悲惨な点数が付けられた期末テストの裏に濁音半濁音に小文字を含めた平仮名と数字、はい・いいえ、鳥居をバランス良く書き、十円玉に人差し指を乗せ鳥居に重ねる。 夏休みの補習の最終日。夕日が差し込む教室の中でどうしてこんな事をやっているのだろうかと、ふと自分に問い掛けてみる。 こっくりさんの噂なんて、ただのデマに過ぎないのに。 「こっくりさん、こっくりさん。鳥居からお入り下さい」 遠くで補習か部活帰りの生徒達の声がする。見回りの先生はとっくにこの教室棟の見回りを終えている。見回り中の先生と鉢合わせしない為の手段なんて幾らでもある。例えば、トイレなんかはそうなんじゃないかな。 「こっくりさん、こっくりさん。お入りになりましたらはいにお進み下さい」 鳥居の上の十円玉はぴくりとも動かなかった。 オレンジ色の空が徐々に暗くなっていく中、一時間も律義に十円玉を指に乗せ続ける自分があまりにも馬鹿馬鹿しく思えてきた。もう終わってさっさと家に帰ろうかな。これお帰り下さいっていうべきかな、いやいや誰も来てないのに帰るも何も無いだろうに。 「……帰ろう」 そう呟いて腕を引く。こっくりさんとかひとりかくれんぼとか七不思議とか、好奇心を擽るものは結局他人の好奇心が作り出したまやかしであるのだ。 好奇心とか言っても、ただの夏休みの自由研究の題目なだけなんだけど。 「……あれ、」 ぐいぐい。 「十円玉が、」 ぐいぐい。 「…離れない」 十円玉に接着剤を塗った記憶はないのだが、どんなに力を込めても人差し指が十円玉から離れない。そこでふと思い出す。こっくりさんをやる上でのお約束、「途中で指を離したら呪われる」。 「えええ…」 入ったらはいに進めっつったろうが。散々シカトしといてもう辞めようってなったら反応するとかツンデレか。ツンデレなのかこっくりさん。 「えーと……こっくりさんこっくりさん、鳥居からお帰り下さい」 『いいえ』 十円玉が紙の上を移動した。 勿論十円玉から指を離したがっている私がそんな事をする筈もなく……っていうか拒否された。 『こ』 『ろ』 『す』 するすると十円玉が平仮名の上を辿っていく。読んでいけば恐ろしい単語が完成した。怖いわ! 「死にたくないんでお断りします。鳥居からお帰り下さい」 『こ ろ す』 「話を聞けよ。鳥居からお帰り下さい」 『の ろ う』 「い る す ……ノロは怖いんだぜ。鳥居からお帰り下さい」 『し ね』 「生きる!」 あれ、こっくりさんってこんな感じだったっけ。そう感じた時には既に太陽は沈み少しだけ涼しい夜になっていた。相変わらずこっくりさんは殺すか呪うか死ねしか言わないのでこのやり取りにも飽きてきた。何でこういう時に限って先生とか来ないかなあ。 「あー、じゃあ呪ってもいいから帰って下さい」 そう言った瞬間、あんなに平仮名の上を巡っていた十円玉が一瞬にして鳥居の上に移動しぴったりとくっついていた人差し指が漸く自由になった。呪うって事は憑かれたって事かな…憑かれた人ってどうなったんだっけ?お約束通りにテストを破り捨て十円玉は帰りの駄菓子屋で使って後片付け終わり。こっくりさんって降霊術の割には終わった後の処理の仕方が雑な気もするが、終わった事だしもう一生やらないしどうでもいいか。 鞄を肩に掛けて教室の扉を開ける。先生に見つかったら居眠りしてたって言い訳しとこう。三年生にもなってとか今年受験なのにとかくどくど言われるだろうけど、気にしない。 「………あれ、」 教室を出た所でその違和感に気付く。 私のクラスは廊下の一番端にあるので教室を出るとすぐ階段がある筈なのに、階段がある筈の場所は廊下の壁になっている。教室の直ぐ横にあった壁は綺麗に取り払われ、延々と廊下が続いている。 「……呪いってこういう事か」 斯くして私はこっくりさんに呪われた儘十数年程この学園に囚われていたのである。 不意に覚醒はやってきた。 まるで瞬きしていたかのようにぱち、と勢い良く瞼を開いた所であまり見慣れない景色が視界に映り込んできた。 目だけを動かして辺りの様子を伺う。身体は温い。畳に襖、和室に寝かされているらしい。頭痛が酷い、これは床に頭をぶつけた時のものだ。意識を手離す前、公衆電話の主が何か喋っていた気がする。私の会いたい人というのはやっぱり、やっぱりそうなのだろうか。 「ぐ……ぅ、ぐ」 肘をついて身体を起こそうとするも頭から足まで鉛を付けているかのように重く、動くのが酷く億劫に感じる。立ち眩みもして立ち上がるのは危険と判断し畳を這って襖に近付く。重い腕で何とか自分が通れる位まで襖を開ける。襖を開けた先には手入れがきちんと施された日本庭園が広がっていた。てっきり京都出張所だと思っていた私は内心で首を傾ける。何故に私は勝呂の実家である虎屋にいるんだ。 「先輩……っ!」 ばたばたと廊下を走る音と共に庭に響き渡る聞き慣れた声。首を動かすのも怠く視線だけを動かす。隠れた右目、緩めに結われた後ろ髪、今にも泣きそうな顔。 「先輩…っ、良かった、ちゃんと起きた…!」 女の子特有の柔らかい身体。 上からぎゅーっと抱き締められて、少しだけ苦しいのを我慢して抱擁を甘受してみる。 