会計を終えてレジ袋を持って店を出て行く客にお決まりの言葉を掛ける。茶色に染めた髪を耳に掛けながらレジに並ぶ客を捌いていく。正十字学園町のとあるコンビニにアルバイトとして加わってから既に一年が経とうとしている。此処のコンビニは正十字学園からも最寄りの駅からも徒歩五分という立地条件の為、朝昼夜何処のシフトに入っても大体は混雑する時間帯がある。特に夕方から夜は帰宅部の学生から始まりサラリーマン、更には部活終わりの生徒等も押し掛けてきててんやわんや状態だ。最初の頃は大変だったなぁ、初めてのアルバイトだったし…と感慨深げに思い出に浸っているとレジに立ったサラリーマン風の男性の籠に入っている菓子や酒に紛れて一冊の雑誌が顔を覗かせる。雑誌"エロ大王"。所謂エロ本というものだ。何食わぬ顔で雑誌のバーコードを読み取るもやはりこの状況には慣れる筈も無く心の中では絶叫してしまう。頼む、頼むから!
(私だってバレませんように!)
エロ本を前にした世間一般の女の子が持つような恥じらいは生憎私は持ち合わせいない。何故なら雑誌の表紙に載った紺のセーラー服に身を包む黒髪黒目の女性"くるみ"は私、名字名前のもう一つの顔でもあるからだ。普段エロ本のモデルとして活動している私にとって顔バレは非常にマズイ。何食わぬ顔で雑誌をレジ袋に入れ手渡すもどうやら気付かれていないようだ。心の中で安堵しつつ客を捌く意識に集中し、気が付けばピークを乗り切り店内の客も立ち読みやATMと睨み合いする人だけになってしまった。
「名前ちゃん、もう休憩していいよ」
「いえ、まだ大丈夫です」
この店を仕切る店長は色々な事情を抱える私を暖かく迎え入れてくれた。休憩を促す店長に首を横に振ってレジを代わってもらい大分減った品物の並べ直しに向かう。
おにぎりやパン、菓子を見栄えが良くなるように陳列していると自動ドアが開き誰かが電話をしながら店に入って来た。
「分かってますってぇ。坊はホンマに心配性やなぁ」
東京ではあまり聞かない関西の言葉。旅行に来たのか、でも声はえらく若い。学生だろうか。
ふと電話をしている彼が雑誌コーナーの前で立ち止まりやたらと興奮した声が響いてくる。何事だろうと商品を並べながらひょっこり雑誌コーナーを覗いてみれば、アダルト雑誌の前でピンクブラウンに染めた髪の毛の男の子が"くるみ"を見つめてこれでもかという位に蕩けた表情を浮かべていた。
「あかん坊、緊急事態や!くるみちゃんが俺を誘惑してくる!」
『やかまし!いっぺん往生して煩悩捨ててこい!』
デレデレとした表情の彼に此方に聞こえる位の怒声が携帯から聞こえてくる。どうやら彼は元々ああいうスケベな子らしい。
ドリンクコーナーの一番下に並ぶ二リットルのお茶やジュースを整理していると、突如雑誌コーナーに居た彼がひぃっと悲鳴を上げて携帯を落とした。
カシャンと音を立てて床に落ちた携帯が視界の片隅に入り思わずそちらを見遣れば、目を見開いて私を見つめる彼と目が合う。口元を押さえ私を指差す彼を見て胸騒ぎを覚える。この状況は何処からどうみてもこれからどうなるかなんて分かりきっている。心の中は焦っているのに頭の中は至極冷静だった。冷蔵庫の扉を閉めて立ち上がった私にやっぱりそうやと彼は呟く。
「くるみちゃんやブボォッ」
「店長、休憩入らせて下さい」
彼にラリアットを食らわせ腕と脇に頭を挟めて引き摺るように店から出て行く。店の裏に連れ込むと頭を開放して彼と向き直る。
「何なんですか、いきなり!その名前で呼ばないで下さい」
「あー、やっぱりくるみちゃんなんやぁ。"高貴なる御御足!魅惑のミステリアス少女くるみ"!」
「だ、か、ら!その名前で呼ばないで!」
どうして私がくるみだと分かったんだろう。髪の色も目の色も、メイクの仕方も変えているのに。へらへらと笑う彼に唇を噛み締めてうつ向く。メインでモデルを務めるエロ大王は其れなり発行数も多い。私がこんな所で働いているとバレたら店長に迷惑が掛かってしまう。
「へぇ、名字さんて言うんや。下の名前は何て言うん?」
「気安く呼ばないで。官能モデルでも初対面の人に名前を教える程尻軽じゃないの」
胸元の名札を見てにっこりと笑った彼にぴしゃりと厳しい言葉を放ち突き放すと何故か頬を染めて喜ばれた。何だこの人ドMか、付き合っていられない。もう店に戻ろうと踵を返すと腕を掴まれた。
「また会いに来てもええですか?俺、名字さんのファンなんです」
「良いけど、また来る頃にはもう居ないかも」
「えっ、辞めるんですか?」
「だって、バレちゃったし」
モデルやってるの。そう言えば彼は顎に手を添え眉間に皺を寄せて考え込み始めた。早く戻って夕飯を食べたい、そう考えながらぼんやりと掴まれた腕を眺めていると、長考を終えたらしく彼が頭を上げる。
「えーと…つまり俺にバレたから辞めるん?」
「うん」
「ほんなら、俺が誰にも言わんかったら辞めへん?」
「言わない代わりに付き合って、とかならお断り」
「ぐっ」
私の弱みを握って"何か"をしようとしていたらしい。あっさりと企みを暴かれ苦々しい表情を浮かべる彼の分かりやすさに思わず吹き出してしまった。
「じゃあ、言わない代わりに私の本名を教える。これならどう?」
「…おん。其れならええよ」
手を離してもらって、制服のパーカーを脱ぎながら首を傾け条件を持ち掛ければ主に胸元を見つめながら頷かれた。何というか、本当に分かりやすい。
「名字名前です。今度はお友達も連れて来てね」
「お友達…?」
制服を小脇に抱えながら笑うと首を傾けて疑問形で返される。店に来た時に電話をしていた事を指摘すると、あんなにデレデレしていた彼の顔色が一瞬で真っ青になっていく。
「アカン、坊のことすっかり忘れとった!名前さんすみません俺もう行きますまた来るんで今度はメルアド教えて下さい!」
長い台詞を息継ぎ無しで言い切るとわたわたと慌てて店内へと戻り、落とした携帯電話で誰かに掛けながら店から飛び出して行った。
何とも嵐のような男の子だった。そういえば、名前まだ聞いてなかった。…また今度来るらしいから、その時に聞いてみよう。