風に吹かれているわけでもないのにふわふわとスカートが揺れては白い太股が見え隠れする様を見ない振りをしつつ、鍵の掛かっていない用具室の棚を漁る名字先輩は時折埃が鼻を擽るのか小さくくしゃみをする。 私埃アレルギーなんだよね、と嘘か本当か分からない事を吐きながら顎の下から探し当てた懐中電灯の光を当てて不気味に笑む先輩にひい、と志摩が情けない悲鳴をあげよった。 目当ての物を手に入れ用具室を出た俺等は続いて先輩の案内に従って生物室へと歩みを進める。選択科目が無い一年の俺等にはあまり馴染みの無い場所であるが故にそんな所に七不思議の一端があるのだろうかと疑念を抱いてしまうが、そんな俺の心を読んだかのように先輩はにんまりと笑みを浮かべた。 「行けば分かるよ」 そして、その言葉は見事に俺の疑念への答えへと繋がる。 「あ つ また い 」 「こり や どこ し」 生物室の扉の向こうからぼそぼそとしたヒトのような話し声が複数、聞こえてくる。もしかして俺等のように学校に忍び込んだ奴等かもしれんと口を開きかけた俺の口を先輩の白い掌が塞がる。黙って見ていろと俺と志摩にアイコンタクトを送った先輩は俺の口を塞いだ儘暗闇に包まれた廊下に声を響き渡らせた。 「入ってもいーいー?」 それは、まるで遊びに加わりたくて声を掛けてくる子供のような無邪気さを含み。隣にいるというのに、まるでスピーカーから響くように周囲にわんわんとやまびこのような響きが波のように広がっていく。ぴたり。止まった話し声は一瞬の思巡の後ぴたりと声を揃えて返事をした。 「好きにすればいいさ」 「好きにすればいいさ」 ごぽり。返事の後にあぶくのような物が音を立てるのが聞こえる。 生物室。此処にあるものは何だったか。普段出入りしない俺等でも分かる。一歩分後ろに控えている志摩の腰が引けていて、気が緩もうものなら腰が抜けるか一目散に逃げ出すかのどちらかを選ぶやろう。 ごぽり。扉一枚隔てた向こうから歪みきって濁りきったあぶくが弾ける音がする。 返事に満足したかのように頷き扉に手を掛ける先輩にくわっと顔をしかめた志摩が背中に飛び付いた。 「うわっ、危なっ」 「それは此方の台詞ですわ!せせせ生物室とか難易度上がりすぎやろぉぉおお」 「え?そんな事ないけど」 から。扉に付いた車輪が回る。 白い扉が徐々に面積を減らしその向こうを露にさせていく。 からから。 何も言いはしないがやはり俺にも恐怖心はある、逃げんなと意味を込めて志摩の腕を掴めば恐怖の瀬戸際に立っていたらしい志摩が、短い悲鳴をあげた後とうとう限界を越えたのかこいつには珍しく咆哮をあげた。 「ホルマリン漬けはアカンンンンンッ!!!」 からからからから。開ききった扉の向こうは月明かりに照らされていて、暗闇でもその様子が分かる位には廊下より明るかった。 教室に幾つも並ぶ黒い長方形型のテーブルには丸椅子のスツールが定数ずつ乗せられている。テーブルの端には水道が備え付けられていて短く切られ蛇口に設置された青いホースから垂れてきたのだろうか、月明かりに照らされた水滴がぴちゃりと排水口へと真っ直ぐに落下していく。 黒板と窓側以外の壁には天井まであるんやないかという位の高さの棚が設置され、棚の中には瓶詰めになった薬物や実験器具が所狭しと並べられている。しかし、其処には。其処には。 「残念だけどホルマリン漬けなんてないよ。学校の怪談の定番だけど」 本当に事前知識無しかよ。肩越しに此方を見遣った先輩は呆れたようにそう呟くと懐中電灯で床を照らしながら生物室に足を踏み込む。ぽかん、まさにそう表現するかの如く口を開いた儘固まる俺と志摩に構わず窓際の、青々と茂る植物に囲まれてこぽこぽと泡が立つ水槽へと近付いていく。 ごぽり。水槽の中から機械が吐き出す泡とは異なるあぶくが弾ける。あ、と一つの事実に漸く気付いた頃には先輩は水槽の「中味」と対峙していた。 「やっほ」 「やっほ」 「やっほ」 ゆらりと揺らめく鰭を幽雅に翻し。水槽の中に居たソレは先輩の言葉を真似て言葉を発した。 言葉を、発した。 水槽の中に居たのは、まぁ、無難で有りがちやけど、二匹の魚やった。金魚でも鯉でもなく、身体は黒く目だけがやたらとぎらぎら光っている。濁って歪んだあぶくは時折息を吐き出すように魚が出した泡だった。 「随分と久しいな」 「随分と煩いな」 「許してよ。メフィストからの罰ゲームなもんでね」 「あの道化のか」 「至極迷惑だな」 頬を寄せ合うように近付いた二匹はそれはそれは迷惑そうに生物室を訪れた理由を話す先輩を睨んでいた。先輩はその視線に構う事なく水槽の傍らに置かれた熱帯魚用の餌のボトルを手にして指先でボトルを揺らす。落ち葉のような薄さの餌が詰まっているボトルからかさかさと乾いた音が響く。 「聞きたい事があるんだけど」 まるで旧友に接するような口調で水槽に向き合い話を進めていく先輩に、生物室には入る勇気を持てない儘俺と志摩はその様子を傍観するだけやった。 |