初めて彼が泣いた日




「ねえ、名前。僕は君の一番になりたい。」
「…っ、また、無理な話をするねぇいさっくんは。」

彼は書物から視線を離すと、随分悲しそうに眉をひそめ、僕を見つめた。
僕は箱から新しい包帯を取り出すと彼の腕を捲り、真新しい縫合された痕を睨む。

「化膿、してるよ。自分でやったね?」
「いさっくんは、どうして私の一番になりたいの?」

質問には無視ですか。と内心ため息を吐き、縫合用の鋏を取り出すと僕は痛々しく膿んでいる傷口の糸を丁寧に切り、抜いていく。
時折痛そうに眉をしかめて、僕を見つめる彼の視線が刺さるが、なんだか今日は興奮できなさそうだ。

「ただ、一番をになりたいだけ。君の頭の中にある一番を私で塗り替えてやりたいの。」
「残念ながら、私の一番は誰でもないのだよ。もしかすれば、みんなが嫌いで、一番すらないのかもしれないよ」
「無関心にはなれないくせに。」

痛いところを突かれたように目をかっぴらき、彼は長い睫を伏せるとため息を吐いた。
ぱちん、と最後の一つの糸を切り抜き、僕は救急箱から消毒薬と薄い木綿の布を取り出し、丁寧に処置を施した。
鼻につくような消毒薬の香りがゆっくりと部屋の中で循環されていく。

「無関心さ、今も、昔と同じで。人間に興味なんてないのかもね」
「うそつき。名前は他人に無関心になれない。それなのに、無関心のフリをする。」

少しは他人に依存すれば?そう言うと彼は苦笑をし、馬鹿。と軽く僕を罵ると片手を僕の髪に伸ばした。

「いさっくんの言うとおりかも、きっとね、私はこの世界に居続けてるから無関心になれないんだ。何故かしりたい?」
「是非、名前の話を聞かせて?」

そう言うと、甘くとろけそうな笑みで私に話した。
例えば私は、未来で一度二十歳まで生きていたんだけど、何かの弾みで死んで、こうやって巡り巡ってこの世界に生きてきたとしよう。
未来じゃあどんな事も便利でもって満ち足り過ぎてリアリティがなさすぎたんだ。
それにくらべてこっちはどうだい?
なにもないから、自分たちで作り出さなきゃいけない。でも心が豊かで、足りないものを自分たちで補うからリアリティがあり、楽しい。

「きっと、未来の私はどうしようもないくらいしょうもない奴だったのかもしれない。だから、どうしょうもないところで死んだのかもしれない。」
「それでも、名前は今、此処に居るでしょう。楽しいから生きてるんでしょう?じゃあ、いいんじゃないかな。小難しい話は僕にはわからないけれど、こうして僕の目の前にいる君が生きてるのが証拠だよ。」

そう言い切った後の彼の顔は普段見れないような驚き顔だったのに、直ぐに吹き出して僕の髪をクシャクシャに撫でてはにかんだ。

「私はいさっくんのそういうところ、好き、優しいところとかも好き。」
「ほかの僕は?」
「反吐が出るほど嫌い」
「僕はそんな事言う名前が好き。」

そう言うと彼は僕を抱きしめて噛み締めるみたいに泣いた。誰の前でも泣かない彼の涙はとっても温かくかんじる。

「変態で、電波で病んでるくせに」
「意地っ張りでも、甘い名前が好き」

ちゅ、と額にキスをしても文句を言わずに受け入れてくれる彼に腕を回して僕は余韻に浸りながら瞼を閉じた。

今だけなら、僕は彼の中の一番だと余裕で居られる気がしたから。







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