月の色 | ナノ



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 三木ヱ門くん、という、やんわりとしたどこか眠気を誘う声と肩を軽く揺らす感覚に、緩やかな目覚めが促された。こんなにきれいに起きることのできたのは久しぶりだ、と思いながらゆっくりと瞼をあげれば、「あ、起きた。」という、間の抜けたつぶやきが漏らされる。


「おはようございます、三木ヱ門君。」

「……おはようございます。」


 朝の光にきらきらと髪を揺らす、その人を見上げながらさらりと記憶をさらい、昨夜のことを思い出す。
 ああ、そうか。結局この人は泊まったのか。
 身体を起こしながら考えて、改めて隣で正座をしているその人ーー斉藤タカ丸を見る。すでに身支度は終えているらしく、真新しい紫の制服を纏っていた。朝に弱そうな顔をしているけれど、そうでもないらしい。
 自分と同じ色の制服に妙に違和感があるのは、その人がすでに少年期から逸脱しているからだろう。自分が着ていることにようやっと慣れたこの色を、すでに青年期とも呼ぶべく人が纏っていたことなどかつてなかった。そう、だってこの人は六年生と同い年の、十五歳なのだから。
 それは改めて考えるととても不思議なことで、よく昨夜の自分はこの人に対してあんな無礼な口の効き方ができたものだと感心してしまう。あのときは眠かったとはいえ、謝った方がいいのだろうか、と考えるも、あまり気にしてなさそうに見えて今更昨夜の話をほじくり返すものか迷ってしまう。だから気づかなかったのだろう、もうお天道様は随分と高い位置に上っているということに。


「三木ヱ門くん?そろそろ準備しないと遅刻じゃない?」

「……うああああ!なんで教えてくれないんですか!」

「ごめんねえ。」


 へらりと、少し眉尻を下げて笑うこのひとに、それ以上何か言うこともできなくて唇をかみしめる。そもそもこれは八つ当たりだ。周囲の状況に気づかずに考え込む癖をさんざん直せと言われたのに直せていないのは三木ヱ門だ。それに、いくら何でも知り合って一日二日の人物が考え込んでいるところに声をかけるのは、さすがにやりづらいだろう。三木ヱ門としてはそこに遠慮するくらいならまず部屋に来るのを遠慮してほしいところだが、そこは人それぞれだろう。とにかく顔を洗ってこようと枕元の手ぬぐいをとれば、再び彼に呼び止められた。


「なんですか!」


 今はとにかく時間がない。朝食を抜けば授業には余裕だが、今日は一限から実技だ。できればきっちりと腹を満たしたい。


「三木ヱ門くん、髪はそのままできてね。」

「は?」

「ぼくがやってあげるから。」

「……あまり時間はかけたくないんですが。」


 昨夜髪を梳いてもらったときは、とても丁寧に梳いてもらったせいか、その分髪も調子がいい。ただ、今は丁寧さよりも早さがほしいのだ。昨日のように時間をかけてもらっては困る。


「大丈夫大丈夫。ちゃちゃっとやっちゃうから。」

「……では、おねがいします。」


 いまこの場で押し問答をしている時間も惜しい。時間がかかるようだったら自分でやってしまえばいいのだ、と考えながら了承をすれば、任せて、なんてゆるりと笑う。


「じゃあ、いってらっしゃい。」

「……いってきます。」


 たかが顔を洗いに行くくらいのことで、いってらっしゃい、だなんて。へんなひと、と思いながら、すでに誰もいない井戸に向かう。ばしゃりと音を立てて荒く顔を洗えば、水滴が首筋を伝って気持ち悪かった。それをおおざっぱに手ぬぐいで水を拭いながら部屋に戻れば、すでに二人分の布団はあげられていた。


「あ、すみません。」

「いいよいいよ。それより早く着替えな。その間に髪結ってあげる。」


 そういって枕元にあったのだろう制服を手渡してくる人に、戸惑いながらも従う。はて、こんなに動いているというのに、その間に髪など結えるのか。首を傾げながらも帯に手をかけた瞬間、ふと背後で風が動いた。


「はい、完成。」

「……え?」


 風が動いた、だけ。けれど、確かに三木ヱ門の蜜色の髪は、いつものように高く結い上げられている。後ろを振り向けば、そこには柘植の櫛を持った人がなんでもないように立っていた。けれど、まさか。風しか感じなかった。仮にも忍術学園で三年以上学んだはずの、三木ヱ門が。


「ほら、はやくはやく。おばちゃんの朝食、食べ損ねちゃうよ?」

「あ、はい!」


 カリスマ髪結いとは聞いていたけれど、それだけではないのかもしれない。四年生とはいえ、学園長先生が途中編入を認められただけのことはあるのか。


「よし、じゃあ行こっか。」

「はい。」


 するりと、自然に手を引かれながら思うのは、少なくとも順忍の才能はありそうだ、ということ。
 だってこんなにも、もう隣にいることが自然だなんて、なかなかできることではない。 

 

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