ホラー映画にありがちな水道の蛇口から水が滴る音が響き渡り、夏の暑さが室内を包み込む中ひっそりと佇む少女は腕を組みながら目の前にある何の変哲もない鏡に向かって言葉を紡いでいた。 「よくあるよね、三人並んで写真を撮ったら真ん中の人にだけ変なのが写り込んでたり」 うんうんと頷きながら鏡を見つめる先輩に対して膝が笑っている志摩は何も言えずに口を開閉しとる。二人の視線の先には三階男子トイレの鏡、鏡の前では三人並んで立っとる筈やのに鏡の中には俺と志摩の二人しかおらへん。 六つ目の七不思議である悪魔の鏡の話はトイレに向かう道中で聞かせてもろた。要約すれば三人並んで鏡に立つと真ん中だけが鏡に映らず、その真ん中に立っとった奴に災いが訪れるらしい。 「うーん、反応ないなー」 悪魔の悪魔の鏡ちゃーん、なんてふざけた事を言いながら鏡の周りをうろちょろする先輩に対して、未だ膝が笑った儘の志摩が「先輩が災いなんかに巻き込まれたら金兄にいてこまされる…!」と頭を抱えて中腰になっとるのを見て不快指数が十程増えた所で諦めたように先輩が此方を見上げてきた。どうやら志摩には話が通じないと判断したらしい。「いつもなら結構早く災いが来るんだけどなあ。ま、災いって言ってもカッターで指を切るとか、体育で捻挫するとかそんなレベルのものなんだけど」 「せやかてそれ位の悪戯で"災い"言うんも変ちゃいますか」 「……こうなれば、私がアイツに直接…」 「アイツ?」 唇を覆うように指を当てぼそぼそと呟き始めた先輩の独り言の中から気になる言葉が浮かぶ。アイツ、とは誰なのか。保健室で見た謎の黒い物体か、未だ見ぬ七不思議最後の一つか、学園長なのか俺等の知らん奴なのか……。徐々に表情が険しくなっていく先輩を落ち着かせようと肩に手を伸ばした瞬間、志摩が物凄い勢いで背後を振り返った。その視線の先は、闇が広がる廊下。 「……今、」 「どないした」 「何か、落ちませんでしたか」 志摩の言葉を最後まで聞き取れたか取れなかったか位の合間に、俺等の頬をふわりと風が撫でていった。続いて、廊下を走る足音。横に居た筈の先輩が、おらん。 「ぞえええ!?先輩何処行くんですか!!」 「単独行動はあかん!追うで!」 先輩を追う為にトイレを飛び出したものの、存外直ぐ近くの廊下で見つける事が出来た。足を畳んでしゃがみこみ床のある一点を視線を向けている。後ろから近付いていけば先輩が黙って視線の先に向かって懐中電灯の光を照らした。 「……十円玉?」 真新しくぴかぴかに光るわけでもなく、古めかしく側面にギザギザがついているわけでもない極々普通の十円玉だった。 ちゃりん。 「あ」 廊下のまた少し奥で何かが落ちる音がした。先輩が懐中電灯を向けるとやはり其処には十円玉が一枚落ちている。 ちゃりん。 その奥で、十円玉が廊下に落ちる。 ちゃりんちゃりん。 またも奥で、今度は二枚。 ちゃりんちゃりんちゃりん。 「そういう事か……鏡はちゃんと災いをもたらしてた」 畳んでいた足を伸ばすように立ち上がった先輩はしっかりと足取りで廊下を歩き出した。その間にも十円玉が落ちる音は止む事はない。まるで俺等を導かんとしているようで、正直不気味や。 「な、なんやの…十円玉て、怖っ」 「気ィ引き締めや、志摩。多分アレがラスボスやで」 「えっ。あれが七不思議最後の一つっちゅー事ですか?」 「阿呆か。神隠しの元凶に決まっとるやろ」 ちゃりん。 ちゃりん。 ちゃりん。 ちゃりん。 十円玉を辿って先輩の数歩後ろを追う廊下を歩く。無駄に広い正十字学園は無駄に廊下も長い。何処まで連れて行かれるのか、今歩いてる場所がほんまに学園の中かすらも分からん。腕時計の時刻は既に三時に近い。 「あ」 小さく、零れるような声。 隣におった志摩から発せられたものだと認識した時にはもう遅かった。長い廊下の端で今まで留まっていたものを一気に解放していくような勢いで無数の十円玉が廊下に広がっていく。じゃらじゃらと硬貨がぶつかる音が響く中、十円玉の絨毯の上から黒い靄が滲み出てくる。 「いやー黒歴史だわー」 靄がむくむくとその質量を増やしていく中、先輩が腕を頭上に上げて背筋を伸ばす。まるで一仕事を終えたサラリーマンのような身振りと気だるげで呑気で明るい声色に思わず眉間に皺が寄る。今にも敵が出てはい戦闘です、っちゅー時に何ふざけとんねん。およそ先輩に対して言うべきではない言葉が衝動的に喉まで出掛かった所で、ふと先輩の後ろ姿に違和感を覚える。 「せ、せんぱい……えーと」 狼狽している志摩の声が先輩に掛かる。珍しく直ぐに気付いたらしい、素早く志摩の首根っこを掴んで数歩後ろに下がる。先輩に向けるのは疑惑と困惑と、敵対の眼差し。 「なんで……なんで先輩の肩からも靄が出とるんですか」 「何でって、そりゃあ私がこっくりさんだからだよ」 ちゃりん。 先輩の足元に十円玉が落ちた。 |