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学校で死生観というものについて考えさせられたんですが、考えているうちにずれてきちゃったんでこっちに吐き出します。
生と死についての個人的な考えを吐き出しています。気分が悪くなったりとかしても責任とれないです。また、ここに書いてあることはけして正しいことではありません。





死ぬことは、私自身はあまり怖くありません。やるべきこともやりたいこともそこそこあるけど、生にしがみつくほど全てを賭けられるものはないです。死にたいと積極的には思わない、けれど死にたくないとも思わない、そんな感じ。だから例えば、事故とか病気とかで死にそうになったら、そのまま死にたいな、と思います。生にしがみつくことが、あまり好きではありません。個人的な感情です。昔、曾祖母が呼吸器を付けて、生き永らえていたことがあります。悪いとはいいません。それを望む人の方が、日本人には多いでしょう。ただ、私はああはなりたくないと思いました。それがいいことだと言う人も勿論いると思います。生きるために懸命になることは人間の本能で、自然なことだと思います。先生は、生きていることこそ尊いのだと仰いました。だから、ただの、個人的な感情です。私は、それを美しいとはどうしても思えなかった。何もできないままただ機械を使って呼吸をするだけで、徒に時間とお金を浪費する。そんな風に思えてならなくて、だから、私は生きていることこそ尊いのだとはどうしても思えない。自分の好きなことが何一つできない命など、さっさと捨ててしまいたいと思います。

けれど、そんなことを考えていたところで、死には恐怖するのです。それが不思議ですね。私は去年、交通事故に遭いました。さいわい軽傷でしたが、それ以来、車が怖くなりました。完全に車が止まったことを確認できないと道路を渡れません。これは完全なる死への恐怖でしょう。自分の意志とはおそらく関係なしに、本能的に死への恐怖心が植え付けられているのではないでしょうか。考えてみれば当然です。死に恐怖しなければ、人はバンバン死に、人類は滅びてしまいます。神様がいるのなら、よく上手いこと仕込んだなと思います。意志があっても、よほど大きな打撃がなければ死ねません。

2012/09/19 19:03