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何時終わるとしれない軌跡の始まりに僕は立つ


 ときどき、あいつは俺を見て、泣きそうな顔をするようになった。
 いつからだろう、と考えても、とりあえず全国が始まった頃にはすでにこの表情は見ていた、としか言えない。
 何かあったのかと聞いても、俺が何かしたかと聞いても、なんでもないとはぐらかすばかりで、何があいつにそんな顔をさせるのかは結局わからなかった。





「神尾。おい、起きろ」


 待ちくたびれたのか、人のベッドで眠りながら出迎えてくれたこいつを起こそうと軽く揺らす。


「神尾」


 無防備な寝顔を隠す欝陶しい前髪をかきあげながら、名前を呼ぶ。
 いままでならばこいつが寝ていて顔が隠れるなんてことはまずなかった。なぜなら、こいつは本当に人の家にいる自覚があるのか疑うほど、他よりは広いだろうベッドやソファを目一杯使って仰向けに寝るからだ。
 だけど最近の神尾は、横向きに丸くなって、何かに怯えるように眠る。そして、


「……あとべ?」


 起き上がったこいつは、信じられないほど弱い表情をさらした。

(…なんで、)

 こんな表情をする奴じゃなかった。こいつはもっと、能天気な奴で。無責任に、笑って、怒って、時々泣いて。
 こんな、押し潰されそうな表情をするやつじゃなかったのに。


「…起きたか?」

「ん…、おはよ、跡部」

「今は夕方だ。日本語は正しく使え」


 めんどくせーやつ、といつものように何の悩みもなさそうに笑う神尾に背を向けて、ブレザーを脱ぐ。
 今日さー、とあったことを休みなく話しては自分で言ったことに自分で笑う、その声のトーンもいつもどおりで、気のせいなのではないかと疑ってしまう。さっきのあの、怯えたような瞳は、伏せた瞼は、震えた睫毛は、何かを小さく呟いた唇は、


「なぁ、神尾」

「なに?」

「部活はどうだ?」


 びくり、と。
 いっそ見事なまでにわかりやすく揺れた肩に、疑うなという方が無理だと思う。
 ネクタイを解いただけの着替えを後回しにして近寄り、下から覗き込むように膝を折れば、まわりが白くなるほど噛み締められた唇が見えた。
 神尾。呼んで、厳重に閉じられた唇を開くように、そっと指でなぞる。


「言ってみろ」

「やだ」

「やだじゃねぇ」

「じゃあだめ」

「神尾!」


 今にも崩れ落ちそうなくせに意地を張ったようにこちらを頼ろうとしないこどもにしびれを切らしかけたとき。


「っだって!!」

「、あ?」

「だって、跡部に言ったってなんの意味もねぇもん!跡部にも、橘さんにも、頼っちゃだめなんだよ!!俺が、おれがやんなきゃ、だから、」

「おい、」

「だめだよ、こわい、こわいよあとべ」

「神尾」

「やだ、こわい、こわいよ」


 こわい、こわい。
 うわごとのように繰り返して、ぼろぼろと泣きじゃくりはじめた細い身体を抱きしめて、ベッドに倒れ込んだ。

 声を殺して、顔を見せないように泣くようになったことなんて知らなかった。
 いつの間にこんなに大人びたのだろう。もうこいつを庇護することはできないのだ。
 お前は進まなくてはいけない。一度そこに立ってしまったら、終わらせることなど出来はしない。誰に助けを求めたところで意味のないことだと、知っているのならそれでいい。お前は走り続けることができる。

 ぐ、と腕の力を強めて、小刻みに揺れる発展途上の薄い肩を撫でる。
 ただ泣かせることしか許されないこの両腕が、こんなにももどかしいことはなかった。






何時終わるとしれない軌跡の始まりに僕は立つ



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