てぃんてぃんてぃん。
まだまだ暑さが続く陽の下で縁側に座って三味線を奏でる私の横には、煎餅をかじりながら暑さに負けてだらしなく甚平を着崩した燐の姿があった。縁側に投げ出した足は桶に張った井戸水の中に突っ込まれていて、落雁を懐紙に乗せて盆で運んで来た佳枝さんも思わず苦笑を浮かべている。

あの不気味な一件の後、佳枝さんは直ぐに意識を取り戻した。悪魔との遭遇は記憶から抜けているものの怪我も打ち身や擦り傷程度、頭を打っていたが大事には至らなかったらしい。佳枝さんが元気になってくれて本当に良かった、小屋で倒れている佳枝さんを見た時心臓が鷲掴みにされた気分になった。

「燐、佳枝さんに踏まれてしまうわ」

「そーれ」

「ふごっ!や、めろ佳枝この野郎!名前、変な事言うの止めろ!」

「何の事やら」

佳枝さんに腹を踏まれて悶える燐を尻目にてぃん、と弦を鳴らせば燐が悔しそうに顔を歪めたのが視界の端に映り込んだ。


てぃんてぃんてぃん。
ちん、とん、しゃん。
暑さで身体を悪くすると言われても竜士くんの部屋の縁側の先に広がる菖蒲と池が涼しさを誘う為、影に隠れるように室内で楽器を鳴らす竜士くん達とは反対に、私は相変わらず縁側に座って三味線を奏でていた。

「変わらない事が愛しく感じるのって、変かな」

「……は、」

合奏を終えよく冷えた西瓜をご馳走になっている時。何となく呟いた独り言を竜士くんは聞き漏らさずに一字一句を拾いあげ、そして呆けた表情を浮かべた。
変わらない日常が好きだった。私は三味を弾いて、佳枝さんはきびきび働いて。燐は相変わらずぐうたらしていて、雪男くんが町民から引っ張りだこになって。
竜士くん達は相変わらず仲良しで、ぷりぷり怒る出雲は朔子ちゃんに宥められ。しえみは飴細工の腕を伸ばし、シュラちゃんは毎日飲んだくれている。アマイモンさんは母国でやらねばならない事があると言って帰ってしまったが、メフィストさんは相変わらずちょっぴり胡散臭い。
そんな毎日が不変の儘ずっと続いて欲しいと願っていた。しかしそれはただの夢想であり叶わぬ願いでもある。
人間は必ず老いるし家の繁栄の為に女は嫁に行かねばならない。三味線の教室だけで一生やっていけるわけではなく、私もいつかは誰かと祝言をあげてこの町を去らねばならないのだ。

「名前ちゃん、嫁ぎ先あらへんのなら俺はどうです?優しいし気配り出来ますし、何より名前ちゃんが好き!」

「やかまし!」

いつものように軽口を叩く廉造くんの頭を叩く竜士くんの顔は真っ赤なのに何処か険しい。理由を分かっていても何も言わずにそっと微笑むだけの私は卑怯な女なのだと思う。
彼との駆け引きも私の日常の一つだったがきっとそれもすぐに瓦解してしまうのだろう。何となく竜士くんから崩されるのは彼より先に何年も生きている身として何だか癪だったので先手を打って彼の様子を伺う事にした。

「そうね、引き取り先が見つからなかったら…竜士くんに貰ってもらおうかしら」

「……!」

微笑を繕って首を傾ければ竜士くんの顔が耳まで赤く染め上がる。ひゅう、と口笛を吹いた廉造くんの頭を小気味良い音を立てて叩き、へにゃりと破顔した子猫丸くんさえも怒鳴りつけている。こうやって私が居る時に見る事が出来る初々しい反応をする彼が一番年相応の表情なのだと思う。達磨様や虎子様の元で立派に成長され、跡取りとしての重荷を背負い固い表情ばかり浮かべて屋敷内や町を歩く彼の広い背中が窮屈そうに見える事があった。廉造くんや子猫丸くんの前でさえも気を張り続けている竜士くんは疲れないのだろうか、少しだけ不思議に思う。
真っ赤になった竜士くんがうつ向いてしまったのでごめんね、と謝ってそっと頭を撫でてやれば赤面した儘じっと目を閉じて何かに耐えている横顔が見えて思わず笑ってしまった。


父から先日出した暑中見舞の返事が届いた。遠回しに結婚を促す文がつらつらと並び、縁組みの仲介も考えているという一文も見受けられた。文を読み終えた後の私の胸中からは大切な物が抜け落ちたような虚無感が残った。
日常が終わる。私の中で綺麗に形作られていた不変の日常が終わる。
文を布団の隣に置いて床に入って黙って天井を見上げる。水田から響く蛙の鳴き声を聞きながら明日は竜士くんに会って文を読んで貰おうと決めた。

さようなら、私の愛しい日常。
この世に別れを告げるように目を閉じ睡魔に身を委ねれば、私の意識は直ぐに眠りの中へと落ちていった。

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