。ただ、色がまざりにまざって濁っている。
その濁った色が、恋しい。恋しい。

「何、見てんだ」

 ブチリ、と音をを立てて消えた映像。僅かに怒気を孕んだバリトン。彼が任務から帰ってきたようだ。リモコンを手に、険しい表情でこちらをみている。
 おかえりなさいと言おうとするも「何を見ていた」と遮られてしまった。ただ、「クラシックのDVDをみていた」と伝える。本当のことだ。確かに彼が嫌う外の景色が映っていたが、実際「作曲家の故郷の風景とともに音楽を味わう」と謳われたパッケージがテレビ台の上に置いてあるのだから本当のことなのだ。

「ごめんなさい。それから、おかえりなさい」

 それでも、彼を怒らせるのは懸命ではない。非常に賢くない行動である。そう思いつつも、DVDに注視していたことに彼は嫉妬したことへの喜びが、彼女の心に巣食う。

「音楽だけでよかったんだけど、テレビつけっぱなしにしちゃった。ほら、この前スピーカーを新しくていいやつにしたし、テレビなしでも音は流れるようにしたでしょ?せっかくのクラシックだからスピーカー使いたかったんだけど、私ったらドジね。テレビ消し忘れちゃった。今度買うならクラシックはCDかレコードで買ってもらってもいいい?」
「ああ」
「そら、私はオレンジが好き。ザンザスもそらで、オレンジ色でしょう。だから好き。それから、ザンザスのほら…ええと、光の球。あれもオレンジだから、オレンジが好きなの」
「分かってる」

 仄かに笑った男はそのまま壊れ物でも扱うかのように優しく彼女を抱いた。すり、と鼻先が女の白い首筋を掠めて、女も離さないでとばかりに太い首に腕を回す。
 愛してる。甘い声で呟いたのは、どちらだったのか定かではない。シーツの海で溺死する寸前に見たものは、カーテンの裾から漏れるオレンジの光だった。


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