私が甘味屋でメフィストさんの弟・アマイモンさんに出会い燐が膳を持って帰っていって五日が立った。
あれから燐は私の家に一度も姿を現していない。佳枝さんと二人で誰かに襲われたんじゃ、と心配して奉行所へ足を運ぶも大きな事件があった様子はないとの事。
帰る時燐は愛用の刀を手にしていたから心配する事は無いと思うくれど…漠然とした不安感を胸に抱きながら虎子様の三味線のお稽古の為に勝呂家を訪れた。

「少々忙しゅうて。今日はいつもの半刻程早う上がってもよろしおすか?」

私の向かいに座った虎子様は酷く疲れておられる様子で、垂れた前髪を直しながらゆるりと首を傾た。特に断る理由も無い為こくりと頷きご自愛下さいませとお声を掛けていると、襖を開けて私達に茶を運んで来たのはいつもの廉造くん……ではなく虎子様お抱えの侍女だった。

「廉造くんが茶汲みをやらないなんて珍しい…。声も聞きませんし、夏風邪でも引いたのですか」

「今朝見た時はいつも通りやったけど…どないしはったんやろかねぇ」

虎子様の音合わせを聞きながら茶を運んで来た侍女に話しかけると虎子様より年を召した女性は頬に手を当てながら緩く首を傾け、盆を抱えて直ぐに廊下へと出て行ってしまった。
不安感が更に胸を侵食するのを感じながら虎子様の奏でる三味線の音を聞くことへと神経を集中させた。

「……はぁ…」

勝呂家に来た時は皆温かく迎えてくれるのに今日はいつもと違って皆よそよそしい気がする。私が竜士くん達の事を聞こうとすると逃げるように避けて散り散りになり、結局今日は誰に見送られる事なく一人で玄関に歩みを進めていた。
玄関に通じる角を曲がった瞬間、玄関の段差に腰掛けている黒と金、薄紅、そして坊主頭を見つける。

「竜士くん、廉造くん、子猫丸くん…!」

「な…っ、名前さん!?」

「ほーら言いましたやん。此処でうだうだやっとったら名前ちゃんに見つかるて」

「しっ、志摩さん、しーっ!」

驚いたような表情を浮かべて立ち上がった竜士くんを見てにしし、と笑みを浮かべる廉造くん。廉造くんの呟きを聞いて慌てたように廉造くんの口を塞ぐ子猫丸くん達はいつもの甚平ではなく揃いの袈裟を身に纏っていた。
それだけで更に私の胸の燻りは煙をあげて今にも燃えだしそうになってしまう。

「ね、え…燐を知らない?ちょっと前から顔出さなくなっちゃって…」

「……名前さん。俺らちょおこの町出ますわ」

「え…?出る、って…どういう…?」

「今まで黙っとって堪忍な。名前ちゃん、女将さんの事よう頼みます」

「名前さん、ほんますんまへん…ほな、行きましょか」

いきなりの離郷を告げ玄関に座っていた三人はぞろぞろと外へ出て行く。その背中に追い縋る事も出来ない儘ぼんやりと遠くなっていく三人を見つめている事しか出来なかった。
遠くで廉造くんの持っている錫杖の金輪がしゃらんと音を立てた事でようやく我に返り、慌てて草履の鼻緒に足を通りカラコロと音を立てて三人の後を追い掛ける。
町の入口にある勝呂家のお屋敷から町の外れにあるシュラちゃんの家まで真っ直ぐ小走りで追い掛けたにも関わらず、私は結局三人に追い付くどころか背中をもう一度目に映す事すら叶わなかった。
…第二の故郷すら出て行ってしまうなんて…。よろよろと身をふらつかせながら私はシュラちゃんの小屋へと歩みを進める。今の時間帯なら彼女は確実に家にいる筈、そう思って彼女の住まう小屋へと手を掛けて横へと引く。
格子窓から僅かに漏れ入る小屋の中はいつも囲炉裏に掛かっていた鉄鍋も、隙間無く埋め尽くされた薬の山も、薬に囲まれながら昼寝を貪るシュラちゃんの姿も何処にも見当たらず、まるで借家のように綺麗に掃除された土間以外何も無い小さな空間が広がっているだけだった。

