朝起きたら少しだけ頭が痛く身体が異様に重い。風邪と考えられる十分な心当たりがあるだけに深い溜め息を吐かざるを得なかった。
昨日の夕方、コンビニでの勤務を終えさあ帰ろうとした時には晴れていた空から雨が降り注いでいた。狐の嫁入りだね、傘貸そうか?と声を掛けてくれた店長に首を横に振って外へと飛び出した。勿論びしょ濡れになって帰って来た私は服を洗濯機に放り込んでバスタオルにくるまると、温かいシャワーを浴びる事なくベッドに転がり其の儘寝落ちてしまった。少し仮眠してから入れば良い程度の心持ちだったので完全に油断していた。まさか朝を迎えた上に風邪を引くとは。

「ゔぁ…声もガラガラ…」

声を出す度に喉に突かれるような痛みを感じる。携帯を開いて夕方からシフトを入れているコンビニに電話を入れ、今日は休ませてもらうよう頼む。応対した夜勤の店員から酷い声だと笑われながら電話を切り、チェストから体温計を取り出して脇に挟める。冷蔵庫からレンジで温めて食べるリゾットを引っ張り出してレンジに入れる。寝ている間に届いたメールに目を通していくも寝起きだからか視界がぼんやりしていてよく文字が見えない。これなら多分体温計の数字も読めないだろう、諦めてまだ熱を測り終えていない体温計を引き抜き脇に挟めていた部分をティッシュで拭って電源を切る。
リゾットが温まるまで横になっていよう、そう思ってベッドに寝転がり鈍痛を訴える頭を押さえて目を閉じた。



枕元で何かが携帯のメール着信を告げる震動で目が覚めた。目を開ければいつの間にか眠ってしまったらしく、外も部屋の中も既に暗くなっていて思わず飛び起きる。反射的に以前志摩くんと遊園地に行った時の失態を思い出し眉間に皺が寄る。頭痛は大分引いていたが、代わりに真夏かと思う位に身体が熱くて思考も上手く働かない。
携帯を開くとメールの差出人は志摩くんだった。『風邪大丈夫なん?』いつも絵文字が沢山ついたメールなのに今日は一つもない。こんな日もあるんだなあと考えていると唐突にメールの画面から着信画面に変わり室内にバイブと一緒に着信音に設定している歌手の歌が響く。

「……もしもし」

『わ、声ガラガラやね。大丈夫なん?もしかして起こしてもた?』

「ん…今起きた」

『今スーパーおんねん。起きたばっかなら夕飯食べてへんやろ?鍵開けといて下さーい』

「え、…や、やだっ!来ないで!」

志摩くんの言葉を聞いていて熱に浮かされた頭でも簡単に理解が出来た。家に来ると言うことは私と会うことで、当の私はというと風邪を引いている上に…。
慌てて首を横に振って断りの言葉を紡げば途端に志摩くんの声のトーンが下がる。

『何で』

「何でって…志摩くん、寮生じゃない」

『塾終わってから外出届出してきました。着替えも持ったし、勉強道具も有ります』

「泊まる気でしょ。ダメダメ、ダメだよ!」

『…何でアカンの?俺の事嫌い?』

「そう意味じゃなくて…ッ、もう、分かってよ!」

『ええええ!?』

勢いの儘叫んで志摩くんの戸惑ったような声が響く電話を無理矢理切った。ベッドにばふんとダイブして志摩くんに向かって届く筈も無いのに馬鹿、と呟いた。私を名前で呼んでいるものの、私を見る目はくるみな志摩くんをお風呂に入っていないし素っぴんの私なんて見せたくなかった。この職業を始めてから初めて私に理解を示してくれた人だからこそ、嫌われたくはなかった。
志摩くんがまた電話を掛けて来ているらしく着信音とバイブががんがん鳴る携帯の電源を落として、鼻を啜りながら起き上がる。熱を計って、冷却剤を買いに行かないと。場合によっては夜間の病院に駆け込む羽目になるだろう。

静かで真っ暗な部屋は住み慣れた場所なのに何処か心細さを煽ってくる。暗いせいかと部屋の電気を点けようと壁伝いに歩いてスイッチを探す。が、スイッチは見つけられなかった。志摩くん。やっぱり意地張らないで来て貰えば良かったかな、なんて壁に寄り掛かって考えていると玄関のインターホンが鳴る。
朦朧とする意識の中ふらふらと立ち上がり玄関に向かうと扉の向こうから聞こえた「名前ちゃーん、生きとるー?」と間延びした声にスッと浮わついていた意識が一気に戻ってきた。

「し、志摩くん…来ないでって言ったよね…。何で来たの」

「せやかて心配なんやもん。声ガラガラなんにふにゃふにゃしとったし」

「放っておいてよ!私もう二十歳だし自分の世話くらい自分で出来る!」

「ほんなら体調管理くらいしっかりしてや」

ドアスコープを覗くとインターホンを押したのはやっばり志摩くんだった。いつもへにゃへにゃした表情は何処へやら、ドアを睨む様に見つめる表情は初めて見る顔だった。ドアを殴ってガラガラになった声を荒げると志摩くんがぴしゃりと言い返して来るから何も言い返せない。
志摩くんを入れたくない気持ちと、心細くて気持ちがぶつかりあって心臓の辺りがきゅうきゅうと締め付けてくる。胸元を押さえてドアの前で屈み込むと身体と同じ位熱を孕んだ涙がぼろりと玄関の冷たいコンクリートに落ちた。

「心配やねん、名前ちゃんの事」

「ちがう!志摩くんは…志摩くんは私の事をくるみとしてしか見てない。くるみに会いたいなら本屋に行って!私は名字名前なのっ!」

「……」

「わ、わたし…昨日からお風呂入ってないし…、化粧も落ちてるから…。くるみが好きな志摩くんをがっかりさせたくなくて…っ、だから、だから…!」

「……」

「うれしかったの!志摩くんが、モデルである事を隠したいっていうわたしのきもちを大切にしてくれたのが…」

徐々に舌も回らなくなって、意地を張っていた気持ちも崩れて私は嗚咽混じりに自分の心の内を吐露した。私はいやらしい雑誌のモデルをもう一人の自分として割り切っていた。舞台で与えられた役を演じる役者のように。モデルが嫌なわけじゃなくて"演じている私"と"本当の私"を同一視されるのが嫌だっただけ。

「名前ちゃん。確かに俺は名前ちゃんの事、ずっとくるみちゃんとして見とった」

心の中に溜まっていた言葉を全部吐き出してぐすぐすとぐずっているとドアの向こうから淡々とした声が聞こえてきた。

「エロ本のモデルさんと仲良くなれるなんてラッキー、程度にしか思わんかった。でも…遊園地行った時に名前ちゃんとくるみちゃんは違うんやって気付いて、名前ちゃんの印象が変わったんです」

開けて、と静かな声色で諭されドアへと手を伸ばしドアの鍵を外した。ドアノブが回されギイギイと軋んだ音を響かせて暗かった目の前の視界が廊下に取り付けられた蛍光灯の明かりで白く塗り替えられる。目元の涙を拭って上を見上げれば困ったように笑いながら学生鞄と大きいショルダーバッグ、ビニール袋を提げた志摩くんが私を見つめていた。

「普段はポーカーフェイスや思たらお茶目な所もあって、怖いの見ると混乱してまう名前ちゃんのがかいらしいし、好きやなって思ったんです」

モデルを始めてからずっと欲しかった言葉がやっと降ってきた。私には其れだけで十分だった。
相好を崩した志摩くんに我慢出来なくなって、私は勢い良く立ち上がって彼に抱き付いた。

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