「見て、高校の制服届いたから着てみたよ」

「うんうん、よく似合ってるよ。ママを思い出すなあ」

「あらやだパパったら!今日のお夕飯はパパと貴女の好きなものにしちゃうわね!」

「相変わらず母さんは単純だね。でもそんな所が好きだ!」

「何を!パパの方がママの事を愛してるぞ!」


あははは。あはははは。明るい笑い声がリビング中に響く。真新しい制服に身を包むのはやっぱりあの女の子だった。紺のセーラー服から一転して白いブラウスに淡い紫のスカートという明るい色合いに包まれた彼女は其れは其れは幸せそうに笑っていた。
その両隣に座ってにこにこと笑っているのは彼女の両親だろう。幸せそうだなあ、羨ましいなあ、そう思うと何だか喉が詰まっているような気分になった。遠く感じていた記憶が思い出せそうなのに後一歩の所で喉につかえて、なかなか出て来ない。何だか気持ち悪くて喉を撫でる。
此処で私は初めて自分で自分の身体に触れ、私自身どんな格好をしているのか見た。喉も手もひんやりしていて、氷にでもなってしまったかと感じられる位の冷たさに、そして私が着ている服があの女の子の制服と全く一緒だという事に背筋が騒ぐのを感じた。


ふと、笑い声が止む。
あんなに明るかった家の中が一気に暗くなる。ブレーカーでも落ちたのかと思う程、急に。
ふと足元に目を下ろすと真っ暗な家の床にあの女の子が力無く座り込んでいた。あまりの近さに驚いて二、三歩後退りする。女の子は手元に何かを握り締めて唇を噛み締め、目元からぼろりぼろりと大粒の涙を零した。

「この度は真に何と申し上げれば良いか。ワタクシ皆目見当もつきません」

驚いたように肩を震わせた彼女と、いきなり影のように現れた第三者は酷く釣り合わなかった。ブレザーを着た制服姿の彼女と、白いスーツなのにズボンはカボチャパンツとちぐはぐな格好をした青年。髭をたくわえているせいか二十代とも四十代ともいえる、やけに不思議な男性だ。

「お悔やみ申し上げる。いや、これは失礼私とした事が。ご両親の知り合いでしてな、ヨハン・ファウスト五世と申します」

帽子を外すとぴょこんと頭のてっぺんの髪の毛が跳ねる。涙を流しながら頭を下げる彼女にヨハン・ファウストと名乗った青年は話を続ける。


「不運としか申しようがありませんな。後ろからトラックに追突され崖から落ちるなんて」

「ご遺体はまだ見つかっていないそうですが」

「随分愉快な家族と聞いていたので、一度でも良いから拝見したいと思ったのです」

「こういう時ご兄弟が居ないのが寂しいですな。何でも母上は身重だったとか」

「―――……」

「―――……」


ファウストさんの言葉は途中から耳に入って来なかった。彼の言葉で喉につかえていた記憶が一気に頭の中を巡り始めたからだ。

前向きで明るかった父。
優しく慈愛に満ちていた母。
適当に購入した安産祈願のお土産もペアお守りなんて稀少だと笑ってくれたし、半年前に妊娠を告げられ三人で喜んだ事、これのお陰だとお守りを揺らして笑ってくれた事。
その二人がドライブ中にトラックに追突され崖から落ちた事。車はプレスしたように潰れ焼け落ち、遺体は未だに見つかっていない事。事故が起きたのは二人の結婚記念日の夜だった事。


「辞めて!」

女の子の絶叫に近い叫び声でぐるぐると巡っていた記憶が途切れる。女の子は両手で顔を覆って泣き始め、青年はこれは失礼と一礼して白いシルクハットを被った。

「私はこれにて。あまり気に病まずに」

にこりというよりにやりと口角を上げて青年は去って行く。玄関の扉が閉まる音が聞こえ再び女の子は一人きりになり静寂が訪れる。
女の子は夜通し泣き続け、私は其れをぼんやりと眺め続けた。

「父さん」

彼女が握り締めていた手をそっと開く。
其処にはボロボロに擦り切れた安産祈願のお守りが二つ。

「母さん」

彼女の細い指が安産祈願と縫い付けられた刺繍をなぞる。
ざらりとした布地に彼女の涙が落ちて染みを作る。

「……会いたいよ…!」

お守りを抱き締め、泣き崩れる彼女に私は目を逸らした。これから彼女がどうなるか、知ってしまったから。


「会イタイカ?」


真っ暗な家の中に低い男性であり女性であり子供でもある、色々な人の声が重なったような声が響く。誰?と身体を震わせて辺りを見渡す彼女にその声は更に言葉を続ける。

「私ハ、オ前ノ願イヲ、叶エル者。オ前ノ強キ気持チニ導カレ、此処ヘト来タ」

「願いを叶える…者?」

「対価ヲ払エバ、オ前ノ両親ニ会ワセテヤロウ」

「対価…って、何?私、父さんと母さんに会えるの?」





ふらふらと逃げるように玄関に行く。もう何も見たくなかった。願いを叶えると甘い囁きを吹き込む口先だけの悪魔も、甘言に惑わされ己の魂を差し出す彼女も。
やがて彼女の悲鳴と悪魔の高笑いが響き窓ガラスが割れる音が聞こえた後、何も聞こえなくなった。居間に戻る気力は起きず、もうこの家から出ようと玄関の扉に手を掛ける。ふと、シューズボックスの正面、私から見ると右側に姿見があった。視界の右端に薄い紫のスカートと黒いハイソックスを履いた足が映り込む。恐る恐る顔を上げて右を向くと、其処には目が死んだように真っ黒で、目下に濃い隈が浮かんだ彼女が映っていた。彼女は、私自身だった。