てぃん、てぃん、てぃん。
暑い陽射しの中、皆で縁側に円になって三味線の弦を撥で弾く。生徒は三歳からご老人まで。子供達は直ぐに暑さに負けて落ち着きが無くなるが、大人達は汗を流しながら三味線と睨み合いを続ける。

「おミヨちゃん、髪を下ろしていては暑いから結い上げましょうね」

「わあい。せんせいがあんだかみどめだいすき!」

「ふふ、有難う。皆様もそろそろ休憩になさって。佳枝さん、皆に冷たいお茶と水羊羹を出して下さいな」

背中まで伸ばした髪を結う事も無くはしゃぎ回る女児に先日編んだ髪紐を持って呼び寄せれば陽に負けないくらい輝いた笑みを見せてくれた。私の言葉を皮切りに熱心に練習していた大人達も三味線から手を離し団扇で顔や身体を扇ぎ始め、暫くの間小休止に入る。
おミヨちゃんの髪を団子にして結ぶと女の子達が羨ましがったので、髪が長い子だけ同じように結ってあげた。佳枝さんお手製の水羊羹に皆で舌鼓を打ち涼しくなった身体でまた三味線を弾いて、気付いたら日は半分沈み。生徒達はそれぞれ自分の家に帰っていった。広い縁側にぽつんと座って赤く燃えるように夕焼け空を眺める私を見て、にひひと笑いながら佳枝さんが隣に座る。

「先生、こんな広いお屋敷に二人だけなんて寂しくないかい」

「家族で住んでいたから広いだけよ。其れに、佳枝さんが居るから寂しくないわ」

佳枝さんは二つ歳上の父の昔馴染みで、昔浮浪児だった佳枝さんを保護した父が、身体の弱いお偉い様のご息女の侍女と称した茶飲み友達に宛てがった。二年前に父が西への異動の為この町を離れる時、この地に残ると決めた私にご息女が世話になった方の娘さんが一人になるなんてと憐憫の情を抱き、私へ佳枝さんを寄越してくれたのである。佳枝さんは当初敬語を使っていてくれたのだが私より歳上なのだからそんなに畏まらなくてもいいのよ、と言って敬語は辞めてもらっている。

「そうねえ、あたしも先生との暮らしは楽でいいよ。あっちじゃ作法がどうだのって御局様が煩くて!あたしゃその内耳が垂れちまうんじゃないかと思ったね」

「また其の話?御局様が大好きなのね、佳枝さんは」

「勘弁しとくれよ先生。夢に出て来たらどうしてくれんだい」

毎日外で動き回るせいで日に焼けた頬を手で覆い嫌々と首を横に振る佳枝さんに思わず笑みが零れてしまう。相当御局様の躾が記憶に残っているらしい、ご息女を慕ってはいたものの格式高く二言目には礼儀やら作法やらを口酸っぱく言われる屋敷の生活はあまりお気に召していないようだった。

「今日の水羊羹、とても美味しかったわ。砂糖が流通するようになってから、甘い物が食べられて幸せ」

「明日は落雁でも作ろうかねぇ」

「この暑さならあっという間に乾いてしまうわね。その前に今日のお夕飯を考えないと」

赤から薄い空色、青、藍、黒と色が変わっていく空を二人で見上げ一番星を探しながらきゅうりの糠漬けはどうかとか、山芋が室にあったからとろろ汁が良いとか。
そんな他愛も無い話をしていると庭先の小石をじゃり、と踏み締める音が聞こえ上を見ていた視線を庭の角へ向ける。同じく庭へ目を遣りつつ私に中に入るよう促す佳枝さんの表情は強ばっている。
この町では五本の指に入ると言われる程、広い屋敷に女二人。言わばこの屋敷は泥棒達の格好な餌とも言える。だからこそご息女は私に佳枝さんを宛ててくれたのだ。

「…こんばんは。すみません、表の戸を叩いても返事が無かったもので…もしかしてと思って」

「若先生!もう、驚かせないでおくれよ。あたしてっきり泥棒かと」

ひょっこり顔を覗かせたのは腕利きの医者と言われる奥村雪男くん。私より年下なのに船で外国へと赴き医者の勉強をした偉い子だ。
大体の病は診られる上に確かな腕を持っている事から皆からは若先生と呼ばれ子供からお年寄まで年齢層問わず慕われている。

「雪男くん、こんばんは。今日も巡回?お疲れ様」

「どうも、名前さん。名前さんも今日は三味線の教室だったみたいですね。おミヨちゃんに髪紐を自慢されました」

お茶持って来るね、と立ち上がって台所へと向かった佳枝さんを見送り、縁側に座るよう促すと失礼します、と額に汗を滲ませた雪男くんが腰を下ろす。
暑い一日だったにも関わらず歩き回ったのだろう、手拭いを差し出しながら団扇で首元を扇ぐとお気遣いなく、と手を重ねられた。

「ふふ、そんなに喜んでくれたのね。編んだ甲斐があったわ」

「名前さんが冬に編む草鞋も評判良いですからね。手先が器用な所、見習って欲しいです」

程なくして冷えた茶を持って来た佳枝さんが苦笑する。雪男くんの小言の矛先は大体決まっているから、また始まったのかと言いたげな表情だ。
頂きます、と頭を下げて茶を一口含んだ雪男くんが私に向き直った。

「あの、頼み事があるのですが」

「はい、お引き受けします」

「先生、幾らなんでも早計だよ。婚姻の申し込みだったらどうするんだい」

真剣な表情の雪男くんに頼み事が有ると切り出され内容を聞かずに二つ返事すると、佳枝さんが呆れた表情で口を出してきた。佳枝さんの言葉に茶を勢い良く噴いた雪男くんを眺めつつ首を横に振る。

「だって雪男くんの頼み事って大抵燐の事だし。雪男くんは私に無理難題を押し付けたりはしないもの」

そうよね、と首を傾けると外国で手に入れたという眼鏡を指で押し上げつつ雪男くんが頷く。
そういえば最近燐に会っていない。水羊羹を持って会いに行こうと考えていると佳枝さんがまた溜め息を一つ零すのが分かった。

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