一切の希望を捨てよ


 将校が数日間士官学校の講師として招かれることは儘あることだ。現役将校が講師として訪れることで若い海兵たちの士気を高め、またその強さを間近で体感し更なる精進へと繋げる。
 それはサカズキ自身が海軍に入隊した数十年前から行われており、自身が将校になったとて数年に一度訪れていたのだからある意味慣れた仕事の一つでもあった。

 若い海兵が並ぶ隊列は白襟が眩しく、叱咤激励を求めるその瞳は濁りない。彼らは正義を掲げるには些か純粋すぎるような心地さえする。
されど「義もなき狗と言はるるな、卑怯者とな誹られそ」とは良く言ったものだ。彼らが海賊と相対したところで咆哮し牙を剥くことができるのは恐らく一握りの者だけであり、怖れ慄いて逃げ腰になるものはどのくらいいるのだろう。若く純粋であるが故その瞳が濁ることも、若い芽が潰えてしまうこともあるのだろうか。

「お尋ねしてもよろしいですか!」

 隊列の後ろ、いちばん小柄な海兵が挙手をしている。
 サカズキがこの数日間海兵を観察して印象に残る者のひとりだった。海兵のなかで女も少なくはないが、そのなかでも一際小柄でまるで子供のような者だと記憶している。体力が無いのか訓練中にへたばることも多かったが、道場に残ってはひとり鍛錬していたから、将来的には優秀な海兵になるだろうと目を付けていた。

「あァ」
「海軍にも海賊にも悪魔の実の能力者は大勢いますが、人間が実をたべることで悪魔に成り下がり、力を得、人々には畏怖されます。ある意味「化け物」と言ってもいいかもしれません。力を得ることは悪いことではなく、寧ろ有利に働く武器として優れているとは思いますが、能力者に対する「○○人間」という表現は――悪魔の実を食った化け物が、人間であろうとするのは傲慢ではありませんか?」




「化け物風情が」

 女が忌々しげに吐き捨てた。サカズキが己の半分にも満たない小柄な体躯を見上げることは、人生のうちで数えるどころかあり得ない。それがたとえば病床に伏したとして看護婦を見上げただとか、幼い時分の膝枕から見上げただとか微温湯のようなものですらカウントするのも曖昧だ。サカズキは地に膝をつき垂れた頭から、眼前に立つ女を睨め上げた。
 海楼石が埋め込まれた鎌の切っ先で、女はサカズキの顎を撫でる。くだらんとサカズキも吐き捨てようと、触れている顎から力が抜けていくのが分かる。

「マグマ人間?マグマにもなりきれず人間ですらないただの火属性のモンスターが「マグマ人間だ」「海軍大将だ」なんてよく言えたものですよ」
「小娘がァ」
「黙れ!化け物風情が何を言う?それでも自分は人間だと豪語できます?悪魔に身を堕としたモンスターのくせに傲慢すぎる!人間はてのひらからマグマをおこしません、万年凍土をつくることはしません、光の速さで動けば物理学的には粉みじんになって死ぬ。お前たちは人間ではない!化け物だ!」

 女は大将赤犬、サカズキの直属の部下であり――かつて士官学校時代「悪魔の実の能力者は化け物であり、人間に非ず」と発言した訓練生であった。女、×××は「悪魔狩り」の異名を持つ海兵だ。その異名の通り、×××は相棒の大鎌を振り回しては悪魔の実の能力者をことごとく駆っては狩ってその首を穫っていた。その戦果から力のある能力者の海賊の討伐に招集されることも少なくない。酷烈な思想の赤熱と、首を刎ね落る悪魔狩り。それは海軍のなかでも畏怖される対象だった。
 その「悪魔狩り」がまさか身内に――飼い主にその刃を向けるなどと、誰が考えただろう?

「…古の時代、魔女は生かしてはならぬと聖書に書かれ、多くの魔女と魔法使いが処刑されました。その多くは無害な賢く哀れな森の女たちでしたが…中には「悪魔に魂を売り渡した人間」も含まれていました。それらは、絞首でも斬首でも焼いても凍らせても石を投げても死なない。あろうことか拘束されているのに我々に反撃すらしてくるんですよ。何故だと思います?――奴らは、悪魔の実の能力者だったから!」

 ×××は静かに吼えた。円く愛らしいとすら思われたその瞳はだくだくと濁り、爪牙を剥く。興奮しているのか×××の唇はわななき臨戦体制で身構えているのに、言葉はとても冷静で苛烈だった。

「傲慢な悪魔は、狩るべきだ!もう――人間ではないのだから!」

 身の丈ほどもある柄を握り締め、×××は六の字を描くように鎌の切っ先を振り上げた。


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