・WC決勝が誠凛vs洛山という設定

緊迫した試合進行に心臓が破けそうで、コートの袖口に顔を押し付けて速まる鼓動を何とか抑えようと己の身体に言い聞かせるが身体はいっこうに言うことを聞いてくれない。WCも決勝戦という佳境へと入り緑間くん率いる秀徳を破った兄率いる洛山と、黄瀬くん率いる海常を破った黒子くん率いる誠凛が今まさに駆け引きをしながら攻防戦を繰り広げている。

皆努力を重ねて頑張っているというのに、私はと言えば兄に誕生日プレゼントを渡す事しか出来ていない。未だに兄は名字呼びの儘だ。

「名前ちゃん!」

一人最前列で観戦していると唐突に肩を後ろから叩かれびくりと身体が震える。誰だ誰だと振り返ってみると先日誕生日を祝ってくれたさっちゃんこと桃井さつきちゃんに黄瀬くんに続き全く面識のない青峰くんが立っていた。隣いい?と問われ断る理由もないのでいそいそと身体をずらし二人分のスペースを作る。

「さ、さっちゃん…!」

「今日はニット帽被ってない可愛いー」

さっちゃんに抱き寄せられ頬擦りされている間にも誠凛、洛山両方が得点をあげていく。特に火神さんの勢いは海常戦の時かそれ以上のものだ。キセキと並ぶ位にまで力を高めている火神さんとそれを影で支えサポートする黒子くんのコンビネーションはWCでの試合の中でも最高潮に達していると言っても過言ではない。まるで呼吸をするかのように互いの動きを読み取り、黒子くんの出したパスは寸分の狂いもなく火神さんの掌中に収まる。

「峰ちん来てたんだー」

「あ、むっくん!」

「皆最前列ずるいっス!俺も混ぜてー」

「うるっせーな黄瀬ェ!」

「フン、少しは試合に集中するのだよ」

「……あれ?」

一人だった私の周りには気付けばキセキの世代が溢れていた。私の右隣にはさっちゃん、さっちゃんの隣に青峰くん。青峰くんの後ろに紫原くん。私の左隣には緑間くんが座り、その後ろにスライディングするように黄瀬くんが座る。ざわめく観客席に異変を察したのか洛山や誠凛のベンチで待機している人達も此方に視線を向けている。気付けば黒子くんや火神さん、そして洛山のメンバーも此方を見上げていた。勿論兄も。何か声を掛けるべきだろうかと考えを巡らせかけた頭に突如衝撃が走る。痛みは軽いものの頭が軽く右に傾く、その発生源は左隣で。何だ何だと隣を見遣れば其処には大層ご立腹な様子の緑間くんが私を睨んでいた。

「赤司から聞いたぞ!未だに名字呼びとはどういう事だ!」

「えっ、ちょっ、今此処でその話…!?」

試合に集中しろと皆を叱った筈の緑間くんからのまさかの説教。第一Qだった試合は説教を受けている間に第二、第三と進み見兼ねた黄瀬くんが止めに入ってくれた頃には第四Qまで試合が進んでいた。電光掲示板に表示されているスコアボードは僅かながら誠凛の数字が勝っていた。

「……誠凛ペースか」

「火神っちも黒子っちもかなり調子いいみたいっスね」

第四Qに入ってから再度投入された黒子くんの手から抉るような回転を加えたパスが生み出される。流れは圧倒的な位に誠凛のものになっていて葉山さんが歯痒そうに唇を噛み締めているのが見えた。ベンチに座っているメンバーや監督も厳しい表情を浮かべてコート上で指示を出す兄を睨み付けている。

