仕立て屋に修繕を頼んでいた燐の着流しを取りに行った日の事だった。
仕立て屋の暖簾を潜ると色とりどりの反物と睨み合う髭面の男性が居た。よく見れば目の下にある隈で直ぐに知り合いだと気付き声を掛ける事にした。

「メフィストさん、こんにちは」

「おや、これはこれは…名前さん。お久しぶりです」

「お久しぶりです。相変わらず寝不足なのですね」

私の声に振り向き目を細めてにこりと笑みを浮かべたのは外国にお医者様の勉強をしに行った雪男くんが連れて帰って来たメフィスト・フェレスさん。
ドイツ
独逸から来た異国の人なのにこの国の文化が好きで、ずっと日本に住みたかったのだと言う。
オランダ
和蘭から出ている船に乗って日本に向かう途中、同じ船に乗っていた雪男くんと意気投合して雪男くんがこの町に連れて来たらしい。最初はいきなりやって来た異国の人間に皆は怖がってあまり近付かなかったものの、彼の気さくな性格故か直ぐに町に馴染んでいった。

「今日は仕立て屋に何の御用で?」

「いやはや…新しいの浴衣が欲しくてですね、仕立てて貰おうと思ったのですよ」

成る程と頷きながらメフィストさんの前に積み上げられた反物を見る。よく見ると紫色の反物ばかりで藤色から菫色まで様々な紫が揃っている。いい色が無くて、と反物の山を崩すメフィストさんに私は小さく微笑んだ。

「竜胆色なんて如何です?」

「リンドウ、とは?」

「秋によく見る花で、花が綺麗な青紫なんです」

直ぐに店主が持って来た竜胆色の反物を見るなりメフィストさんの瞳が輝く。どうやら気に入ってくれたらしく、早速丈を測る為草履を脱いで中に上がり込む。私も中に上がって店主がメフィストさんに出した反物を棚に仕舞う作業を手伝った。



「いやあ、助かりました。これなら祭には間に合いますな」

反物選びを手伝ってくれたお礼と言って甘味屋に連れ込まれ、仕方なくみたらし団子と茶を頼む。二人で腰掛けに腰を下ろし串に刺さった団子を一つ頬張るとわらび餅に黒蜜を掛ける手を止めてメフィストさんが微笑んだ。浴衣を欲していた理由がようやく理解出来、串を皿に戻して懐紙で指を拭いながら私は一つ頷いた。

「祭に着る浴衣が欲しかったんですか。なら無地ではなくて柄物を勧めたのに」

肩を竦めながらそう言えばメフィストさんは皿に乗った三色団子の串を摘み桃色の団子を頬張った。彼はこの国を好いて異国からやって来たというが、母国を懐かしんだりはしないのだろうか。純粋な疑問が浮かんだので其の儘問い掛けてみると、メフィストさんはううんと唸って首を傾けた。

「確かに懐かしくはなりますが…私が望み、選択した事ですし後悔はしていませんよ」

団子も茶も美味、世も平和で実に結構。そう言ってメフィストさんは湯気の立つ熱い茶を音を立てて啜る。彼の言葉遣いはとても流暢で最初はとても驚いた。何処で習ったのか聞いても教えてくれず、結局何ヶ月も海の上で生活を共にした雪男くんが先生だという推測に留まった。きっと雪男くんに聞いたとしても彼もまた曖昧に笑うだけで答えてはくれない筈だ。

「祭の日はお暇ですか?良ければご一緒に」

「すみません、祭の日は神社で三味線のお披露目があるので」

最後のみたらし団子を嚥下すると早々に祭の日について聞かれた。が、残念ながら祭の日は三味線以外にもやる事が有るのだ。今は言えませんと唇に指を立てると、メフィストさんは私だけ仲間外れですかと呟いて拗ねたように唇を尖らせた。

「祖国を捨てて異国に一人、かぁ」

家まで送りますと自分の家は私の方とは正反対の方角にあるというのに、そう言い張るメフィストさんの申し出を断って一人家路を歩む。
頭の中で彼と私を重ね合わせてみるも雪男くんのように一時的な渡航ならばまだしも、一生を此処で言わんばかりに居座るメフィストさんのようにはなれそうも無かった。私はこの町、町の民、あの広い家からも離れる事は出来なさそうだ。これなら嫁入りが遅れていても無理はない、祖国どころか生まれ育った町を出る事すら嫌がる私は他の地へ嫁ぐ気は最初から毛頭無いのだから。
からからと木の戸を開けて屋敷に戻って来ると丁度釜の火を焚いていた燐が顔を出した。

「名前!俺の着物は!?」

「………あ」

メフィストさんの浴衣選びのせいですっかり本来の目的を忘れてしまっていた。折角遠出したのに、と気落ちしつつ着物の受け取りは明日燐に任せる事にして、私は浴衣に着替えようと屋敷の中へと入っていく。
二度手間の被害を被る事になった燐が私を非難する事が台所から聞こえたが、わざと聞こえない振りを装って自室に戻り帯に手を掛けながら佳枝さんの名前を呼んだ。

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