「う、うそ…シュラちゃん…?」

元忍者の事だから小屋の何処かに隠れているんじゃないかと小屋の隅々を見たり触ったりして探し回るも結局シュラちゃんは出て来なかった。
転がるように小屋を飛び出して稲荷神社へと走って向かう。出雲の姿はなく留守を任された看板娘は出雲ちゃんは暫く旅行に出る、とだけしか答えてくれなかった。
しえみの飴屋はいつものように締まっていた為、彼女の母親が営んでいる花屋へと向かった。しえみは飴に混ぜる香料を求めて暫く町を出るらしいと言われた。
燐と雪男くんの住まう借家にも向かった。雪男くんの山のような参考書だけが私を迎え入れ、肩身狭そうに身体を縮めて生活している二人の男性が迎えてくれることはかった。
メフィストさんに会えば何か分かる気もしたが、そういえば一年程の付き合いにも関わらず私はメフィストさんのお家を知らなかった事に初めて気がつき、そして落胆した。

「……ただいま…」

三味線を提げて走り回ったせいでくたくたになってしまった。三味線を背中に抱えながら屋敷に戻って来るも、玄関の石畳の上に佳枝さんの草履はなかった。佳枝さん、貴女も何処かに行ってしまうの?
すん、と鼻を鳴らして疲れを訴える足を叱咤しながら自室へと向かう。三味線を壁に立て掛けて床に身を投げ出すとひんやりとした畳が心地良くて、とうとう私は泣き出してしまった。
燐が、雪男くんが、竜士くんが、廉造くんが、子猫丸くんが、しえみが、シュラちゃんが、佳枝さんが。私の周りをいつも賑やかにしてくれた大切な人達がいっぺんに居なくってしまってしまった。
何処に行ったの?いつ戻って来るの?もう戻って来ないの?
辛い時、いつも誰かが話を聞いてくれていたのにその誰かはもう居ない。悲しくて、悲しくて、私だけ置いて行かれてしまったような気がして駄々を捏ねる子供のように声を出して泣き喚いても、ただ虚しさだけが胸の中に残るだけだった。

「………」

ぐすっと鼻を啜りながら何も考える事なくぼんやりと、帯が潰れるのも気にせず仰向けになって天井を見つめている内に日が傾きいつの間にか縁側から広がる空には暗闇が広がっていた。
一人で夕餉、なんて気分にはなれずこの儘朝まで眠ってしまおうか。そんな事を考えていると不意に玄関の戸が控え目に叩かれているのに気が付いて私は身体を起こす。
とん、とん。……。
戸を叩きながら何かを呟く声が聞こえる。もしかして佳枝さんだろうか?一抹の希望が胸に芽生えたと同時に足に疲労が溜まっているのも忘れ廊下を駆けていく。
佳枝さん、佳枝さん!もしかしたらしえみかもしれない。シュラちゃんかもしれない。ああこの際だったら誰でもいい!
誰か、私の寂しさを拭ってくれる人なら、誰だって。

「……せんせい、あけとくれ」

玄関へと向かうととんとんと戸を叩きながら私に声を掛けるのは佳枝さんだった。酷くか細く、今にも消えてしまいそうな弱々しい声だ。
野犬か何かに襲われたのだろうか?彼女ならば近くの町民に助けを求めそうな気もするが。

「佳枝さん?佳枝さんなの?」

「せんせい、せんせい…あけとくて…とがあかないよ、あけとくれ…」

「…分かったわ。開けるわね?」

扉越しに声を掛けると戸を叩く音が消えた代わりに戸を開けるよう催促される。舌足らずな声色に疑問を抱くものの怪我か、風邪でも引いていたら大変だ。
カラリカラリと乾いた音を立てて私達を隔てていた戸を開けていくと、暗闇の中にぽつんと人影が顔を伏せて佇んでいた。
佳枝さん"らしき"ものが。
姿格好は佳枝さんそのものなのに、何か違和感を感じる。

「アりガとう、セんせイ…」

伏せていた顔を上げた佳枝さんは目を閉じた儘幸せそうに微笑み愛しい者の名前を呼ぶように呟いた。
閉じられた瞳、鼻や耳、唇…顔の至る箇所から血を垂らしながら。


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