「まむし…」 うりうりと頬擦りされて、少し恥ずかしい。いつもとは逆の立場で蝮からはこんな事してくれないから嬉しい…嬉しいけど、蝮ってこんなキャラだったか。 「ホンマ、アイツ、任務中に、起きるとか…あかん、腹痛い…っ」 廊下の奥から微かに笑い声が響いてくる。蝮の身体をよじ登って蝮の肩越しに廊下の向こうを見遣れば、一人廊下に踞ってひいこら笑い転げている柔造の姿があった。 「申!黙りよし!」 「はー…あー笑た笑た。先輩、おはようございます。やっぱ身体怠いですよね、こっくりさんに身体隠されて魂と身体が離れとったせいらしいですわ」 目尻に溜まった涙を拭いながら此方に近付いてきた柔造にわしわしと頭を撫で回される。魂と身体が離れていて、身体がこっくりさん側にあった…という事はこっくりさんに呪われてから今まで私はずっと魂の儘生活していたという事になる。うへえ、自分生き霊みたいじゃないか…気持ち悪いな。 「……」 「…坊と廉造は無事ですわ。先輩が虎屋に居るんは坊が手配してくれはったからです」 無事を確かめない儘意識を飛ばしてしまったから心配していたけれど、あの二人は大丈夫らしい。本当はあの後私がどうなったのかだけ聞きたかったのだけれど、喋る動くが億劫な今の状態では会話もままならないだろう。其処まで考えた所でふ、と瞼が重くなる。眠いのだろうか…何だか随分ぐっすり寝ていた気がするのだが。 「夜には金造の阿呆も帰ってきますし、それまで昼寝でもしとって下さい」 「あて等は片付けがあるさかい一旦帰りますわ…何かあったら直ぐ駆けつけますから…!」 柔造に抱えられ布団に戻され、二人は交互に私の頭を撫でると襖を閉めて出て行った。 身体が重く考えを巡らせるのも面倒臭い。ぷつり、と糸が切れるように意識が途絶えた。 ふと、頭の位置が少し高くなっているのに気付く。途絶えた意識が戻って来た証拠だ。 さっき目を覚ました時は昼だったせいで暑かったが、今は涼しさを感じる。夜だろうか、瞼を閉じた儘でも辺りは暗いと認識出来る。 頭の下は枕だった筈なのにいつの間にか固い物に変わっている。でもってなんかぬるい。 「っ、くそ…何でよりによって蝮と柔兄やねん腹立つ…」 頭上からぶつぶつと低い声が降って来る。機嫌が悪そうな割には私の左手を握りながら反対の手で私の頭を撫でているその手付きは優しい。無意識の内に握られた左手に力が籠ってしまい、頭を撫でる手がぴくりと反応し声が途切れる。 「……先輩?」 呼ばれる儘に目を開けて見ると暗闇の中に浮かび上がるような金髪が私の顔を覗き込んでいた。顔までは判別出来なくて、空いていた右手を伸ばして金髪に触れようとするも途中で手首を掴まれて阻まれてしまった。 「……金、造」 「…そーですえ」 もっと近くで見な分かりません?と続け手を引かれ金造の膝の上に向かい合わせになるように座らされた。暗くて分からなかったが、金造は團服の儘だ。白いぽんぽんみたいなのは取ったみたいだが胸元にあるバッジが存在感を示している。 頭の下にあった固いものは金造の足だったらしい、部屋の隅っこに枕らしきものがぽつんと放置されているのが見えた。 「……うおっ!」 こうやって金造と抱き合うのは初めてだったりする。…抱き合うというかほぼ抱き付いているのだけれど。今持ちうる力の全てを使って背中に腕を回して力を込める。 「……話、何処まで、知ってる?」 「こっくりさんが祓われて先輩が自由になった」 「……そっか」 「でも、先輩には帰る家はもう無いっちゅーんも知ってます」 「……うん」 こっくりさんに呪いを掛けられ身体を隠され数年、限られた時間のみ空間移動が出来る力を持った私は早速学園を出て自分の家へと向かった。…まあ、跡形も無かったけど。子供が神隠しに遭ったと噂されるのに耐えきれなかったのか、何か訳があるのかは知らないがとにかく其処に両親は居ない。其れが答えだった。 「せやから、先輩が寝とる間に柔兄と蝮が蠎様とおとんに頼み込んどったんです」 「……え、」 「ほんまは俺も行きたかったんやけど…約束、破りたなかったんで」 「約、束」 「傍に居りますから」 「……っ!」 「三日三晩看てて起きひんかったんに、俺が任務行っとる間に目ェ覚ましたんは腹立ちますけど」 「う、…」 じわじわと顔に熱が集まっていくのを感じる。っていうか私三日も寝てたのか、そりゃ怠いよ納得したわ。 「名前先輩。俺は阿呆やし、ちゃらんぽらんやし、今時の若者らしく馬鹿やっとりますけど。この五年間ずっと先輩の事好いてました」 「……、」 「ノイズ混じりやったけど、聞こえました。七不思議の野郎が言うてた“一番会いたい人”の事が、空から降って来た先輩を受け止めた“俺”の事なんやとしたら…この手を、取って欲しい」 「……」 「…先輩の全てを、余す事なく俺が受け止めたる」 腰にぐ、と圧力が掛かる。どうやら逃がさないつもりらしい、逃げるつもりもないけど。 そっか。やっぱり私、金造の所に飛んだのか。五年もの間、曖昧に濁し続けてきて本当にごめんなさい。 今、貴方の手を取るから。だから、絶対に、離さないでね。 |