「あ、あか…」

準決勝での秀徳戦の際に兄が放った言葉が浮かび上がってくる。もしも試合に負けたら……。

「あ、……ぉ…っ」

嫌でも時間は待ってくれない。試合終了のブザーが今か今かと出番を待っている。もしこの点差の儘ブザーが鳴り響けば。

「ぉ…おに…、!」

あの目は本気だった。嘘偽りで出るような言葉ではない。試合に負けるようで兄は本当にバスケ部を辞めた上で自らその両目を抉り取るだろう。それは、してほしくない。グロいとか怖いとかそういう意味ではなく、両目を失いバスケ部を失った兄を両親をきっとあっさり見捨ててしまうだろう。もういらない子と、バスケが出来ない征十郎なんていらないと吐き捨てて家から追い出してしまうから。“そういう”思いをするのは私だけでいい、兄にはそんな扱いは受けて欲しくない。

「お兄ちゃん!負けないでッ!!」

目をぎゅっと閉じて精一杯の声を腹から絞り出す。久しぶりに出した大声は、案外そんなに大きいものでもなかった。どうせ他の人達の声援や歓声で掻き消えてしまったかもしれない。それでもいい、周りのキセキ達には聞こえただろうから。取り敢えずガミガミ煩かった緑間くんは黙ってくれる、そう思って唇を噛み締め今更ながら口に出した言葉といきなり叫んでしまった事に対して羞恥心を感じている所に、ふと視線を感じた。顔を上げるのは怖かったし何より真っ赤になっているだろうから恥ずかしかったけれど、視線の先から此方を見ろと言わんばかりのオーラを感じたので恐る恐る顔を上げてみた。

「……」

「……」

WCの開会式後にキセキを集めたかと思えば短く切った前髪から汗が一粒零れるのを鬱陶しそうに拭いながら此方を見上げる兄の姿があった。試合も佳境に入り誠凛にリードを許している今余裕も何も無いだろうに。ふ、と。このWC中よく見せていた優美で穏やかで、それでいて何かを企みどこまでも不敵さを孕んだ笑みを浮かべた。兄は、笑ったのだ。

圧倒的と称した流れは一気に押し返され、開いていた点差はあっという間に並んだかと思えば徐々に今度は洛山側に点が多く入っていく。火神さんや誠凛の主将さん、無冠の五将の一人が点差を縮めてくるものの誠凛が洛山を越す機会は訪れない儘試合終了のブザーが漸くその出番を果たす。不利な状況下からの巻き返した洛山の勢いに観客席からの歓声も熱を上げる中、私は何故か青峰くんに手を引かれ会場内をキセキと共に疾走していた。バッグやら膝に掛けていたブランケットなんかはちゃっかりさっちゃんが回収して脇に抱えている。通路を走って関係者以外立ち入り禁止のプレートを飛び越えて走り抜けた所で丁度会場から戻ってきた洛山の皆さんと控室の前で鉢合わせになった。

青峰くんに手を引かれ途中からは紫原くんに後ろから押されていた私は久しぶりの全力疾走に酸欠状態に陥り、視界がブラックアウトして幾何学模様を描いていた。そんな私に見向きもせず「よお」と爽やかな笑顔を浮かべた青峰くんは掴んでいた私の手首を徐ろに前方へと引っ張る。抵抗しようとするも力が入らず、されるが儘になり前方にダイブした私は誰かの胸元にタックルして漸く身体の動きを止める事が出来た。小刻みに弾む呼吸とカラカラになって引っ付く喉、ちかちかと明滅する視界と立ち眩みのせいで力が入らない身体のせいで体当たりした人に身体を預ける事しか出来ない。

「青峰!やりすぎなのだよ!」

「あん?」

「大ちゃんのバカ!名前ちゃん顔真っ青だよ!」

周りで繰り広げられる会話をぼんやりとしか機能しない頭で聞き流していると、私の身体を支える誰かが私の背中に腕を回してきた。視界の端に写り込む赤に体当たりをした人物が誰か検討のついた私もまた彼の背中に腕を回した。周りに人が居るのも忘れて、肩に顔を埋めた儘口を開いた。

「負けるかと思った」

すぐ上からふ、と吐息混じりに笑う声が聞こえた。

「負けるわけないだろう」

余裕は崩さずに私を抱き締める腕に力を込めた兄は右手でゆるりゆるりと私の頭を撫でてくれた。

「名前に“負けないで”と言われたら、勝つしかないからな」