空気の中に毒 | ナノ


人間は脆い。少し弱いところを突くだけで、あっさりと崩れてしまう。

その感覚を、俺は知っている。知っている、忘れていた。

痛いよなぁ、苦しいよなぁ。
呟く声は、痛ましい姉妹に聞こえないように。
そっと、息に乗せた。





怒りと心配に満ちているのに、悲しそうな、不安そうな、そして酷く悔しそうな顔が、目の前にある。
人間をとうの昔に超越した俺のような存在でもない限り、気付かない程に上手く感情を隠した表情。この年齢で、ここまで徹底したポーカーフェイスは、ただただ痛ましい。

「取り敢えず、落ち着け。夕雨は大丈夫だから」
「……根拠は」
「見りゃわかんだろ。呼吸は落ち着いてるし、発熱してる訳でもない。気絶した、ってこと以外に問題なんてねぇ」

まるで眠るかのように自然に気絶した夕雨。さほど苦しみは感じなかったはずだ。
……いや、感じる前に、きっと強制的に意識をシャットダウンしたのだろう。利口な判断だ。そしてやはり、その判断が出来たことが痛ましい。

「前はきっと、もっと苦しかったんだよな」

肉体的なダメージ無しに、精神的なダメージだけで意識を落とすというのは、それ程のことのはずなのに。

「何が?」
「あんたらの、親の死んだ時の話だよ」
「……何で知ってるの、とは聞くだけ無駄?」
「よくわかってんな。……朱雨。あんたは、覚えてるみたいだな」
「まるで覚えてない人がいるみたいな言い方だね。腹立つ」
「軽口を叩ける気力が戻ったみたいで大いに結構」

軽くからかうように言ってやると、苛立った表情を浮かべる。その表情が歳相応で、低い位置にある額を指で弾いた。
ポーカーフェイスなんかじゃない、それくらいが丁度良い。

「…痛い。最低。ついでに過去の古傷抉ったのも最低」
「夕雨のこと話さなくて良いなら、俺もこんなこと言わないけどな」
「……ほんと、あんた最低」

ふう、と息を吐いた朱雨が、俺を促す。

「で? なんで夕雨はこんなことに?」
「あ、最初っから言っとくけど、全部は話さねぇよ?」
「あ? なんで」
「夕雨とあんたの問題に、そんなに深く首突っ込むのも野暮ってもんだろうが」
「……も、ほんと面倒臭いね、神様とやらは」
「はいはい。……で、朱雨。あんたはあんたの親の死に様、覚えてんだな。夕雨は?」
「……どうせ知ってるんでしょ。忘れてるよ」
「予想の域は出ないから確認。でも、やっぱりか……」

夕雨は、彼女の両親の死に様を目撃した。そして、自分の心を守るために、記憶を閉じ込めたんだろう。
両親の死――それも凄惨な殺戮の跡として見せられた死は、幼い少女には、きっと辛過ぎる現実で。
見た直後、夕雨が気絶したことを俺は知っている。朱雨が気絶出来なかったことも、また。
強引に意識を絶った夕雨は、苦しかっただろう。それを支えながら一人で立っていた朱雨は、辛かっただろう。

嗚呼、本当に。
なんて、痛ましい子供。

「夕雨が忘れてるから何? 何か関係あるわけ」
「あー……つまり、夕雨にとって親の死は、トラウマになってる訳だろ。多分、そこに片足踏み込んだ、って感じ」
「……二割くらいしか伝わらなかったんだけど」
「悪いが話せるのはここまで。続きはいつかまた、愛しの妹ちゃんとどーぞ」
「はあ?」

朱雨には殆ど理解出来なくても仕方がない。彼女は、家族について無知過ぎるのだから。

「ヒント、何で夕雨の左目は黒じゃないんだと思う?」
「え……それは、母が、」
「そ、遺伝。さて次のヒント。……その色は、どっから来たんだと思う?」
「……え?」
「あんたらの母親は、まあ三代遡ったくらいじゃ日本人の血しか出て来ない。でも、日本人に金眼がいるか? いないだろ」
「…………」

ハッとした表情で黙り込み、思考を巡らせ始めた朱雨に、微かに頬を緩める。

しばらくはそうやって頭悩ませてろよ。そんで、他の嫌なこと、辛いこと、それから自己嫌悪なんて忘れちまえ。
せっかく、あんたらに何の柵(しがらみ)もない世界に来たんだからさ、

――だからさ、少しは。幸せに、なれたら良いね。


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